2.一匹の家畜(2/2)
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2/2
* * *
日与がドローンに続いて外壁を飛び越えると、路肩に軽自動車が待っていた。
ドアが開いて若い女が顔を出す。
「こっちです! 急いで!」
日与が後部座席に転がり込むと軽自動車はロケットスタートした。
すぐにけたたましいサイレンとともにカトリ警備保障社の警備車が数台、あとを追ってきた。
女は窓から身を乗り出して閃光手榴弾を投げつけた。
カッ!!
すさまじいフラッシュに目を潰された先頭の警備車がスピン! そこに後続が次々に追突する!
サイレンが遠退いていくと、女はふうとため息をついて車内に引っ込んだ。トレンチコート姿で、防霧マスクで顔を覆っている。
日与は聞いた。
「で、お前は誰なんだ?」
「ちょっと待って」
彼女は防霧マスクのフィルタを交換し、エアコンのボタンを押した。
奇妙な臭いの空気が車内を満たすと同時に、日与の体は凍り付くように痺れていった。
(ガス!? しまった!)
強靭な肉体を持つ血族にこの手の毒は効きにくい。だがそれは万全の状態ならばの話で、日与は体力を消耗しすぎていた。
日与はもがくように宙に手をさまよわせた後、座席に沈んでいった。
小一時間ほどしたのち、朦朧とした日与は車が廃墟ビルの裏手に停まったのを感じた。
女は日与を車から引きずり下ろし、ビル内へと担いで行った。
* * *
気がついたとき、日与はがらんとした廃墟オフィスにいた。
パイプ椅子に座らされ後ろ手に手錠をかけられている。
体を見下ろすと、そこには見慣れた体があった。もともとの日与の体、つまり人間の体だ。
(元に戻ってる……)
テーブルを挟んだ向かいの椅子にさっきの女がいる。
二十代の後半から三十代の前半くらいだろうか? 銀髪の美女で、カミソリのように鋭い目をしていた。
「気がつきましたか」
日与はからからに乾いた喉で答えた。
「食べ物をくれ。豆か穀物」
「お腹減ってるの?」
「食べたいんだ」
女は立ち上がり、段ボール箱から豆の缶詰を持ってきた。
女が蓋を外して日与の口に中身を注ぎ込むと、日与は水のように一気に飲み込んだ。
日与はたちまち全身に体力が戻り、力がみなぎるのを感じた。
血は記憶している。
血族は家系ごとに好物があり、それを摂取することで回復力が飛躍的に高まるのだ。鳥人の血を継ぐ血羽の場合は穀物、豆類である。
女が言った。
「あなたの兄弟はこちらで保護しました」
その言葉を聞いた瞬間、日与は爆発しかけた。
彼は必死に自分を抑えた。明来が向こうの手にあるなら下手に動いてはならない。業火のような怒りを込めて相手を睨む。
女は日与が話を聞くつもりになった様子を察した。
「私は佐池《さいけ》永久《とわ》。天外市警の警部補です」
彼女は警察手帳を見せた。
「あなたが眠っているあいだに指紋を照合させてもらいました。石音日与くん。何度も補導されてますね。最初は十二のとき」
「ああ……あのときか。兄貴をオカマ野郎って言いやがった野郎にちょっとな」
「睾丸を蹴り潰すのが〝ちょっと〟?」
「そいつにオカマ野郎の気持ちをわかって欲しくてさ」
日与はその当時を思い出して唾を吐いた。
永久は続けた。
「あの廃車置場は以前からずっと監視していました。血族の製造所だと睨んでいたんです。日与くん、血族と呼ばれている存在に会いましたね?」
「ああ」
「彼らは血盟会という名を出しませんでしたか?」
「知っているのか?」
永久は唇を舐めた。
「あまり多くは。職務中、人間の仕業とは思えない痕跡を何度も見ました。だけどそれらは決して表沙汰にならなかった。市警上層部が闇に葬っていたからです。おそらくは血盟会の命令で」
日与はひと息に手錠を引きちぎり、片手でテーブルをひっくり返した。
テーブルは壁にまで飛んで行き、ぶつかってばらばらに砕け散った。
日与は雄鶏頭の姿と化した!
