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私は「勉強」が好きだ

私は常に、自分の価値観のアップデートを行っている。

勿論譲れない部分もあるが、例えば「新メニューを味見した」などの小さな体験もカウントすれば、変化のない日は存在しない。
私はこのアップデートを全て「勉強」と呼んでいる。

やり方はとても簡単だ。
今まで培ってきた自身の価値観を全て放り投げ、目の前にある未知のものを「これが普通」と思い込む。そして体験する。

なぜ、アップデートをするのか。
それは、自分の人生が今よりも豊かになるという確信があるからだ。
今自分が抱えている「しんどさ」を、なくせるかもしれないからだ。

何より、「知りたいから知った」それ自体が楽しい。

「将来役に立つ」「ためになる」よりは、「今、必要」がアツい。

この「学び」の力はたいへんに強力で、長年大切に漬け込んできた「アイデア」が突然未熟に感じたり、不謹慎に思えてきたりすることもある。
そんな時は、決まって「未熟なアイデアを使わなくてよかった」と思う。

しかし、恐らく損もしている。
言い換えればそれは「失敗しなかった」ということだが、「失敗の経験値」というのは大きいのだ。
あえてそのような失敗をすることにより、想定外の収穫が手に入っていたかもしれない。アイデア自体が育ったかもしれない。自分だけの成長があったかもしれない。

損得の追求はさておくが、この現象は「アイデアの賞味期限切れ」とも呼べるだろう。大切に持ちすぎて腐ってしまった。

かまわぬ。

求めているのは「蓄積」ではなく「変化」。

私は常に、自分の何かを変えていたい。
それは「今の自分に自信がない」ということかもしれないが、「人生は一生勉強だ」という姿勢そのものに疑いを持つことはない。
「変わることができる(=伸びしろがある)」という面においては、確実に自信を持っている。自信を持って、勉強する。


変化の本質は、「破壊」と「創造」だ。

「維持」は嫌いだ!
ある日突然、私に強烈な破壊衝動をもたらす!


積んでは、崩す。積んでは、崩す。


私は10年前と、何が変わって、何が変わらなかった?


(※このnoteの内容は、ストレングスファインダーの資質「学習欲」「着想」が関わっている可能性があります)