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もりもりと干し柿を作る、食べる

タイトルの通りです。11月の暮れにもりもりと仕込んだ干し柿が食べごろを迎えました。よく顔を出す隣町のゲストハウスで渋柿が600個も余ったと言われたので助けてやったのです。皮をせっせとむいたのですが、僕は包丁さばきが絶望的に下手なので、干す前の柿はまるでラピュタのよう。

あの地平線、輝くのは

皮をむけばむくほど、周りの皆さんからは失笑が聞こえてくる。「まあ、個性ですからね」「多様性、多様性」とごまかす人がいる中、画家のお兄さんが「じゃんもんくんは果物剥くのヘッタクソなんやなあー」って屈託のない笑顔でディスってきたのが良かったな。

ほんまにこんなんで美味しい干し柿ができるんかいな、と訝しんだ僕ですが、ひとまず13個だけ干してみることに。専用の紐にくくりつけるのが上手くいかず、ハンガーに無理やりビニール紐で結んだんだっけ。

それからは日々ベランダにぶら下がる柿たちを眺めては「ま、そこそこうまくなれよ」と願う毎日。正直忘れてる日の方が多かったけど。

そして3週間と少し。冷たい初冬の空気に晒された柿はある一線を超えた段階でみるみる萎んでいき、ついに食べごろ?と思われる段階へ。頂き物のハーブティーを淹れて準備は万端。

不揃いだが、満足

ごろごろ岩のように丸くなったのもあれば、童話の世界のカブのようになったもの、ラピュタのまま晩成した往年の干し柿もあり、なんだかおかしい。しかし、思ったより13個の干し柿は量が多いんだね。

たまらずガブリとひと口。

うま

ぐーっと濃厚な甘さが口いっぱいに広がってうまい。身の中は秋の夕日を詰め込んだようなオレンジ色で、なんだか11月を思い出してしまう。せっせと干し柿を仕込んだ自分がいまや愛おしい。大好きだ。

仕事はそれなりに忙しくて、余った時間も常に何かをやろうとウロウロした秋でした。本を読んで、誰かと話して、それなりに落ち込んでよく昼寝もした。いろんなことがあったようで、案外何も心に残らない秋だったな。そういう秋がいちばん正解というか、本来の姿に近いんだろうけど。

季節の足音は急いて目の前を通り過ぎていく。僕はへただけになった干し柿を見つめながら、過ぎていった時間のことを考える。……考える。

電柱に車をぶつけて修理代30万請求されたのを思い出してしまった。今年の冬はストイックな旅をしよう。東北か、新潟にでも行こうかな。

今日は趣向を変えて文章を書いてみた。零点振動の文体が今の気分だ。干し柿は4個食べて満足したので、少しおすそ分けしようかな。ではまた。

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