思考とコミュニケーションの道具

 僕は自分に自信がない。もっと言えば常に嘘をついて生きているような感覚がある。本来の自分には社会にとって許されざる欠落があって、僕は社会の中で承認を得るために、まるで欠落なんてないかのように振舞おうとして疲弊している。

 自分の行動を決定するときに何がしたいかよりも先に、どうするのが正解かと問い。「好きにしていい」と言われるとその答えが暗黙の了解を察するゲームの始まりを告げる合図に聞こえる。このゲームが始まったら僕はさも何か考えがあるかのように振る舞い、その実、空っぽで無目的な自分を誰にも見せまいと努力しなければならない。
 
 なにしろ僕は相手の気持ちがわからないのだ。もちろん他人の気持ちを完全に理解できる人間などいないのだが、さらに言えば僕には他人を理解しようというモチベーションすら秘めてはいない。そんな僕から見た他人は互いに「なにか」で繋がっているように見える。僕には訳がわからないその「なにか」は言葉という。
 

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