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『足跡売り』

※約7300字小説です。

1.足跡

 夜、残業帰りに雪道を歩いていると妙な足跡を見つけた。
 その足跡は一見〈一人の人間〉が歩いた形跡のように見える。左右交互に一定間隔で踏みつけられているのだから。
 しかし本当に〈一人の人間〉だろうか。
 その奇妙な足跡に、僕は気温の低さとは別の寒気を感じた。

 その足跡はバラバラであった。
 バラバラ、というのは靴の種類が一歩一歩異なるのだ。
 種類だけではない。サイズも違う。
 大柄の男性サイズの右足が付いているかと思えば、次に踏み出された左足の跡は未就学児くらいの子供の足跡なのだ。その次はハイヒールらしき女性の右足の跡……といった具合。
 その足跡は先へ先へと続いていた。
 いったいどのように付けたのか、どのような者が付けたのか。いや、そもそもこれは人間だろうか。
 僕か抱いていたのは恐怖心よりも好奇心の方だったらしい。恐怖の思考を巡らす前に、身体の方が先に動いていた。無意識だったのか。
 僕はその足跡を辿っていた。

 足跡を辿っていくと、ついに足跡が途切れた。
 そう思った瞬間。
「いらっしゃいませ」
 すぐ近くから男の声がした。
 どきりとして顔を上げると、目の前には木彫りのベンチに腰掛ける一人の男の姿があった。
 大正時代を思わせるレトロな黒いコートに、黒いハット帽を被っている。側らには黒いトランクを置いており、紳士のような佇まいで腰掛けていた。
 男は口元に笑みを浮かべている。目元は帽子でよく見えない。だが、じっと僕を見つめている。そのような気配がした。

 その視線から逸らすように辺りを見渡すと、そこは家の近くの公園であった。足跡を追うのに夢中だったためか、全く気がつかなかった。
 それにしても、もう少し長い時間歩いていたと思ったが、そうでもなかったらしい。雪道で足取りが悪く、疲れが勝ってそのように感じたのかもしれない。

「お客様、どうなされましたか」
 コートの男が言った。
「あの……お客様というのは、僕のことでしょうか」
「はい。もちろん」
 客、ということはこの男は少なくとも何か商売をしているのだろうか。
 こんな夜に、こんな場所で。
 何か怪しいものを売りつけられるのかもしれない。もしかするとヤクの密売とか、そういったものの可能性もある。
 しかしあの奇妙な足跡をどのように付けたのかも気になっている。

 僕が何も答えないでいると、男は、
「ああ、なるほど。知らないお客様でしたか」と言った。
 男は立ち上がると、深くお辞儀をした。
「私は〈足跡売り〉と申します」
「あ、足跡?」
「はい」
「足跡を売っているんですか?」
「ええ。そうですよ」
 あまりにも普通の返事だった。
 聞き間違いか、こちらが可笑しいのではないかという感覚になってくる。
 それとも『足跡』とは何かの隠語なのだろうか。
 思わず自分のすぐ後ろにある、付けてきた雪道の足跡をちらりと見た。
 まさかこの足跡のことではないだろう。
 もし怪しい薬の隠語だとしたら……これは記事のネタになるのでは。
 冷静を装いながら、僕は話を続けた。
「……足跡、を買ってどうするのですか?」
「〈付け直す〉、ということが可能です。ご自分のでも、他の方のでも」
「付け直す?」
 言っている意味が全く分からない。
 それが顔や態度に出ていたのか〈足跡売り〉と名乗る男は丁寧に説明を始めた。
「〈足跡〉というのは、お客様一人一人が歩んできた形跡、残してきたもの、つまり、目に見える〈結果〉なのですよ」
「結果?」
「誰にでも、生きた証として、歩んできた道がある……その後ろに残るのは、あなたの〈結果〉。
 それが〈足跡〉。
 しかし、残した〈足跡〉が気に入らない。もし別の〈足跡〉を残せていたら。そもそも〈足跡〉を残せていない……。
 ありませんか? 『あの時あの結果を残せていたら』『あの時あの選択をしていれば』。そのような後悔や無念が」
「……まあ、ありますが……」
「私はそのような方のために、別の〈足跡〉を売っているのです。
 そして、それを〈付け直す〉。
 私はそのお手伝いをさせていただいているのですよ」
「…………」
 ヤクの密売などではなく、怪しい宗教の可能性も出てきた。
 しかし──。
 僕は今度は自分のではなく、これまで辿ってきた足跡、つまりこの男が付けたであろう奇妙な足跡を見た。
 もしかするとこの男は人間ではないのかも……などといったファンタジーやメルヘンなことも考えてしまう。

