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池田 恵美「手を差し伸べる人」

1.健康イタリア家庭料教室

「大勢で楽しく食卓を囲むこと」を意味するイタリア語のTavolata(タボラータ)

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この言葉を冠したイタリア家庭料理教室が神奈川県藤沢市にある。それが、池田恵美さんが主催する健康イタリア家庭料教室「タボラ―タ」だ。

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普通の料理教室とは趣が異なり、健康や心理学など池田さんがこれまで学んできた知識をふんだんに取り入れた内容は、大きな注目を集めているようだ。

池田さんは、1965年に神奈川県藤沢市で2人姉弟の長女として生まれた。

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父親は、包装資材の卸業を営んでおり、母親もその手伝いをしていた。

「いま思えば、母は私の誕生日を覚えることが出来なかったり、話が通じないことがあったりと、発達障害の傾向があったようです」

小学校1年生のときから、自分の母親が他の人たちと違うということを感じ始めた池田さんは、常に「自分がしっかりしなきゃ駄目なんだ」と思っていたようだ。

現在は料理教室を営んでいるものの、母親は料理も上手ではなかったため、「高校生のときに友達の家へ遊びに行ったら、何品も料理が出てきたんです。『これはテレビだけの世界じゃなかったんだ』と驚きました」と当時を振り返る。


2.自分の人生だから

地元の公立中学を卒業したあとは、公立高校へ入ることが出来なかったため、母親の勧めで母親の母校である私立高校へ進学した。

ところが、生徒数の多い中学校から1学年90人しかいない女子校へ大きく環境が変わったことで、「2ヶ月くらい毎日寂しくて泣いていた」という。

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「結果として高校生活は楽しかったですけどね。でも、そのときに、今後は誰に何をどう反対されても、自分の人生は自分で決めようと誓ったんです」

子どもが好きだった池田さんは、高校卒業後に模原市にある私立の短期大学へ通い、保育士と幼稚園教諭2種の免許を取得。

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社会へ出てから横浜市の乳児院で2年ほど勤務していたとき、転機は訪れた。

「乳児院で働いているとき、アメリカから来日するドーマン法のスタッフたちのベビーシッターの手伝いを従兄弟に頼まれたんです。子どもが好きだったのでお手伝いに行ったら、ドーマン法によって重い障害のある人たちの機能が改善している様子に衝撃を受けました」

ドーマン法とは、米国のグレン・ドーマン博士が「親こそ最良の医師」という信条をもとに、脳障害児・者のために考案した家庭でのリハビリプログラムのことで、当時英語を全く喋れなかった池田さんだが、「やる気さえあれば」という誘いに、渡米を決意。

22歳から、フィラデルフィアのドーマン法の研究所で研修生として働き始めた。

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「研究所の学びは面白かったんですが、仕事は本当にハードで。日々勉強の連続でしたが、次第に皆の前で講義などの責任の重い仕事が伸し掛かるようになったんです。あまりのプレッシャーに『私には無理だな』と24歳で帰国してしまいました」

それでもドーマン法を学ぶなかで、母親や池田さん自身にも発達障害の傾向があることに気づくことができ、得るものも多かったようだ。


3.イタリアでの体験

帰国して、イタリア人で研究所の通訳の仕事をしていた男性と結婚。

数年後に不妊治療の末、3つ子の娘を授かった。

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娘たちが小学校入学を前に、池田さんは娘を連れて、夫の実家のあるイタリアへ移住

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娘たちを幼稚園に預けている間、料理好きな女性たちからイタリアの家庭料理を教えてもらい、池田さんのそれまで抱いていた味覚や料理に対する考え方は大きく変化した。

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そして2年経って帰国したのち、2001年から藤沢市で現在のイタリア家庭料理を教える教室を立ち上げたというわけだ。

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その後、子育てがきっかけで心理学を勉強するなど、池田さんは現在も学びを続けている。

「45歳くらいのときなると、集中力や記憶力も衰えてきたり身体が泥のように重かったりと身体の不調が加速度を増していったんです。動機もするようになって、病院で検査してもらっても原因もはっきりしませんでした。果たして、100歳時代をこんな体で生き残れるのかと感じたんです」

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体がどんどん不調になることへ危機感と恐怖を覚え、それまで手を出せずにいた「栄養」について本格的に学んでいくことを決めた。

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糖質制限や予防医学などを学ぶ講座へ通い、実践することで、予想を超える活力が生まれたそうだ。

さらに4年前からは、社交ダンスにも取り組むなど、できることが少しずつ広がっていくことの楽しさを池田さんは感じている。

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4.手を差し伸べる人

「栄養や身体、そして心の動きと全てがリンクしていることに気づきました。学びを続ければ続けるほど、昔の自分の経験と繋がっていく楽しさがあります。自分が壁に直面するたびに、学び実践してきた知識や経験を、困っている人たちに渡せていけることが嬉しいんですよね」

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そう語る池田さんには忘れられない思い出がある。

小学校1年生のとき、休み時間に斜め後ろの女の子が机に顔を伏せて泣いている姿を目にした。

「何とか慰めてあげたい」と傍に寄ったところ、その子が池田さんのスカートをおもむろに引っ張ってしまい、タイツが丸見えになってしまった。

池田さんは恥ずかしい思いをしてしまったが、その女の子は笑顔になり、その後、みんなの輪のなかに入ることが出来るようになった。

「泣いている子を笑顔にすることが出来た」というこの原体験が、いまの池田さんの原動力になっている。

「老人施設で暮らす母は、いまも私のことを頼っているんですが、母の存在があったから、私は自立心も強い子になれたし自分のしたいことを実践することが出来たと思っています。そう考えると、生まれてきた環境さえ自分で選択できていると思っていますし、私は人生に何の後悔もしてないんですよね」

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目の前の困っている人を助けたい。

それは誰しも考えることだけれど、実際に行動に移すことが出来ている人は少ない。

なぜなら、それは膨大なエネルギーを伴うし、相手の持つ苦しみや悲しみを理解して分析することが必要だからだ。

自分の得た知識を惜しげもなく、相手に還元していこうと試みている池田さんは、きっとまだまだ学びを続けていくことだろう。

「料理」の語源とは、「処置する、世話する」という意味を起源としており、まさに誰かをケアすることにも繋がる。

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そう考えると、池田さんが料理を軸にさまざまな活動を展開しているのも、僕には納得がいくし、走り続ける彼女の背中を見て、僕らは自分のことを内省しなければと感じてしまう。


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