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反省の概念がない民と組織の生贄

狩猟採取を生業にする森の民プナン。プナンには「反省」に該当する言葉はなく、実際に失敗しても、個人が反省することはないらしい。

話し合うことはあっても、失敗した本人や周りが誰かを責めることはないそうだ。

日本では反省を求められることは多い。
何か失敗をすれば反省文を書いたり、反省会をしたり、言葉にするかは別にして、申し訳なさそうに振る舞うことが求められたりする。

反省という言葉は、人を主語としている言葉だ。無意識に、失敗の原因は特定の人にあるというニュアンスを含んでいる。

失敗したのは特定の人かもしれないが、構造的に、組織的に、失敗が起きやすい環境があったかもしれない。

反省という概念を通じて、生贄として個人を反省させることで、根本的な失敗の原因や構造を直視しなくて済むという、ところがあるのかもしれない。その方が、失敗した本人以外は楽だからだ。

ゆえに、組織としては失敗を繰り返し、その度に誰かが反省する。

誰かの反省を生贄にするのは楽だけど、いつか自分の番が回ってくる。
反省はやめて、分析・改善するようにしよう。


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