「その……つまり過去をやり直せるということですか?」
「まぁ、そうとも言えますが、あくまで〈跡〉を付け直すだけです。その後どうなるかまでは……」
「なるほど……」
「それで、どうなされますか?」
「うーん……」
 なるほどとは言ったものの、分かるような、分からないような。不思議なことを並べられ、どのように処理すればいいか分からない。
 僕が渋っていると、男は言った。
「そうですね……では『お試し』をしてみませんか?」
「お試し?」
「ええ。私の言っていることが、信じられないのでしょう。それでしたら今回はお試しで、お代はいただきません。もし気に入っていただけたら、次は買っていただく。いかがでしょうか」
 お試しか。実際、信じる信じない以前にどうなるのかが抽象的でよく分かっていない。何も払わなくていいのなら。
「それなら、その『お試し』で……」
「承知しました。それではどのような〈足跡〉になさいますか?」
〈足跡〉とは〈結果〉のことだと言っていた。やり直したく、すぐに分かりそうな結果。それだったら──。

「……この間の『ジャーナリスト賞』……僕は、新聞社の者なんですが、同期の記事が受賞して、僕は何も……その〈結果〉を変えたいのですが」
「分かりました」
 男の口元はにこりと笑みを作った。側らに置いていたトランクを地面に置く。男がトランクを開けると、そこにはぎっしりと雪が敷き詰められていた。
「お客様のお名前は?」
「……氷雨正吾(ひさめしょうご)です」
 少し迷ったが、本名を名乗った。
「氷雨正吾様、ですね」
 男が僕の名前を呟く。すると、トランク内の雪に、一歩分の足跡が付いた。
 まさかと思っていた可能性が、濃厚になっていく。
 この男が人間ではない可能性。
 そんなこと、あるはずない。しかし目の前で、その光景を目の当たりにしてしまった。
 透明人間でもいたかのように、トランク内の雪だけが足跡状に沈んだのだ。
 誰も踏んでいないのに、雪だけが、ひとりでに。

「これが、その時の氷雨様の〈足跡〉です」
 僕が唖然としている中、男は言った。
「それでは、残したい〈足跡〉を思い浮かべながら、このトランク内の〈足跡〉を踏んで下さい」

 きっと手品か何かに違いない。
 できるものならやってみろという気持ちで、僕はトランク内の足跡を、上書きするように踏みつけた。
『ジャーナリスト賞を取った』という〈結果〉を思い浮かべながら。

 足跡を踏みしめ、恐る恐る足を上げる。足跡は重なって、別の形となっていた。
 何か変わったのだろうか。今のところ何の変化も感じられない。
 僕の考えを読み取ったかのように男が言った。
「明日になれば分かります。お気に召しましたら、またここにお越しください。しばらくの間はここにおりますので……」
 そう言って、男はその場を去って行った。
 男の後ろには、あの奇妙な足跡が付いていた。

 あの男は本当に、人間ではないのかもしれない。
 急に不安が押し寄せてきた。僕がやったことは、大丈夫なことなのだろうか。

 そうだ。この後、作家の佐藤幸一郎先生と、電話で打ち合わせをする予定だった。
 変り者だが、きっとこういった不可思議な話には興味を示してくれるはずだ。
 相談も兼ねて、この一連の出来事を話してみるとしよう。

2.付け直し

  次の日出社すると、部長から一面記事の特集が割り振られた。なぜ突然自分がそのような大役を任されたのか。
 驚いて確認すると、同期の社員でなく、僕がジャーナリスト賞を受賞していたことになっていた。会社での自分の評価も非常に高くなっている。
 僕は昨日の出来事を思い出す。
 本当に過去の〈結果〉が変わっている。
 あの男は本当に、魔術師や神のような存在だったのかもしれない。
 社内から向けられる期待と好感の目線。
 優越感に浸りながら仕事に取りかかった。


