鬼、もしくは山姥、山の民

かつて、技術がまだ普遍的な知識として存在していなかった時代。
技術者は日常からかけ離れた存在として認識された。
そもそも、姿形が人間だからといって、自分の仲間とは認識されることも少なかった時代のこと、技術者は「人外の物」として恐れられた。
時がたち、徐々に技術が知識体系として整備され「学ぶ」ことが可能になるにつれ、技術者を包んでいた「ベール」がほどけ始める。彼らは山を下り、里に入り、人と交わるようになる。
このとき、彼らが纏っていた「ベール」はどうなるか。
技術が知識として認識されるようになり、いつしか過去の遺物として風化していくものもあっただろう。
けれどなかには、ベール自体が独立して言い伝えや民話、童歌のなかに存在し続けることもあっただろう。
かつて技術者がまとい、彼らが歴史の中に身を投じる際に脱ぎ捨てた「ベール」、これもまた鬼のルーツではなかったか。

鉱脈を求めて常に山をわたりあるき、砂鉄を得るために岩肌を削り川へ流し、時に地の底へ通じる坑道を作る「山の民」。平地で農耕を営む者たちとの間で、恐れから、或いは水や山の資源を巡ってか、争いがあったことは想像に難くない。昼夜無く火を使い、一所にとどまらず、山の木を刈り尽くし、川の水を汚す。時には平地に下り、山では手に入らぬ作物や、時には女性や子供も攫ったりしたかもしれない。
平地の民が知らぬ神に祈りを捧げ、供物を供え、高温の火を扱うために片目片腕の障害、たたらの踏みすぎで片足を失うことすらあっただろう。
そんな「山の民」は、平地の民からみれば「得体の知れない異形の集団」であり、そのなかに「鬼」の原型を見たかもしれない。
製鉄の際にでるスラグ(鉱滓あるいは金屎)はかつて「堕胎薬」として用いられた。下界との交流で「生まれてはいけない子供」が出来たとき、それを処理したかもしれない。彼らが去った後に胎児の骨が見つかれば「人食い」の伝承もここにつながるかもしれない。(→黒塚の鬼婆)。処理をしたのは女性だったかもしれない。鉱物を求め山を駆ける男たちに従い、医師或いは呪い師としての役割を担った女性がいたかもしれない。西洋の「魔女」たちのように。
薬品を扱い、経験的に医学を学び、時に人に言えない処置を施す女性。山姥のイメージと重なりはしないか?

お化けと言い、妖怪と呼び、化生と指す。「怪しく」「面妖に」「化けた」ものが妖怪であるという。
化けるとは、なんであろうか。猫が「化け」れば猫又に、タヌキが化ければ化け狸。蛇が化ければ夜刀の神。動物だけではない、山のちりが積もれば山姥に、川の淵が凝れば河童に、海の波が泡立てば海坊主に。いやいや、人間が作った物だって。琴が化ければ琴古主、琵琶が化ければ琵琶牧々、障子が化ければ目目連、家が化ければ迷い家に。
この世にあるすべては「化ける」。「かつてそうであった物が、そうでいられなくなったこと」を指して「化ける」という。
では、人間は?人間が化けるとどうなるのか?その答えが「鬼」ではなかったか?人として生まれながら、人であることに耐えられなくなったとき、「鬼」になるのではないか?

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