「ふざけるな!! お前らは連中と繋がってるってことだろうが!」
永久は微塵も動じずに続けた。
「そうです。天外市警はツバサ重工の使い走りです。だけどわたしは違う。市《まち》をヤツらの支配から解放したいのです。日与くん、協力してくれませんか」
「どうやってお前を信じればいい?」
「私があなたを信じているということを信じて欲しい。ドローンで見ていました。あなたは人間を一人も殺さなかった。あなたは血族だけど人の心を残している」
「……」
「信じてくれますか」
日与は腕組みをし、相手を燃えるような眼で睨んだ。
「兄貴に会わせろ。もしあいつが無事でなかったら、俺が最初に殺す人間はお前になるぞ」
* * *
「日与」
車を降りた明来は、待っていた日与を見て小さく笑った。
いつものように何か軽口を言おうとしたが結局何も思いつかなかったらしく、代わりに弟を抱いた。
日与が年上の少年にさんざんに痛めつけられながらも、睾丸を蹴り潰してやった後と同じように。
「明来!」
日与は安堵のあまり体中の力が抜けるのを感じながら強く抱き返した。
「平気だったか」
「ああ。いきなり刑事が来て、日与がヤバいことになってるから来てくれって言われてさ」
「とにかく無事でよかった」
「よかった。うん」
ここは郊外に出る途中の、寂れた住宅街にある廃倉庫だ。
日与は永久の運転する車で連れて来られ、明来を連れてきた車は永久の仲間が運転している。
明来が言った。
「何がどうなってんだ?」
「俺にもよくわからないんだ」
日与は永久と打ち合わせた通りに説明した。
「ツバサ系列の工場で事故があってさ。ツバサは俺を犯人に仕立てて賠償金を被せようとしてる」
「何で? お前、学校に居たんじゃないのか?」
「色々あったんだよ。市《まち》に残って無実の証拠を探すから、それまで兄貴はあの人たちの厄介になってくれよ。療養所サナトリウムに入れてくれるから」
当然ながら明来はいぶかしんだ。
「それで納得しろってのか?」
「明来……」
「ちゃんと説明するまでここから動かねえぞ。だいたいお前ひとり残ってどうすんだ? 公共料金の払い方とかわかんのかよ?」
「明来!」
日与は震えながら目に涙を滲ませて兄を睨んだ。溜め込んでいたものが堰を切ったように溢れ出していた。
「何でいつもお前は! 俺はな、お前の! 俺……俺が! 俺は……! クソッ」
「……」
しばらく明来は日与を見ていたが、頭を掻いてため息をついた。
「わかった! わかったよ! 言う通りにするから。いいか、近いうちにちゃんと説明しろよ。連絡するから」
「うん」
日与は涙を拭って鼻をすすり、兄の差し出した拳に自分の拳をぶつけた。
明来が車に乗ると、永久が運転席に身を屈めて知り合いの女に「お願いね」と囁いた。
明来は身元を偽造して市外の療養施設に入れると永久は言った。そこが一番安全だという。
明来を見送ったあと、日与は高台から市《まち》を見下ろした。
地上を埋め尽くす工場群のライトアップ、あちこちで見かけるツバサ重工の社章、繁華街のネオン、天外市警のサイレンの音、ギャング抗争の銃火……
汚染霧雨に滲んだ天外の光は、あらゆる繁栄と退廃を飲み込んでいる。
「本当に守る価値があるのかしらね」
後ろに立った永久が言った。
「こんな醜い市《まち》を」
「さあな。俺はやられっぱなしじゃいられねえってだけだ」
「隠れ家に案内します」
(偽名がいるな。血族としての名前か……)
日与はふと思い出した。健在だったころの父に自分の名の意味を聞いたとき、彼はこう答えた。
(((お前は夜を終わらせる者。鶏鳴《けいめい》のごとく朝の訪れを知らせる者……)))
(続く……)
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