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東洲斎写楽の腰曲げ

初めてギックリをやらかした時、わたしは腰ではなく背中だった。

朝、床に置いた着替えを取ろうと屈んだら、背中にピキッと衝撃が走った。
初めての感覚に、「折れた?」と心配するほどだ。
藁をもすがる思いで、ヨボヨボと最寄りの整体を訪れた。

とにかく家から一番近いというだけで選んだ整体だったが、よく聞くと先生は以前スポーツトレーナーをしていて、某プロ野球選手のパーソナルトレーナーとして帯同していたこともあるそうだ。
その選手はもう現役引退されたが、野球ファンではないわたしでも名前をよく知っているほどの有名選手だ。

先に施術を受けていた患者さんは、強豪校の女子バレーボール部らしく、利き手でアタックを打つため、体の左右差による負担にどうアプローチするか、といった理論が繰り広げられていた。



そしてわたしの番。
「背中をピキッといわしまして」

丁寧に診てもらった結果。
「急性の炎症を起こしていますね。いわゆるギックリ腰の背中バージョンです」

プロスポーツ選手を施術するようなお方に、ただのギックリで診てもらうなんて、気まずすぎる。

「猫背なので背中がピーンと常に張って負担がかかっていたようです。学生時代にやっていたスポーツの影響で、姿勢が癖づいてしまうことが多いのですが、何かスポーツをされていましたか?

わたしにはスポーツ経験は無い。

「え?本当ですか?何もしてなかったですか?思い返してみてください」

よほどわたしの姿勢が悪いのか、原因追及したい先生の圧が凄かったが、いくら考えても正真正銘の文化部で、スポーツとは無縁だ。

わたしは中高と吹奏楽部だった。





やる気×集中力×時間

コンクールを控えた高3の梅雨、部室に大きく書いて貼り出した。
成果を出すための計算式だ。

朝練、昼練、居残り練、他校より少しでも多く練習量を確保すること。
ただし、ダラダラ練習しては時間が台無し。
やる気と集中力があってこそ、練習の成果が上がる。

強豪校と比べると実力はショボいもんだが、この計算式の積をできるだけ大きくするために、やる気と集中力を最大化する工夫をしていた。

吹奏楽部では、演奏する楽曲の世界観を部員全員で共有するために、具体的なイメージを話し合うことがよくある。

例えば、波の音を表すゆったりとしたフレーズ。
波と一口に言っても、ザザーなのか、ザバ〜ンなのか。
瀬戸内海なのか、日本海なのか、ハワイの海なのか。

奏者のイメージを統一することで、音に情景が表れ、立体感のある音楽になる。



この年、わたし達がコンクールで演奏するのは、浮世絵、歌舞伎をテーマにした和の曲だ。

歌舞伎と言えば思い浮かぶ、首をグイッと回してから睨みつけるような決めポーズをすることを見得みえという。
その時の効果音。

カッ、、、カッ、、カッ、カッカッカカカカカ…

締め太鼓を担当するわたしは、ツケという木で木を打ち付ける和楽器を担当する後輩と、息を合わせて歌舞伎の世界観を演出する。

この効果音は、4拍子や3拍子など、規則正しいリズムではなく、徐々に加速していく。
この場面では指揮者は指揮棒を振らず、和楽器2人の一体感に全てが委ねられる。

終盤のこの見得が決まると、物語はラストシーンへ。
浮世絵独特の大きく広げられた5本指を強烈に表現したスピード感溢れるリズムとフレーズで一気に捲し立てていく。



打楽器は見た目が大事だ。
わたし達は実力がない分、演技力を発揮することに集中力を割いていた。

同じ太鼓を叩くのでも、見た目によって聞こえ方が異なる。

叩いた後、バチを持った腕を柔らかにしならせて弧を描くと、その弧を描いている間中「トーーーーーン」と音が響いて聞こえる(気がする)。

叩いた後、鋭く動きを止めると、「トンッッ!」と音が止まって聞こえる(気がする)。



わたしと後輩は、2人で大事な見得のシーンを演じるために、来る日も来る日も練習した。

タイミングはもちろん、見栄えに拘る。
腕の振りかぶり方、角度、スピード、力の入れ方。

今の時代とは違い、スマホで手軽に動画撮影なんてできなかったため、EXILEのように前後に並んで演奏し、動きが揃っているかを正面から他の部員にチェックしてもらった。

そして姿勢。

のっぺりと突っ立っていては、この曲独特の緊張感が伝わらない。
少し前傾姿勢の方が雰囲気が出る。

ピーンと張り詰めた緊張感が命だ。

ああでもない、こうでもない、もっとこうしよう、と意見交換しながら改善を図り、本番を迎えた。

本番ではその時点で出せる精一杯の力を出し切ることができた。



本番翌日の反省会で、審査員の講評用紙のコピーが部員に配られた。
評価はA+からC-までの9段階、審査員は5名だ。

わたし達の演奏は、審査員の先生によってA+からB-までの評価がつけられていた。
ここまで評価が割れるのは珍しい気がする。


「曲の持つ表情を全員で表現しようとする姿勢が伺えた演奏でした」(A+)

おぉ、嬉しい!


「粋さや艶が欲しいところですが、グリッサンドと装飾音符の処理にヒントがあると思います。もう少し研究してみては?」(A-)

なるほど、確かに。


「打楽器の皆さんは、何故あんなにも腰を曲げて演奏するのですか?」(B-)



何故あんなにも腰を曲げて演奏するのですか?



講評でも何でもなく、シンプルな疑問文が講評用紙に書かれていた。




東洲斎写楽とうしゅうさいしゃらくの浮世絵は、5本指を広げて前傾姿勢。

本番ギリギリまで改善に改善を重ねた結果、わたし達の前傾姿勢は「もっと、もっと」とエスカレートしていた。



後で写真を見て気づいたが、通常おヘソ辺りの位置で演奏するはずの楽器が、本番では膝の位置まで下がっていた



やりすぎた。





緊張感だとか、和の世界観どころではない。

「何故あんなにも腰を曲げて演奏するのですか?」

わたし達にも分からない。




東洲斎写楽のせいで、この12年後、わたしはギックリ背中を発症した。

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さて、次回の #クセスゴエッセイ は

「フィンランドの人、聞こえますか?」

をお届けします

お楽しみに〜
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