櫛谷久紗(くしゃくしゃ)

学生時代はデザインをやっていて今はパッケージのデザインを仕事にしています。修士(工学)。 紙とグラフ理論が好きなアマチュア数学家。西千葉工作室の元スタッフ。

櫛谷久紗(くしゃくしゃ)

学生時代はデザインをやっていて今はパッケージのデザインを仕事にしています。修士(工学)。 紙とグラフ理論が好きなアマチュア数学家。西千葉工作室の元スタッフ。

    最近の記事

    年も変わったので近況報告です。(クイズもあるよ!)

    そろそろ社会人となって3年が経とうとしている(そのうち半年は休職してましたが‥)今日この頃、そして本格的にパッケージデザインに携わるようになって1年が経った今日この頃、働くことがジワジワと楽しくなってきている自分がいます。 パッケージデザインに携わると言ってもグラフィックはやっておらず、紙や段ボール、シート状のプラスチックなどを使った構造提案がメインです。学生時代にインターンでお世話になったIMARIさんでの経験が活きています‥! 世の中が持続可能性のある社会の実現に向か

      • 僕とゲーム

         お受験ママであった母親の影響をモロに受けて育った僕は、小学生時代にゲームというものをほとんどしたことがなかった。唯一触れたことがあったのは21世紀が始まったばかりの2001年3月に発売された太古のゲーム機、ゲームボーイアドバンスだ。カセットは遊戯王のゲーム一本しか買ってもらえなかった。  僕はそのゲームボーイアドバンス改め遊戯王やりマシーンをやり込むことにした。今思い返せば、その遊戯王やりマシーンは友達と対戦ができたはずだ。しかし当時の僕は友だちとゲームしようなどという発想

        • 僕と速読

           僕は文章を読むのがすごく遅い。休職中に付き合いはじめた3人目の彼女は読むのがとても速い人で、そのあまりの速さが面白くなってきてしまい、読書対決を挑んだことがある。又吉直樹の『火花』という小説(双方未読)を10分間で何ページ読めるかという対決だ。その結果、僕は彼女におよそ12倍の大差をつけられ完敗した。小説の内容についても話し合ったが、彼女の方が僕より作品を理解しているように思えた。  その後「この小説面白いから貸して」と言われて貸したが、結局1時間もしない間に読み終えて置い

          • 僕とひらがな

             黒板にスラスラと板書をする学校の先生やメンタルクリニックで僕に質問をしながら僕の話すことをカルテに書き込んでいく職員さんを見ていると、みんなよくこんなにもスラスラと文字が書けるものだと感心してしまう。というのも、僕はひらがなを思い出すのに数秒を要することがある。もちろんひらがなが書けるか書けないかで言ったら書ける。しかし、書き方を知っているのとそれを一瞬で思い出せるのは違う。少なくとも僕の中では両者の間には深い隔たりがある。  幼稚園でひらがなとカタカナをマスターしていた僕

            僕と職場などでの人間関係

             僕は職場で雑談をしない。そのため職場での人間関係はビジネスライクを絵に描いたような様相を呈しているが、それは僕が望んでそうしているわけではない。僕は飲み会は苦手だが本当は同僚と飲みに行きたいし、雑談にも気軽に混ざりたい。しかし僕にはそれができない。それは僕の能力不足によるところが大きい。僕の処理能力のキャパシティを10とすると、同僚のキャパシティはみんな15くらいはあるように見える。日常業務をこなすのに必要なキャパシティはたぶん12くらいなので、普通の人は残りの3を雑談に回

            四色定理の証明を目指して

            僕は四色定理をコンピュータを使わないで証明しようと思ってます。 以下は地図上の各領域がすべて5辺国または6辺国の場合に限定した四色定理に対する僕のアプローチです。 明らかな誤りなどありましたら是非コメントでお知らせください。

            人間の特徴量としての「好き」

            「得意なことを好きになる」の合理性とリスク 人は自分が得意なことを好きになりがちだ。それは得意なことの方が成功体験を積みやすいからだろう。成功体験はその対象に対する熱に直結する。  そしてその熱に従うことは社会の中では往々にして合理的でもある。元からできることをしていた方が失敗は少ないし、そもそも社会的な生き物である人間が経験するところの成功体験とは、究極的には個人の利益と集団の利益の一致のことだ。個人の利益が集団の利益と一致したとき、その行為には社会的な価値が生まれ、人は