「──氷雨様、どうだったでしょうか」
「……あなたの言っていたことが理解できました」
「それは良かった。しかしどこか不満気ですね。何か不服がございましたでしょうか」
「……昨日までは良かった……しかし、何故元に戻っているんですか」
 昨日、一面記事の業務を与えられ意気揚々と仕事に取り掛かっていた。それ以上変えたいことはないと、その日はそのまま自宅へ帰った。
 しかし今日出社すると、自分が賞を取った事実はなくなっていた。職場から向けられる視線は、『何故お前が一面記事の担当なのか』といった不満の眼差しであった。
「言ったではありませんか。あれは『お試し』だと」
 そうだ。確かに『お試し』と言っていた。だから元に戻ってしまったのか。
「申し訳ありませんが、こちらも商売ですので……正式に〈付け直す〉場合は製品版の購入が必要となります。その場合はきちんとお支払いをしてもらう必要がありますが……」
「製品版を買わせて下さい。いくらですか?」
「……支払って頂くのはお金ではありません。あなたの〈足跡〉です」
「僕の〈足跡〉ですか?」
「はい。一歩分購入される場合は、あなたの〈足跡〉を一歩。それをいただきます」
「しかし……僕には釣り合いが取れるような……誇れるような結果など今までにないのですが……」
 自分の過去を振り返ってみる。何をやっても平凡で、特に取り柄もない。人に自慢出来るような結果など残してきた記憶はない。
「ご心配なく。立派であろうと、なかろうと、どのような〈足跡〉も需要があります。氷雨様の〈足跡〉でも十分お支払いいただけます」
 自分のつまらない人生でも支払いになるのか。
「では製品版をお願いします」
「承りました」
 一昨日と同じように、僕はトランクに付いた足跡を上から付け直した。


「──氷雨様、今日はどうなさいました?」
「僕はジャーナリスト賞を取った。それでせっかく一面記事を貰えたというのに……『文章力がない』と怒鳴られ、何度も書き直しさせられます……」
「なるほど」
「そこで……〈出身大学の足跡〉を付け直すことできますか? 有名大学出の意見なら、上司も文句は言えないはず……」
「承りました」


「──氷雨様、今日はどうなさいました?」
「『有名大学を出ているのにこの程度か』と馬鹿にされた……大学だけではダメです。もっと前の段階から……。
〈出身高校の足跡〉を変えることはできますか?」
「もちろん……また、あなたの〈足跡〉を貰いますが」
「構いません」
「はい。承りました」


「──氷雨様、今日は」
「もっと前だ。もっと変える必要があるんだ! 何故僕がこんなに馬鹿にされないといけない! 
 小学校、中学校の〈足跡〉、両方とも変えて下さい! また高校もこの前とは別で付け直したい!」
「はい、承りました」


「もう一度、学校を──」

「いや、入った会社を──」

「そうだ、親だ。あの親から生まれたという事実を──」

 ──付け直したい。

「大丈夫です。何度でも、何回でも。好きなだけ、付け直してもらって構いません。しかし、その代わりに。
 その分の、あなたの〈足跡〉を頂きますよ」
「……僕の〈足跡〉ならいくらでも」
「……そうですか」

3.足跡売り

 あの人、お忘れなんですかねぇ。
 〈足跡〉とは、〈目に見える結果〉だと、きちんとお伝えしたはずなのですが……。
 〈結果〉をいくら変えても、自分自身は変わらないというのに。

 それに、私が貰う〈足跡〉が──。

 
 過去のものとは一言も言っておりませんのにねぇ。

4.作家:佐藤幸一郎の日記

1月20日 雪
 昨日は都内にしては珍しく、夜に雪が降ったらしい。朝起きたら結構積もっていた。
 本当は新聞社で掲載小説の打ち合わせが入っていたが、そんなことより雪の中を散策して、何かアイデアとなりそうなものを見つけたい。新聞社へは適当なことを言って誤魔化した。
 打ち合わせは持ち越しとなり、東南新聞社の担当者である氷雨正吾から夜に電話があった。氷雨は打ち合わせの終わりに妙な話をし始めた。
〈足跡売り〉に出会ったと。
 氷雨が言うには、〈足跡売り〉の売る〈足跡〉とはどうやら人生の一部分のようなものらしい。
 突拍子もない話だが、なかなか面白い話題ではある。小説やシナリオのネタになるかもしれない。〈足跡売り〉とのやり取りを報告してもらうよう、氷雨に頼んだ。

1月21日 晴れ
 氷雨からメールで報告があった。ジャーナリスト賞の受賞結果が自分のものになったと言っていた。
 ジャーナリスト賞が発表されたとき、もともと氷雨の名前があったと記憶していたが、これは書き換えられた記憶だということか。
 いや、氷雨が言うことが正しいのなら、〈結果が付け直された〉ということか。
 しかし俺には自覚がない。〈氷雨は賞を取っていた〉。これが付け直されたものだとしたら。
 今まで自分が信じていた記憶が、元は違うものだったとしたら……考えたくもないな。
 どちらにせよ、氷雨にしか記憶はない。俺には判断のしようがない。
 しかし話としては面白いので引き続き〈足跡売り〉について報告するよう頼んだ。

