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2月1日 日本で最初の市電はグリーン電力だった!?

今日は何の日?をビジネス視点で掘り下げ「頭の体操ネタ」にしています。
今日の「頭の体操」用質問例はこちら。

→電気で何ができるか誰も知らない時代に、多額の投資が伴う発電事業をなぜ、どのようにして成し遂げられたのだろうか?



1895(明治28)年のこの日、京都で日本初の路面電車が塩小路東洞院通~伏見町下油掛間6.4kmで営業を始めた「京都市電開業記念日」です。

意外と知られていないのですが、日本で初めて電車が営業運転をしたのは京都なんですね。
ちなみに東京で電車が営業運転するのは京都に遅れること8年後の1903(明治36)年です。もちろん東京に鉄道がなかったわけではなく、1882(明治15)年に東京馬車鉄道が開業しています(つまり「馬力」です)。

今、2050年までに温室効果ガスの排出を実質ゼロにするということで、グリーン電力が注目されていますが、実は、この京都市電は、水力発電によるグリーン電力で動いていたのです。

当時の京都は、1864(元治元)年の禁門の変により市街地の多くが焼失、さらに1869(明治2)年の東京遷都により人口が大きく減少するなど衰退の危機にあったのです。

1881(明治14)年に第3代京都府知事に就任した北垣国道が、産業振興による京都復興を狙って計画したのが「琵琶湖疏水」でした。

その名の通り、琵琶湖から京都へ水路を通し、水運(当時運搬は主に船でした)、上水道、灌漑を整備するものです。

この工事を指揮したのが、田邊朔郎という土木技師なのですが、同時期にアメリカ各地を視察、そこで見た水力発電所に実用性と将来性を感じ、疏水を利用した発電所の建設を北垣に提言したのです。

これによりできたのが蹴上発電所です。なんと今も現役で稼働しています。発電量は4,500kWで、約4,600世帯分の電力を賄えるそうです。

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この琵琶湖疏水、現在の京都の観光地にも影響を与えています。
例えば、南禅寺の水路閣(下写真)は疏水の水路ですし、インクラインというのは、疏水の目的の一つ、水運のために作られたものです。このインクラインの船の上げ下ろしの動力としても、蹴上発電所の電力が使われました。

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とはいえ、当時は電化製品もなく、電力の用途も限られていました。そこで、この電力を使う事業としてできたのが、京都市電だったのです。

→まだほとんどの人が電気で何ができるのか経験がない時代、多額の投資が伴う発電事業をなぜ、どのようにして成し遂げられたのだろうか?



最後までお読みいただきありがとうございます。
過去の投稿は以下にまとめていますので頭の体操ネタに覗いていただければ幸いです。


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