            より難しい迷路を求めて

            目的  子供の頃に迷路を描いて遊んだことがある人は少なくないのではないでしょうか?僕も小学生のとき、自由帳に無意味に迷路を描いては友達に解いてもらっていたものです。当時は難しい迷路を作ろうとして、より巨大で、より精緻な迷路を追求していました。しかし、自由帳のページのサイズも鉛筆で描ける線の太さも有限の値を取る以上、迷路の大きさと細かさには限界があります。  では、一定の面積かつ一定の細かさでより難易度が高い迷路を作るにはどうしたらいいいのでしょうか?そして、そもそも迷路の難易

            思考とコミュニケーションの道具

             僕は自分に自信がない。もっと言えば常に嘘をついて生きているような感覚がある。本来の自分には社会にとって許されざる欠落があって、僕は社会の中で承認を得るために、まるで欠落なんてないかのように振舞おうとして疲弊している。  自分の行動を決定するときに何がしたいかよりも先に、どうするのが正解かと問い。「好きにしていい」と言われるとその答えが暗黙の了解を察するゲームの始まりを告げる合図に聞こえる。このゲームが始まったら僕はさも何か考えがあるかのように振る舞い、その実、空っぽで無目

            実家のダンベル・算数セットのブロック・没個性な人間

             実家に1kgのダンベルがあった。しかし、考えれば考えるほど、僕にはそのダンベルが何のためにあるのかよくわからない。おそらく腕の筋肉を鍛えるためには違いないのだが、人間が扱う道具のほとんどが質量を持っていることを考えると、わざわざ質量しか持っていない塊を別に作る必要はないのではないか。特に2kg以下のダンベルに関しては2Lのペットボトルで完全に代替可能だ。ペットボトルならば片手で持ちやすい形状をしているし、中の水の量を変えることで任意の重さにできる。    しかし、確かにその

            社会の中での幸せ

            〜誕生日の1時間前に25歳を振り返る〜  こんにちは。こんばんは。おはようございます。くしゃくしゃです。  社会人2年目になって久しい今日この頃、会社で仕事をしながらよくこんなことを考えます。(真面目に仕事しろ) _______________________________  ほとんどの人間は社会の中で生きている。もっと言えば人間は社会の中で生きることを余儀なくされている。そこに選択の余地を与えないことで秩序が発生し、その秩序は社会という名前をしている。  人間は

            noteにgifをアップロードする実験(蝋燭を吹き消したときの煙の再現)

            蝋燭を吹き消したときの煙です。

            休職期間まとめ

             僕は2020年12月から約半年間うつで休職をしていた。そして2021年6月1日から復職する。  思い返してみれば自分の限界を知ることができたいい機会だった。「自分の限界を知ることができた」なんて言う人のほとんどは限界まで頑張った人だろう。しかし僕は違う。僕が知ることができたのは自分の能力の限界ではなく、自分が自由である限界だからだ。  休職期間中とはいえど後半にも差し掛かると容体は安定して、しかし副業禁止の就労規定によってバイトをするわけにもいかず、ただの暇人だった。こ

            僕は横浜家系ラーメンが食べたいか

            横浜家系ラーメンが食べたい。しかし油がキツい。いつも油少なめで注文しているが、それでもキツい。食べた後は決まって後悔する。しかし、喉元過ぎれば熱さを忘れるとも言うように、いつしかまた横浜家系ラーメンが食べたくなっている自分がいる。そもそも僕はなぜあの凶悪なまでの油がアイデンティティともいうべき横浜家系ラーメンを油少なめで注文しているのだろう。油少なめがいいならなぜ横浜家系ラーメンなど食べたくなるのだろう。そんなことなら魚介系の出汁が効いたあっさりスープの塩ラーメンでも食べたく

            【小説】進学

             月に向かうエレベーターの中は静かだった。静かすぎて自分が猛スピードで故郷から遠ざかっているということを忘れてしまいそうになる。窓の外から下を見下ろすと、そこには自分の故郷の惑星の鮮やかな青が広がっている。水平線は次第に丸みを帯びてきており、私は今まで球面の上に住んでいたのだと再確認する。そこには地図帳でしか形を確認したことがなかった大陸が浮かんでいた。大陸の夜の部分には、地上の人々の暮らしが暖かな光となっていた。その光のひとつひとつに顔も知らない人達の物語があると思うと星空

            【書き散らし】正しさから自由になれなかった幼少期

             小学生の頃の僕はまだ大人が完全に正しい存在だと勘違いしていた。故に当時の僕にとって大人に怒られることは完全な失敗であり、その失敗にあえて飛び込んでいくやんちゃ坊主の心中を理解できていなかった。クラスに一人や二人ではきかないそういう輩を僕は心のどこかで見下している節があったのかもしれない。  大人になった今、当時を振り返ってみると彼ら彼女らは僕よりずっと小さな頃から完全な正しさなど存在しないということに気が付いていたのかもしれない。当時の僕は先生や親の言いつけを守ることによ