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8.龍伐湾の怪物(3/5)

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3/5

* * *


 翌日、昼。

 漁民たちは船着場に集まり、のろのろと被害を調べていた。

 みな自分の船だったものの残骸が海を漂うさまを見下ろし、遣る瀬無くしている。

 日与と昴が片付けを手伝っていると、刀蔵がやってきた。

「あんた、もう動いていいのか?」

 日与が言うと、刀蔵はいつものようにぶっきらぼうな様子で言った。

「おう、組合長を呼んで来い。そのへんにいんだろ」

「パシリにすんじゃねえよ」

 と、言いながらも日与は検分に来ていた漁業組合長を呼んできた。七十過ぎだが現役の漁師で、歴戦の戦士めいた険しい顔付きの老人だ。組合長はため息をつき、潮焼けした顔をしかめた。

「みんな沈められちまった。灰坊水産の案に乗ったほうがいいかもな」

「そんなことしたらこの漁場は終わりだぞ!」

「さんざん酒食らって仕事サボっといて今さら地元愛に目覚めたってか、えぇ?! おめえがそんなこと言える立場か!」

 刀蔵は決然と言った。

「俺たちで呑龍を獲る」

「また酔ってんのか!? 船がねえんだぞ!」

「本気だ! 来てくれ、見てもらいたいものがある。おめえらガキどももだ」

 三人は刀蔵に案内され、港にある倉庫へ向かった。

 刀蔵は鍵で倉庫のシャッターを開けた。中にはシートをかけられた大きなものが置かれている。

 刀蔵がシートを取ると、それは漁船だった。小さな戦艦めいていて、甲板の回転台に砲座が据えられている。古いがきちんと手入れされていた。

 組合長が驚いた様子で目を見開いた。

「こりゃ、おめえが昔乗ってた鯨撃《げいげき》船じゃねえか」

「どうしても手放せなくてな」

 刀蔵は隅に置いてある木箱に顎をしゃくり、日与に中身を取ってくれと頼んだ。

 日与は木箱を開け、おがくずの中に入っていた鋼の銛を持ち上げた。槍と言ったほうがよく、ほぼ日与の身長と同じ長さがあり、ずっしり重い。先端部分は鋭利な三角錘型をしていて、自動車のドアくらいなら紙のように貫通しそうだ。

「こいつは鯨鬼《げいき》ってえ異態生物の漁の船だ。俺のオヤジから受け継いだもんだ」

 刀蔵は銛の先端に触れながら日与に言った。

「こいつが鯨鬼にブッ刺さると、この先っぽが花びらみたいに開いて抜けなくなるって寸法だ。そんで電撃を食らわせる。鯨鬼ってのは信じられねえほどタフなんだが、こいつなら一発で腹向けて浮かび上がってきた」

 木箱に入っている別の銛を見ながら、昴が言った。

「この銛、呑龍に刺さってたやつじゃない? 同じのを見たよ」

「ああ。俺も見た」

 昴と日与は視線を刀蔵に向けた。刀蔵はばつが悪そうに組合長に促した。

「話してやってくれ」

「まったく、自分の口じゃ言えねってか! ガキのころから何にも変わってねえよ、おめえは」

 腕組みしてひと呼吸置いてから、組合長は話し始めた。

「もう何十年も前だ。刀蔵のオヤジたちが乗った四隻ばかりの船が鯨鬼漁に出てた。そろそろ帰ってくるってえ頃合に、湾の入り口あたりでこの船が見つかった。たった一隻、無人でな。浮いているのがやっとってえ有様だった。そんなことができるのは呑龍だけだ」

 組合長は目を細めた。

「刀蔵は復讐に取り付かれた。まるで死にたがってるようだったよ。何年か前にまた呑龍が出たとき、直したこの船で挑んだ。だが逆に足を食われて、漁師を辞めざるをえなくなった。それからは酒びたりってワケよ」

