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『煙に巻く肺の空』

 煙草の煙って、よく見ると青色なんです。葉や巻紙が燃えた後のこまかい粒子に、短波長の光を散乱するからだそうです。空が青く見えるのと同じ原理。
 煙が体内に入ると、水蒸気が混ざって白くなるんだそうです。これは雲と同じ原理。
 肺の中で、雲を作っている。自分の中に空があるんです。なんだかそれって、とても素敵じゃないですか?知っていましたか?先輩。

「それが、君が煙草を始めた理由?」

 先輩、驚いています?ずっと先輩に「煙草をやめろ」って。そう言ってきましたから。
 
「百害あって一利なし。肺は真っ黒、肺の病気に、動脈硬化。あとは、何だっけ?ああ、そうだ。
『眩暈がするほどの依存性』」

 そうです。覚えてますか?高校の恩師が、禁煙を始めたら、ストレスでぶっ倒れたって話。だから、煙草始めたんです。
 早く死にたくて。

「君に自殺願望があるなんて知らなかった」

 安心して下さい。

「安心できる事じゃないと思うが」

 自殺願望ではありません。今すぐ死にたいわけではありません。そんなことをしたら、親も友達も、きっと悲しむと思うんです。

「先に死なれたら、何であろうと悲しむと思うけど」

 この前、電話で母さんが言ってました。
『母さんの方が早く死ぬから、今後のこと考えなさい』って。
 母さんは、『早く結婚しろ』とか、『早く子供を作って』とか言わない人でした。でも言葉に出さないだけで、そう思っていたんですよ。そりゃそうですよね。この歳にもなって。
 でも、面倒じゃないですか。結婚とか、子供とか。考えただけでも面倒で。だから、親より先に死んでやろうって。

「そう……」

 去年おじいちゃんの葬式に参加したときなんですけど。葬式って面倒だなって。準備とか、挨拶とか。親戚やご近所にも。悲しむ余裕なんてなかった。ああもう、全てが面倒だなって。
 でも、自分が先に死んだら、そんな面倒もなくなるじゃないですか。

「そうだね」

 生きているのって、本当に面倒。だからゆっくりと。ゆっくりと。寿命が縮まるように。そして辿り着いたのが、煙草だったんです。

「君さ」

 ほら、これ先輩が吸っていたのと同じなんですよ。かなり強いやつ。

「ねえ……」

 でも本当は、早く先輩に追いつきたいから。なんて言ったら怒りますか?

「呆れたよ」

 先輩、怒ってますか。

「うん。そうだね、怒っている」

 きっと、そうですよね。
 本当は、ただ吸ってみたかっただけです。ただの興味本位。どうせいつかは死ぬんだし、それなら吸ってみてもいいんじゃないかって。

「…………」

 だから先輩は気にしないで。先輩のせいじゃありません。先輩はそこで待っていて下さい。ゆっくり、追いついてみせますから。
 はは……すみません。こんな自分に、先輩は応えてくれますかね。聞かせて下さい。先輩……。

「そうだな。

 俺が死んだみたいに言うのやめろって言うよ」
「すみません。つい……」
「つい、で殺さないでもらいたい。喫煙所に来て、いきなり一人で話し始めるから何事かと思った」
「2人きりでしたし。やったれって思って」
「その行動力は仕事に生かしてくれ」
「嫌です。面倒です」
「君は本当に面倒くさがりだな」
「そうですよ。面倒なんです。何もかもが」
「そうかい」
「……先輩、煙草辞めてくれませんか?」
「どの口が言う」
「先輩が先に死んだら困ります」
「面倒だから?」
「そうです。面倒です。本当に、面倒です。
 だから僕より先に死なないで下さい」
「いや、俺の方が先に死んでやる」
「嫌です僕が先です。でも、今すぐ会えなくなるのは嫌です」
 ゆっくりと空が黒く覆うまで。
「それまでは、一緒にいてもらわないと」

 喫煙所から顔を出して、空に向かって息を吐いた。
 肺から出た白い雲が、青い空に吸い込まれて消えてゆく。
 眩しいほどの広い空。
 その広くて、けれど狭い世界に圧倒される。
 眩暈がする。

 了。

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