見出し画像

僕とゲーム


 お受験ママであった母親の影響をモロに受けて育った僕は、小学生時代にゲームというものをほとんどしたことがなかった。唯一触れたことがあったのは21世紀が始まったばかりの2001年3月に発売された太古のゲーム機、ゲームボーイアドバンスだ。カセットは遊戯王のゲーム一本しか買ってもらえなかった。
 僕はそのゲームボーイアドバンス改め遊戯王やりマシーンをやり込むことにした。今思い返せば、その遊戯王やりマシーンは友達と対戦ができたはずだ。しかし当時の僕は友だちとゲームしようなどという発想には至らず、対コンピュータ対戦で孤独に研鑽を積んでいた。対コンピュータ対戦は一回勝つとナントカポイントが10ポイントもらえる。研鑽に研鑽を積んでナントカポイントがついに440ポイントに達したとき、僕はゲームボーイアドバンスに飽きた。おそらく数日から数週間の出来事だったろう。
 今思い返せばゲームには子供社会におけるコミュニケーションツールとしての側面がある。おじさん達にとってのゴルフのようなものなのかもしれない。ゲームは共通の話題になり得る。会う口実にもなり得るし、勝利することで成功体験を積む場でもあったかもしれない。社会性とまでは言わないが、ある程度の社交性くらいならゲームで育むことができたはずだ。孤独に研鑽を積むのが間違いとまでは言わないが、それだけしかしないのは随分ともったいなかったと思うし、すぐに飽きてしまったのもうなづける。
 大学に入って、僕と同類の善良だが少しジメジメした奴らで構成された10人程度のグループになんとなく所属していた僕は、そのジメジメとしたグループの中でも特に仲がいい7人程度のグループLINEがいつのまにか存在していたことを知ってしまう。別に僕一人だけがハブられていたわけではないし、誰かをハブる意図はなかったのだろうと思う。しかし、その7人の共通の趣味がゲームだったと気が付いたときは己の無趣味さをすこし呪ったりもした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?