 刀蔵は腕組みし、確信した視線を船に向けた。

「前のじゃ電撃が足りなかったんだ。こいつは電圧を三倍に改造した。次こそやれる! 俺だけじゃ手が足りねえ。組合長、あんたも昔は鯨鬼を獲ってたんだろ?」

 組合長は厳しい顔で頷いた。

「ま、昨日のアレでおめえのことを多少は見直したしよ……このまま灰坊水産の思い通りってのもシャクだしなあ」

「そうだ! この町のガキどももいずれ漁師になるかも知れねえんだ。俺たちが海を守るんだ!」

 日与が「俺も行く」と名乗り出ようとしたとき、ほぼ同時に昴も手を挙げて大きな声で言った。

「私も行きます!」

 日与は昴を見た。昴は怪訝そうに日与を見返した。

「何?」

 日与は昴に手招きし、耳打ちした。

「灰坊水産の連中を見張る役が必要じゃねえかな」

 昴はむっとして続けた。

「私に残れって言いたいの?」

「そうは言ってねえって。ただ俺が言いたいのは……あー」

「見張りは日与くんがやればいいじゃない。私は絶対行くからね!」

 昴がワクワクしているのが日与にはわかった。

 灰坊水産の陰謀を許せない、伊佐奈のところへ刀蔵を生きて帰したい、漁師たちを助けたい……そういった感情もあるのだろうが、それ以上に昴を突き動かしているのは〝怪物退治〟というロマンに違いなかった。彼女はそういうのが大好きなのだ。

 日与は頭を掻いた。

「しょうがねえ、見張りは別のヤツに頼もう」

「誰に? 永久さん?」

「いや。まあ、電話番号を調べてもらったのは永久さんだけど。知り合いだ」

 日与はスマートフォンを取り出した。


* * *


 翌々日、夜明け前。

 出漁の準備を済ませた刀蔵と組合長は、牙貫漁港の隅にある神社を参拝していた。多くの漁師は出漁前にここで祈りを捧げる。〝龍伐〟の名の由来となった、この湾に住み着いていた龍を討伐したという神話の英雄が祀られているのだ。

 刀蔵は御神酒を奉納し、景気良く手をパンと叩いて合掌すると、頭を下げた。隣の組合長に声をかける。

「先に行っててくれねえか。俺はもう少しここにいる」

「ま、人事は尽くした。あとは神頼みしかねえやな。ところでよう……おめえ、何で急にやる気になった?」

「あのガキどもだ」

 刀蔵は目を細め、呑龍が船着場に現れた二日前を思い出した。真っ直ぐにこちらに走ってくる新一と凛風の姿が目に焼きついている。

「あいつらは少しも呑龍を恐れちゃいなかった。昔の俺みたいだったぜ」

 組合長は黙って刀蔵の肩を叩き、船に戻った。

 組合長の姿が見えなくなると、刀蔵は懐から取り出した封筒を神前に置いた。もう一度頭を下げる。

(伊佐奈と多喜のボウズを頼みますぜ、神様)

 船着場に戻ろうと振り返ると、そこに伊佐奈が立っていた。

 しばらく見詰め合ったあと、刀蔵は言った。

「おめえは今も油絵の具の匂いがする。夢、諦めてねえんだろ?」

 伊佐奈は恥ずかしそうに頷いた。

「お兄ちゃん。必ず生きて帰るって約束して」

「俺は約束を守らねえ男だぜ」

 交わされた二人の視線の間には様々な思いが交錯した。

 若い頃、伊佐奈は呑龍への復讐を諦めて欲しいと刀蔵に頼んだ。刀蔵はその約束と引き換えに、伊佐奈に都会に出るのを諦めて一緒にいて欲しいと答えた。

 だが刀蔵は彼女に黙って呑龍を獲りに船を出し、足を失った。伊佐奈は彼を見限って故郷を出た。数年後、夢破れて故郷に戻った伊佐奈と、酒におぼれた刀蔵は再会した。

 刀蔵は振り返り、封筒を手に取ると、両手でぐしゃりと握り潰した。それを伊佐奈に渡した。

「捨てといてくれ」

 踵を返し、刀蔵は足を引きずりながら船着場に戻った。

 彼を見送ったあと、伊佐奈は封筒を広げた。刀蔵の遺書だった。

 伊佐奈は鯨撃船に乗り込む刀蔵を遠目に見、涙をこらえた。


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