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『レンズの中の月』

 ガザガサと、落ち葉を踏みしめる二人分の音が、いつもよりはっきりと聞こえてくる。近くでは秋の虫が鳴いている。何の虫かは分からない。スズムシとかコオロギなら聞いたことがあるけれど、あれは何? 童謡の『虫のこえ』を頭の中で奏でてみる。あれマツムシが、鳴いている。チンチロチンチロチンチロリン……。そんな鳴き声、聞いたことない。チンチロってどんな音?
 顔に小さい虫が当たったような。反射的に手で払い退けたけれど、口についた気がする。気持ち悪くて、ぷっと小さく唾を吐く。
「虫きもい。もう帰りたい」
「ちょっと待って。今年の中秋の名月は、満月なんだよ。滅多にないことなんだ」
「九月の満月が中秋の名月なんじゃないの?」
「違う、違う。旧暦の八月十五日の月が中秋の名月。だから欠けていてもその日の月が中秋の名月」
「へえ。旧暦だったらまだ八月なんだ。じゃあ夏休みじゃん。今日だけ旧暦にならないかな。ああ、でももう夜か。休みでも意味ないな。明日も旧暦で」
「何言ってんの」
 足元に虫が来ていないか、スマホのライトで照らしながら、前を進む友人の後ろをついて行く。

 落ち葉道を抜けると、公園の芝生に出た。近所の小さな池のある公園。ここまで来る道に、あんなに木や低木を植えないでほしい。春には桜や花が綺麗だけれど。
 木々のない公園の広場では、月明かりのおかげで、街灯が少なくても明るく、友人の顔もはっきりと見える。私はスマホのライトをそっと消した。
 まだ肌に触れる空気はほんのり夏を残している。たまに吹きぬける風が少しだけ秋を感じさせる。
 頭上には薄黄色い、紅葉したイチョウの葉のような色の満月があった。

 友人は愛用の──といっても買ったばかりの初心者キットだけれど──ミラーレスの一眼レフを、格好つけながら両手で構えた。
 私はスマホのカメラで通してみる。遠くにある月は、画面を隔て、更に遠くへと行ってしまう。拡大して近くに引き寄せても、それはもう月ではなく、ただのぼやけた黄色い球体になる。
 スマホを降ろして、肉眼で月を見つめる。瞼がこのままシャッターになれば、きっとコンテストに出せるくらいの写真が撮れるだろう。なんてことを考える。

「はあ……」
「どう?うまく撮れた?」
「全然だめ」
 友人に近寄り、モニター部分を覗く。スマホよりはマシだけれど、やはりぼやけた黄色い球体だ。
「やっぱり付属の望遠レンズじゃ、これが限界かな」
「どんな写真が撮りたいの?」
「写真のど真ん中でも、ウサギの形が分かるくらい」
「それだと、こう、もっと凄いレンズじゃなきゃダメなんじゃない?ほら、あのバズーカみたいな、何か発射されそうなやつ」
「ライトバズーカレンズのこと?」
「あれって本当にバズーカなんだ」
「そこまでの物じゃなくても、もう少し性能がいい望遠レンズが買えれば綺麗に撮れると思うんだけど……」
「お金がないと」
「その通り」

 その後も友人は、何度かシャッターを押していたようだけど、納得のいく写真は撮れないようだ。
「もういいかな……」
「待って。あそこにも月がある」
「…………池の月?」
「これもこれで、フゼイがあると思わない?」
「うーん……」
「私はこれも綺麗だと思うけど」私はスマホで水面にうつる、ゆらゆらと揺らめく月を撮った。「それに、近い」
「近い?」
「空だと遠すぎる」
「遠いから、いいんじゃない?」
「そうなの?なんで?」
「なんでだろ。遠いから、写して、手元に残しておきたいのかな」
「写真に撮っても、月は自分のものにはできないよ」
「そりゃ、そうだけど」
 友人は私と同じようにカメラで水面の月を撮りはじめた。たまに空の月も撮りながら。それでもやっぱり、頭上の月の撮影には納得がいっていないようだったけれど。
 友人は何枚か写真を撮り終わり、モニターで確認し始めた。近寄って画面の中を覗く。
「ほら、これもいいじゃない」
「うん。でもウサギが見えないよ」
「そんなにウサギ好きだっけ?」
「そういうことじゃないけど」
 彼は再び空の月を見上げた。私もつられて空の月を見上げる。そうしていたら、すぐ隣からシャッター音がした。
「何で私を撮るの」
「もっと近くがあったと思って」
「え?」
「目」
「目?」
 友人は自身の右目を人差し指で示した。ああ、なんだ。そういうことか。
「それじゃあ、ウサギ、もっと見えないじゃん。小さいし」
 私はそう言って顔を背けた。彼は小さく笑った。
「僕はこれも綺麗だと思うけど」

おしまい。

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