#513 「セザンヌはキュビスムに影響を与えた」は誤解!?〜アーティゾン美術館〜
アーティゾン美術館『ジャム・セッション 石橋財団コレクション×山口晃』で衝撃の気づきをもらったので、メモ。
1、どんな展覧会?
9月9日から11月19日まで、アーティゾン美術館で行われている展覧会です。
見どころ、を引用します。
正直申し上げて、時間が空いたのでどっか行くところないかなぁ、という感じで、フラッと訪れたもので、あまり「これ見たい!」というものではありませんでした。
どちらかといえば、同時開催の以下に期待していました。
(相変わらず3つの企画展同時開催という力技…さすがアーティゾン…)
2、セザンヌとキュビズムのベクトルは「真逆」!?
そんな中で、順路上、3つの企画展の最初となる、『ジャム・セッション〜』、気軽な気持ち(流し気味)で見ていく中で、衝撃を受けたのが、こちら。
山口晃さんがセザンヌ理解に向けた自由研究をした、というコーナーに掲げられたパネルの一つです。
脈略なくて申し訳ないのですが、パネルの左側に以下のような記載があります。
いかがでしょう?
私の理解では、ピカソやブラックがはじめたキュビスムに影響を与えたものの代表的な二つとして挙げられるのが、セザンヌとプリミティヴィスム(非西洋の作品)なのです。それを根底から覆すことが書いてあるのです!衝撃!
その際取り上げられるセザンヌの作品がこちら。
画面中央左の皿の向きと、その上の皿の向きに違和感を感じるかと思います。これは、キュビスムの特徴の一つである、同じ画面に複数の視点から見た姿を描いた、いわゆる「多視点」という影響を与えた、とされている作品です。
その点についても、山口晃さんは以下のように述べています。
つまり、セザンヌとキュビスムのつながりとして最も特徴的される「多視線」を真っ向から否定しているのです。
既存の私の思い込みが、ガラガラと音を立てて崩れました…
衝撃…
3、まとめ(所感)
アーティゾン美術館に行ったら、思いもよらない衝撃を受け、既存の思い込みである、「セザンヌ=多視線や単純化という点でキュビスムに影響を与えた」が崩れました、というメモでした。
ただ、正確にいうと、セザンヌがキュビスムに影響を与えたことは、間違いではなく、キュビスムがセザンヌを誤解したから生まれた、ということでした。影響を与えたことは間違いないが、誤解だった、というわけですね。
間違っていたのは、我々の(私が学んだのは複数の美術の教科書や解説書なのでまぁ、我々と言っても良いかと)セザンヌの解釈で、山口晃さんはセザンヌは多視線ではないし、単純化も、対象物をよく観察した上で単純化したのではなく、対象物に近づきすぎないために編み出した手法だ、と解釈しています。
どちらが正しい、というところはセザンヌさんに聞かないと分かりませんが、山口晃さんの説明は、セザンヌの作品を実際に模写したり、アトリエに足を運んだり、その作品のモチーフとなった風景を実際に見たりした上での実感、というところに、単なる技法を観察して共通点を導き出すよりも強い根拠を見た気がします。
その点が、衝撃を受けたもう一つでした。
というのも、よくある説をそのまま鵜呑みにするのではなく、自分なりに理解するために試行錯誤した上で、自分なりの実感として消化し、解釈する、という姿勢です。
普通は教科書に書いてあれば、そういうもの、として受け入れてしまいますが、本当にそうなのか、なぜそう言えるのか、という点まで含めて咀嚼し理解しようとする姿勢は、特に今の時代のように「当たり前」や「常識」が動いてしまうような時には必要とされること、なのではないか、と思いました。
他の山口晃さんによるパネルもそんな「当たり前」や「常識」を疑う内容が多くありました(日本橋の上の首都高撤去議論に関するものもあり、面白かったです)。
またまたアーティゾン美術館にやられました、というメモでしたが、どこか参考になるところがあれば嬉しいです。
アーティゾンに関しては以下の投稿もしておりますので、ご参考まで。
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