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宝箱   3.パプリカ爺さん

 フィンランド在住14年。子ども達に軽度の障害があり、細々と執筆の仕事を続ける以外、職業人としてフィンランド社会に入る機会が得られなかった。福祉の国の無料の医療とリハビリの甲斐があって、無事に子ども達が就学すると、私は「ラヒホイタヤ」という福祉の総合資格を取得する道を見出した。その資格があれば保育士や介護士や、次男が保育園でお世話になった障害児のアシスタントとして働けるようになる。

 ラヒホイタヤ養成コースは二年で修了することができ、一年目保育、介護、障害者ケアの三部門を網羅し、それぞれの分野で約一か月の実習がある。私はその介護実習の時に生まれて初めてフィンランドの老人ホームで働く機会に恵まれた。

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実習先のホームの入居者は、パーキンソン病や認知症で日常生活が立ち行かなくなった人達だった。彼らは毛色も肌色も違う私に、身体を触らせてくれ、体重を預けてきた。車椅子から立ち上がったもののどうやって肘掛け椅子に移ったらいいのかわからなくて途方に暮れるお婆さんを手伝うのに、私も介助の手順がわからなくなって途方に暮れて、抱きしめ合って笑うことが何度もあった。

 手が届かないので自分で手入れができない高齢者の足の爪は伸び放題。変形して緑に変色した爪という、生々しい老いの姿を目の当たりに、私はにじみ出る涙をこっそりぬぐいながら、フットケアの仕方を教わった。

 慣れてくるともっと状態が悪い人達のお世話もするようになった。目に入るものすべてに驚きながら「アイヤイヤイヤイヤイ!」と叫びながら徘徊するお婆さん、車椅子ごと体当たりしてテーブルを押し続けるお爺さん、自分はまだ戦場にいるのだと信じて「アプア~!(フィンランド語で助けてぇ~!)」と叫ぶお爺さんなどがいる。

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呆然としていると、「ホイタヤ(介護士)!」と叫ぶ声がした。目がよく見えないらしく、テーブルを凝視したまま「ホイタヤ!」と叫び続ける声の主に「どうしましたか?」と声をかけると、お爺さんは「君の名は?」と聞く。「サチコです」と答えると、「え⁈」と驚く。

 そこで私はゆっくり大きな声で「サ、チ、コ」と繰り返した。それでも何度も「は⁈」と聞き返され、そろそろ適当に簡単なフィンランド人の名前でもでっち上げようかと思いだしたころ、ふいにお爺さんは私の顔を見据えて「おお、パプリカか!」と叫んだ。全然違う。

 彼はなおも私の出身地はどこか、日本の中でもホンシュウかキュウシュウか、日本の人口は何人かと質問してきてはアカデミックな会話を楽しんだ。やがてそれだけでは飽き足らず、「ところでパプリカは日本でも育つの?本当はスペインが出身地なのでは?」などと鋭い質問も投げかけてきた。

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 お爺さんはその後何度も私を呼び止めるようになった。認知症なので毎回名前を聞かれ、何度名乗っても「パプリカ」と呼ばれるので、そのうち自分から「パプリカです」と名乗るようになった。するとお爺さんは私が何色のパプリカなのかも知りたがる。私はガチで野菜なのだ。困ったものだと思いながら適当に「赤、です」と答えると「うん、赤が一番甘いからな」と納得し、「それはあだ名?まさかパプリカが本名ではあるまい」と深く追究する時もあった。スリリングこの上ない。

 六週間の実習期間を終えて、実地検定が始まった日の朝、介護士長が大きな声で私を呼んだ。「さぁ、パプリカ!検定試験を始めるわよ!」「はい!」家の外であだ名をつけられてフィンランド人の輪の中で仕事をするのは、これが初めてだった。在住十四年。閉ざされていた扉が少し開いた一瞬だった。

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※本高は月刊『潮』2018年12月号掲載分に加筆改定を加えたものです。素敵な編集者さまに恵まれて、のびのびと書かせていただきました。

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