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#488 鳥取県立美術館の『3億円事件』〜《ブリロ・ボックス》購入にかかる議論から芸術評価の一般市民参加可能性について〜

鳥取県立美術館で起こったアンディ・ウォーホルの《ブリロ・ボックス》購入にかかる議論から、芸術評価への市民参加の可能性について考えたので、メモ。


1、『3億円事件』って?

すいません、そんな事件はありませんで、私の勝手な命名です(すいません)。

概要は、鳥取県が2025年の開館を予定している県立美術館の収蔵作品として、2022年9月にアンディ・ウォーホルの《ブリロ・ボックス》5個をおよそ3億円で購入したことに対して多くの賛否が巻き起こった、というものです。

ちなみに、《ブリロ・ボックス》とはこんなものです。

出典:鳥取県立美術館

写真の通り、「Brillo」と書かれた何かの商品のパッケージに見えますが、全くその通りで、アメリカの食器洗い洗剤、というか、スポンジというか、合成洗剤を含んだスチールウールで、アメリカの家庭で普及した商品のパッケージです。

そのパッケージのデザインを木箱にシルクスクリーンで精巧に印刷したのが今回話題となっている《ブリロ・ボックス》です。つまり、極論すると洗剤のパッケージをそのまま転写した箱5つに3億円、ということです。

で、「ポップアートとか意味すらわからない人が大多数」「地元でもっとメジャーになるものを県の美術館が掘り起こすべき」「3億円を高いと感じる人がいる」「なぜ5点必要なのか」といった、「ただの箱5つに3億円とは何事だ」という議論が巻き起こった、というのがいわゆる『3億円事件』です(繰り返しですが、私の勝手な命名です)。


2、なんで「事件」になったのか?

まず、購入のプロセスについて。
鳥取県立美術館のコレクション収集方針によれば、従来の「鳥取県の美術」に加え「国内外の優れた美術」、「同時代の美術の動向を示す作品」の2つが新方針として加わっています。今回の《ブリロ・ボックス》は新方針の「国内外の優れた美術」内で「戦後の美術・文化の流れを示す優れた作品」のうち「前衛精神を示す作品」として説明されています。当然しっかりと公表されています。
ということで、プロセスに特に問題はありません。

次に、なぜ議論になったのか?を考えてみましょう。
先ほどのような収集方針やプロセスは他の多くの公立美術館にも設けられていますが、その前提として「芸術作品に関する価値判断は一般市民には分からないので専門家・有識者に任せる」というものがあります。

つまり「分からない」はずであった芸術作品の価値判断に一般市民が能動的に参加し意見を表明した、ということです。
これは、県立美術館という地域住民が納税という形で自分ごととして関わる施設で、しかも3億円というインパクトのある購入作品であったことが要因として考えられるでしょう。

例えば、これが現代芸術を収集している個人の購入であれば、金額面で話題にはなったかもしれませんが「ただの箱5つに3億円とは何事だ」という議論にはならなかったでしょうし、今ほど幅広い年齢層が議論に参加したとも思えません。

この辺りが、「事件」となった要因と考えられます。


3、芸術評価への「アートワールド」から「一般市民」への移行の可能性?

そもそも《ブリロ・ボックス》が1964年4月にニューヨークのステイブル・ギャラリーに展示された際にもほとんどの人はこれを芸術とは認めようとしなかったとされます。

一方で、同作品をみた美術評論家ダントーにとっては「芸術の終焉」という哲学的な問いへと導くだけの重要な作品であり、ゆえに現代美術史上も重要な作品とされています。

つまり、同作品が世に出た時と同じような大多数の拒絶反応と少数の高い評価という2つの反応がまさに今、鳥取県で起こっていると考えることもできます。

ただし、当時と大きく異なるのは《ブリロ・ボックス》はダントーが「アートワールド」(芸術作品の評価を決めるのは誰?という問いに対してのダントーが出した答えで、誰という個人ではなく、「アートワールド」という批評家や美術史家といった専門家集団の総意のようなものが評価を決めるのだとしたもの)と表現した層に波紋を起こしましたが、今回は「アートワールド」内ではすでに芸術として評価が確立しているものに対して、一般市民が異を唱えたということです。

つまりは、芸術作品評価に対する「一般市民の反乱」(というと大袈裟ですが、参画、ぐらいでしょうか)とも言える動きが今回の『3億円事件』にはある気がしています。

「アートワールド」側からするとその特権的な地位が脅かされて困るのか、というと、今回、「アートワールド」側としては、鳥取県立美術館(とその収蔵品選定委員の方々)が当たると思いますが、実は大いに歓迎しているのではないか、と思います。

なぜなら、収集、保存、調査・研究、展示・教育の機能を持つ美術館が、芸術とは何か、というテーマを図らずも広く一般市民を巻き込んだ形で議論するという大変効果的な「教育」のきっかけを作った、と考えることもできるのではないか、と感じるからです。

実際、同県の平井知事は「議論をすることで、子どもたちやいろいろな世代の人の美術に対する理解が深まり、美術館を作った意義が逆に生まれるのではないか。県が保有し展示し続けることが是か非か、来館者や県民に投票してもらって3年くらいかけて判定するのでがよいのではないか」とコメントしています。

SNSでさまざまなカテゴリで一般市民とも言える人々が評価を定めていく、そんな流れが芸術評価でも本格化するかもしれない、という可能性を感じました。


4、まとめ(所感)

いかがでしたでしょうか?

鳥取県立美術館の《ブリロ・ボックス》購入をめぐる議論は、芸術の評価に来館者や県民といった一般市民が参加するという「アートワールド」の拡大、あるいは、芸術の評価への市民参加の可能性を示す出来事だと感じました、というメモでした。

こうしたことを通じて公立美術館の地域への浸透拡大や市民の関心が高まるのであれば大変意義のあることかな、と思う一方で、芸術価値判断にポピュリズムが入り込むことや金額だけの議論になる恐れもあるなぁ、とちょっと心配にもなりました。

ただ、知事のコメント見ていると、日本の政治家にしては(失礼)、迎合せず、しっかりと本質を捕まえているように感じて、数年後に同美術館が開館した時が楽しみになりました。


最後までお読みいただきありがとうございました。

ニュースを聞いてからつらつらと考えていたことをメモにしましたが、いきなりダントーが出てきたりして(これ書くとさらに長くなるので割愛しました)ちょっと分かりづらいかもしれません。個人的メモということでご容赦ください。

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