たぶん、自己肯定感が高い方だと思う。
自己肯定感。
簡単に言うと「自分のいいところも良くないところも含めて、ありのままの自分を認められるか」ということ。
認めるも認めないも、現状の自分しか存在しないわけだし、その自分をちゃんと愛してやろうよと、能天気なわたしなんかは思うのだけど。
今の自分を作ってきたのはこれまでの自分だし、もし足りないところがあると思うなら、「思い描く最高の自分の状態」になるように変化していけばいいだけのこと。
これから変われるって、楽しみでしかないけどな。
自分って「自己肯定感が高いのでは?」と思えるポイント
◆「足るを知る」の気持ちが強い。
自分の限界を決めているわけではないけれど、
もっとやれると思っているし信じているけれど、
だけど今の自分は今の自分でよく頑張ってるじゃん! とか思えてしまう。
健康な体があって、パートナーも子供も元気でいてくれて、仕事も行けて、衣食住にも困らなくて。
なにより、朝「おはよう」ときちんと目が開けられる。
生きている!
これ以上の幸せがあるんだろうか? とふつうに思える。
上を見ればきりがないし、そもそも自分の生活や性格に適した程度のものに恵まれていれば他に何が必要なんだろう?
大事なのは、環境とか物質的なものではなくて、もうすでに自分の中に幸福がたくさんあることに気づくことじゃないのかな。
◆褒められた時、すぐ感謝できる。
照れながらも、わりあい素直に「ありがとう」と口に出せます。
だって、他人が褒めてくれているんだよ。
口に出さなくてもいいはずのことをわざわざ声に出してくれているのだから、きちんと感謝して受け取ります。
お世辞かも、とか気にしたり疑う必要なんてない。
褒める言葉はいい言葉、プラスな意味合いを持つ言葉に決まっているんだからそのまま自分の一部として受け取る。
嫌なことを言われたらシャットアウトするけれど、褒められる時に使われるいい言葉は今の自分を評価してもらっているものとして、ありがたく頂戴します。
褒められること大好き。
だって、嬉しいから!
一つ一つの褒められ言葉をそのままの意味で受け止め重ねていけば、ちょっと勘違いかと思うくらいポジティブな気持ちが生まれます。
でもね、人って勘違いしてでもいいから嬉しい気持ちでいる方が、絶対に幸福度が上がると思う。
◆相手と比較しない。
これはおそらく生まれつきの性格だろうと思います。
こんなふうに産んでくれてありがとう!
と母に感謝したくなるくらいです。
逆に言えば相手のことが気にならない、自己本位の性格ともいえるのでしょうか。
自分は自分でいいのに、あまりに他人を気にしすぎて自爆している人をよくみかけます。
「あなたにとって、あの人は関係ないじゃない? そんなことを比べてどうなるの?」
と、これまで何度言いたかったかしれない。
人の不幸の最大の原因の一つは「相手と自分を比較してしまう」。
間違いなくはこれじゃないかと思います。
そういう人って、相手のようになりたいのかな。
人が持っているものよりグレードの高いものを手にしないと気が済まないのかな。
不幸だ。あまりに不幸だ。
自分は自分だし、他人は他人です。
人と比べてもどうしてもかなわないことや分野ってあるので、自分の長所をみつけて伸ばすことに集中した方がいいのかも。
その分野で抜け出せば、相手よりも上にいけるんじゃないかな。
だけどそのレベルになれれば、そもそも他人と比較はしなくなっていると思います。
どうもココ、わたしの中から抜け落ちているので、誰かと比較して悲観している人に共感できません。
◆取り越し苦労しない。先のことを考えすぎない。
なるようにしかならない物事に対して心配しません。
先のことは想像しますが、取り越し苦労まではしません。
考えすぎることがない。
だって、誰が未来なんて予測、想像できるんですか?
今年コロナが流行するなんて想像できましたか。
東京オリンピックが延期になるなんて誰が予測できたでしょう。
今年やろうとなにかしらの計画を立てていた人も多かったでしょう。
せっかく入学した大学にまだ一度も登校できていないという学生もいるし、新入社員の中には春からずっとリモートワークという人もいるでしょう。
まさかこんなことに。本当にそう思います。
未来は不確実です。
そんな不明瞭なことのために心配してもあまり意味がありません。
目の前で起こった出来事に、ベストな手段を考えて対応していくしかありません。
まあ、いいか。
次はきっとうまくいく!
わりあい、こんな風に思うことが多いかもしれません。
わたしなんか今回のコロナ騒動を前にして、不謹慎にも
「今、自分は歴史に名を刻む禍と共存しているんだ」と何度思ったことか知れません。
「歴史として記憶されるこの瞬間に立ち会っているんだ!」
なんて、高揚さえしました。
人々が家にとどまり、がらんとした、まだ人が住みつく以前のように動きを止めてしまった世界の様子など、めったに見られるものではありません。
何年も後になり編集されるであろう、「あの時世界は~」なんていうドキュメンタリーを、老いてから見てみたい気がします。
要は、物事を面白がることが出来るのかもしれません。
◆適度に甘えられる。
甘えるのって人によっては勇気がいるんだろうな。
仕事でも、ここで頼んでしまえばいいのに、なぜ一言「よろしく」とか「お願いね」と言えないのだろうと思うことがしばしば。
自分が出来ないふりをして、相手に頼ってみると案外人って嬉しくなってやってくれるのに。
自分から相手に肯定していることを、演技でもいいからやってみればいいのに。
自分が少しへりくだると、相手も敷居を下げてくれる。お互い他人同士だし片意地張っていたらいつまでも平行線のままで同じ時間を過ごしても、同じ仕事をしていても両者の線が交わったり近くまでいくこともない。
相手の出方なんてどうでもいいから、少し甘えてみればいいのにな。
変なところにプライド持つ人が多すぎる。
甘えるって気のゆるみをみせること。
それは家族や恋人以外にはしちゃいけないのかな?
自分がゆるっとなれば、相手もゆるっとなるけどな。
◆人からの評価が気にならない。
いいことしか受け止めません。
悪いことはスルーします。
あ、それもわたしなので。とか思える。
ん? 鈍感なお調子者か?
◆少しのことに笑える。面白いことを発見できる。
笑顔を作るのを習慣づけたら、なんでも楽しみを見出すことが出来るようになっていました。
まったくお金も労力もかからずに、誰でもすぐにできます。
そしてできれば声を出して笑うこと。
嘘みたいに前向きになれます。
「笑いには効用がある」ってよく言うけれど、これは絶対にそうだと自信を持って言えます。
自分で実践して実感あるからなおさら。
笑うって、心に余裕がないと出来ないのかも。
それならなおさら、笑顔を作ってみるといい。
おかしいから笑うのではない。笑うから面白いものがみえてくる。
それは間違いなく自分の中に客観視できる余裕を作る。
そうやって笑える余裕が出来てくれば、少しずつでも自分を認められるようになると思います。
こんなことにも笑える自分、面白さを発見できる自分ってなんかいいな、ってなると思います。
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