見出し画像

ベンチャーだった頃の百貨店は駅まで作った!?

本日は三越で日本初のファッションショーが行われた日ということです。
(今週の雑談でも触れていますので詳しくはこちらを)
調べてみると、日本で誕生した頃の百貨店というのは、今イメージするものとは全く違う、革新的なビジネスモデルだったんだな、と思ったので個人的趣味も交えてメモ。


1、まずは時代背景を。

今、百貨店、デパート、というと、どういうイメージでしょうか?

数ある小売業態の一つ、高級品中心の品揃え、デパ地下、等といったところでしょうか。

越後屋の業務を三越が引き継いだ1893年(明治26年)頃、小売の業態としては、いわゆる個人商店が中心でした。魚屋、米屋、八百屋、というイメージです。

そして、呉服屋というのは、座売りと言って、畳の上に上がって、反物を広げて見せてもらって選ぶ、という形式でした。当然履き物は脱ぎますので、店が預かってくれます。

今から想像できないですよね。

そんな時代に、陳列方式を取り入れ、履き物を履いたまま商品を見て回れるようにする、というのは相当画期的だったことが分かります。

ショーウィンドウと言うのもこの頃百貨店で初めて導入されたそうです。

ファッションショーと言うのも見たことも聞いたこともない時代に行ったわけですから、今で言うとVRのショーをまだVRを経験したことがある人が日本にいない時にやるようなものでしょうか。


2、今のイメージとの大ききな違い

百貨店というのが今もあるのでどうしてもそのイメージに引っ張られ、高級志向に思えますが、当時は一ヶ所でいろんなものが揃うところはありません。

ですので、実は一般消費者がメインターゲットだったのです。どっちかというと昔の大きなスーパーと言った方が近いかも知れません。

豪華な建物は商圏を広くするための工夫、いわばマーケティングでした。


3、地下鉄の駅を作ってしまう!?

地下鉄の銀座線に三越前駅という駅がありますが、これは文字通り、日本橋三越に直結しています。

これは、当時、浅草から上野まで開通したものの新橋までの工事費が捻出できずに困っていた事業者に工事費を出すので直結&駅名をという条件で作ったものです。

今の10億円に相当する金額だったそうです。

これに焦った他の百貨店も同様の申し出をしたそうで、例えば上野松坂屋も同様に申し出たものの、既に工事が終わっていた上野駅と末広町駅の間だったため、急遽、上野広小路(松坂屋前)駅を設けることになったそうです。

そのため、上野駅と上野広小路駅との間は500mしか間隔がありません。

当時の百貨店業界のとんでもない勢いが感じられるエピソードですよね。


4、まとめ

今日は祝日ということで、完全に趣味の「鉄分」の多い投稿になりました。

歴史鉄なので、また機会があれば。

東京の鉄道の歴史は面白いですよー。


最後までお読みいただきありがとうございました。

なんの参考にもならなかったと思いますが、ご容赦ください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?