芽生えた情緒
冬は魚が美味しい。
お造りに山葵を多めに乗せる。
ツマはたっぷり、大葉で全てを包み込んで、醤油は角だけに。
これを一口で戴く。
至福のひととき。
ん〜〜、と眉間に皺を寄せ、ビールを飲む。
わたしは一体いつから、美味しいと感じた時に眉間に皺を寄せるようになったのだろう。
きっと子供の頃はそんなことなかったはずだ。
お弁当のミートボールを食べて、ん〜〜、と眉間に皺を寄せて喜んでいる幼稚園児がいたら、紹介してほしい。
赤ちゃんの感情って、「やったー」と「イヤだー」の2種類ぐらいだろうか。
お腹が空いた、オムツ変えてほしい、眠い、暑いなどが全て同じ「イヤだー」という感情で表されて泣き叫ぶから、お母さんは何で泣いているのかをあらゆる要素から推察しなければならない。
小さい頃はせいぜい、楽しい、腹が立つ、ぐらいだった感情。
それが成長するにつれて、悔しさ、恥ずかしさ、情けなさ、愛しさ、切なさ、心強さ、というような複雑な感情を覚え、表情も豊かになる。
情緒というのは、いろんな経験をすることで、特に意識せずとも自然と身につけるものだ。
ただ、わたしは一つだけ、ある情緒が芽生えた瞬間をはっきりと覚えている。
小学3年生の時、親戚の下沢のおじちゃん(仮名)が亡くなった。
持っている中で一番暗い服を着せられ、葬儀会場に連れて行かれた。
物心がついてからこんな場に来るのが初めてだったので、勝手はよく分からなかったが、小学3年生にもなれば、おとなしくしておいた方がいいことぐらいは分かる。
何度も会ったことのあるおじちゃんだったので、寂しいと言う気持ちはあったが、泣いたりはしなかった。
お通夜に参列し、そのまま家族で会場に泊まり込んで最後の夜を過ごした。
翌朝、近所のファミレスで家族で朝ごはんを食べることになった。
告別式は昼から執り行われる。
うちの父親はチーズが苦手で、ピザとかグラタンを食べないので、外食といえばうどんやお寿司などの和ものが多く、ほとんどファミレスに来たことがなかった。
しかも、朝ごはんを外で食べる機会などそうそうない。
でも、今、ワクワクするという気持ちを口に出したり表現するのは、なんか違う気がする。
おとなしくモーニングセットを注文した。
甘めのオムレツにかかっているケチャップが、いつもより鮮やかに見える。
初めて見た野菜もある。
こんなに小さいミニミニとうもろこし。
食べるとショリショリ音がする。
なにこれおいしい、こんなの初めて。
でも、今、楽しいという気持ちを口に出したり表現するのは、なんか違う気がする。
サクサクもっちりのパンを静かに頬張る。
ジュースは何度おかわりしてもいい。
ラッキー。
「こんな事」というのは、下沢のおじちゃんが亡くなって、葬儀会場に泊まったという事。
わたし、
今、
これは、
もしかして、
不謹慎ちゃうか、、?
小学3年生。
不謹慎という言葉は聞いたことがあった。
そして今、わたしの身に降りかかっているこの状況こそが、不謹慎だということに気付いた。
小学3年生の冬、わたしは初めて不謹慎という情緒を覚え、初めて不謹慎な表情をしていた。
黙ってドリンクバーにおかわりを取りに行く。
この後お昼から下沢のおじちゃんとの告別式が控えている。
わたしは、初めてのジンジャーエールで不謹慎を喉の奥に流し込んだ。
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さて、次回の #クセスゴエッセイ は
「グチの煮付け」
をお届けします
お楽しみに〜
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