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学校は人間関係を学ぶ場所?

今日は、「学校は人間関係を学ぶ場所、塾は勉強を学ぶ場所」の言葉について話をしたいと思います。
こんにちは、くつばこのうたです。4月になくしたとnoteのはじめで書いた、片耳だけなくしたイヤホン、やっと見つけました。感動の再会です笑

☆学校は人間関係を学ぶ場所、塾は勉強を学ぶ場所

皆さんは、「学校は人間関係を学ぶ場所、塾は勉強を学ぶ場所」というのは聞いたことありますか? うたは、割と親から何度も言われた経験があります。だいたい、学校の授業が知ってる内容ばかり、とかそういったことを家で言うと決まって言われていた印象です。実際、塾の方が基本進んでいるのですが、塾では人間関係はそんなに深くないというか、協力して何かをおこなうとかはあまりないので、人間関係は学校での方が学びやすいのは事実でしょうね

☆でも、一回立ち止まって考えてみて

この表現に対して、小学生のころは深く考えずに「そうだな」とか思っていたんですけど、ここ最近「おかしくない?」って思うようになりました。皆さんも、おかしいと思う理由を少し考えてみて下さい。おかしいなって思う理由は思いつきましたか?

☆みんなが塾に通える?

ということで、ちょっと考えてほしかったのは、塾に通える児童は一部じゃないの?ってことです。国立・私立中学に進学する児童は東京都でも20%。都立中高一貫校をいれてもそんなには増えないでしょう。もちろん、塾に行ってても中学受験はしない児童もそれなりにいますけどね。だとしたら、学校は人間関係を学ぶ場所ではなく、勉強と人間関係を学ぶ場所であるべきなんじゃないですか? 多分、学校も勉強を教えてるじゃないか、みたいな反論をする人は多いと思うんですけど、学校の勉強だけでそれなりに上位の高校に進めると思いますか? 正直、中学受験はほぼ100%無理ですし、高校受験だって塾に行ってる人が上位の学校ではほとんどなんじゃないですかね。

☆だとしたら、学校でもっと勉強を教えたほうが…

貧困の連鎖を無くすためには、勉強をするのがやっぱり手っ取り早いと思うんですよね。もちろん、芸能界で成功するとか、本当の一流のスポーツ選手になるとか、他にも高卒で事業に成功したりとか、そういったことで貧困から抜け出すことは出来ると思いますけど。でも、確率的にはほとんどないと言ってもおかしくないくらい低いんですよね。だとしたら、学校教育でしっかりと勉強を教えるとか大事なんじゃないですか。

☆今すぐにはどうにもならない

だからと言って、今すぐどうこう出来るかと言われると難しいですよね。正直、学習塾みたいに習熟度別にしっかり分けるとかは出来ないですよね。小学校の標準クラス数は1学年3クラスですし、小学生のころからすべてを習熟度別にするのも違うとは思うんですよ。どうにかして、機会の平等を実現させれるようなことってできないんですかね。具体的な案はあんまりちゃんと思い浮かんでません。まあ、悪いことを言うと、うたは塾にしっかりと通った側なので、機会均等になってないことで楽をした側ですから、今のままでもいいんですけどね。

ということで、今日は「学校は人間関係を学ぶ場所、塾は勉強を学ぶ場所」について話をしました。学びの機会均等って、どうすると達成できるんですかね。


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