1月22日 晴れ
 氷雨が昼にジャーナリスト賞を取ったのが自分ではなくなっていた、と言ってきた。
 当たり前だ。ジャーナリスト賞など、お前なんぞに取れるか。
 そう思ったが機嫌を損ねて〈足跡売り〉の話が聞けなくなるのも困る。適当に話を聞いて、同情をしておいた。
 氷雨は今日の帰りに〈足跡売り〉のところへ行くと言っていた。それならまた報告するようにと頼んだ。
 しかし話を聞いていると、受賞していようと、していなかろうと、氷雨が一面記事の担当となったのは覆らないらしい。本当に〈賞の受賞結果〉だけしか変わらないということか。

1月23日 曇り
 氷雨が〈足跡売り〉で、今度は足跡売りから製品版の〈足跡〉を購入したと言った。その前までのはお試し版だったとか。
 氷雨の説明は要領を得ない。これでよくジャーナリスト賞なんて取れたものだ。最近の審査員は何を考えているんだか。

 ──。

1月27日 霙
 担当編集者の中川と打ち合わせをしたが、こいつ今まで俺の小説をちゃんと読んでから載せていたんだろうな。
 全く理解していないじゃないか。
 本当にこいつが担当だったか疑わしいくらいだ。

5.作家:佐藤幸一郎の日記

1月20日 雪
 昨日は都内にしては珍しく、夜に雪が降ったらしい。朝起きたら結構積もっていた。
 本当は新聞社で掲載小説の打ち合わせが入っていたが、そんなことより雪の中を散策して、何かアイデアとなりそうなものを見つけたい。新聞社へは適当なことを言って誤魔化した。
 打ち合わせは×××××××、××××××××××××××××××××××××××。××××××××××××××××××××××。
〈××××〉××××××。
 ×××××××、〈××××〉×××〈××〉××××××××××××××××××××。
 ×××××××××、×××××××××××××。×××××××××××××××××××。〈××××〉×××××××××××××××、×××××××。

1月21日 晴れ
 ××××××××××××××。×××××××××××××××××××××××××××××。
 ××××××××××××××××、××××××××××××××××××××××、×××××××××××××××××××。
 ××、××××××××××××××、〈×××××××××〉××××××。
 ×××××××××××。〈××××××××××〉××××××××××××××××。
 ××××××××××××××、×××××××××××××……××××××××。
 ×××××、×××××××××。××××××××××××。
 ×××××××××××××××××〈××××〉×××××××××××××。

1月22日 晴れ
 ×××××××××××××××××××××××××××××××××××××。
 ×××××。×××××××××××××××××××××。
 ××××××××××××〈××××〉×××××××××××××。××××××××××××××××。
 ×××××××××〈××××〉×××××××××××××。×××××××××××××××××。
 ×××××××××××、×××××××、××××××××、××××××××××××××××××××××××。×××〈××××××〉×××××××××××××××。

1月23日 曇り
 ×××〈××××〉×、×××××××××××××〈××〉×××××××××。×××××××××××××××。
 ××××××××××××。××××××××××××××××××××××。××××××××××××××××。

 ──。

1月27日 霙
 担当編集者の中川と打ち合わせをしたが、こいつ今まで俺の小説をちゃんと読んでから載せていたんだろうな。
 全く理解していないじゃないか。
 本当にこいつが担当だったか疑わしいくらいだ。

6.日記、最終ページ

1月28日 晴れ
 昼間に散歩をしていたら、何やらふらふらとした足取りで歩く男を見かけた。
 どこかで見たことがあるような気がしたが、全く思い出せない。
 じっと観察していると、奇妙なことに、そいつが通った足跡は一瞬でぐちゃぐちゃになる。
 真新しい雪の上を一歩進んだだけというのに、まるで何回か踏みつけてしまったかのように、そこには跡など何もないのだ。まるで黒い足跡のようだ。
 いったいどうなっているのか。
 問いただそうとその男に話しかけたが、そいつは「ボクはダレだ」と呟いていた。
 記憶喪失か何かだろうか。
 話が通じなかったので、仕方なくその場を後にした。
 そいつは黒い足跡をつけながら、ふらふらと、どこかへ行ってしまった。
 奇妙な男だった。

 そういえば『足跡』に関して何かネタになりそうな話を聞いたような気がするが、思い出せない。
 丁度ノートも終わることだし、日記を辿れば何か分かるだろうか。

 日記35冊目終了 佐藤幸一郎

 追記。
 おい、こら。
 1月20日から26日までの日記、黒く塗りつぶしたの誰だ。
 何度も上から書いてあるが、俺は全く知らないぞ。
 誰だこんなことしたやつ。
 まったく読めない。

 消されたのと同じじゃないか。

おしまい。

サポートしていただきました費用は小説やイラストを書く資料等に活用させていただきます。