人権は、社会システムとして機能しているか?。
現代社会学において政治制度を分類する時には、その制度が何を基本に置くかで名称を決定しています。資本主義・共産主義・社会主義などにです。
では多くの人が政治を語るときに「人権」と言うワードを使いますが、社会制度として人権を政治の基礎に置いた政治制度や政治思想があるか?考えてみました。
実は「人権」と言う思想は、二種類の異なる成り立ちを持っています。最初に人権が制度化されたのは、古代民主制の元祖とも言えるアテナイで「人権は市民限定」です。古代ギリシャが都市国家群で構成された大きな要素なのですが、市民権は両親が該当都市国家の出身者でないと認められないのです。永世の奴隷制度も存在したので政治参加の権利を含めると人権を認められていたのは市民階層の男性だけです。
習慣法を基礎に成分法を作り上げて民主政治を構築したアテナイでは、王政を打倒した後に民主制を選択しました。現代の普遍的人権思想から見ると制限された人権範囲を持つ制度です。古代では社会の変化と共に習慣法は成分法に取り入れて人権が認められて行きました。
ギリシャ文明の影響を受けたローマ共和国では、開放奴隷制度による奴隷身分の財産権と市民権獲得への道が開かれています。又、植民地とでも言うべき属領の民でも属領軍でキャリアを積むとローマ市民権が獲れました。これは、ローマが都市国家だった王国時代から侵略併合した都市国家の市民にも希望する人にローマ市民権を与え拡大を続けた慣習が大きく影響を与えています。この同化政策はイタリア半島統一まで継続されました。古代において戦争の敗北は、都市国家に住む全ての市民の死か奴隷化と同義でした。
もう一つの近代人権は王権の否定を正当化する道具として憲法に制定されました。フランス共和国・アメリカ合衆国共に絶対王政の支配を否定する為に成立した国家です。
人権宣言がそれに当たりますが、当時は奴隷制度が両国で合法でした。普遍的人権を掲げていますが明確な身分制度と差別が存在して社会制度としては、古代ギリシャのアテナイと大差ないです。
「フランス人権宣言」
無論、フランス共和国アメリカ合衆国共に奴隷制度廃止と女性参政権導入を後に行なっています。しかし、アメリカの奴隷解放は南北戦後の1865年の憲法修正により正式成立しました。これは、憲法修正条項に権利章典を追加した1791年から70年以上の歳月を費やしています。
フランスは政権交代で解放と再奴隷化を行い最終的に奴隷制度廃止を決定したのは人権宣言発布の1789年から50年以上過ぎた1843年です。これは、明治維新(廃藩置県成立年)1871年のわずかアメリカで6年前フランスで28年前まで永世奴隷制度が合法でした。
これらの歴史的事実を知れば「人権」が政治制度上の運営に置いて発展途上であり。各国の憲法・法典での取り扱いが温度差が存在する事実を鑑みると「人権」とは発展途上であり普遍的概念でないと私は考えます。この文章を読まれた方は如何が考えます?。
SNSでの議論やスペースでの意見交換を通じて新たな見方を探索しています。変だな?と思われたら貴方の人権論を教えて頂ければ幸いです。