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ヘイ、noteの創業者や運営者よ、この大陸は卑しい日本人を大量に生み出していることに気づいているのかい

ぼくはこの大陸に上陸して、なにもかも勝手わからずだから、とりあえずぼくが投稿したコラムやエッセイに《スキ》なるものを投じてくれた方のサイトをたずねて、律儀にその方の新しいページにおかえしの《スキ》をクリックする。それがこの世界の風習なのだろうと思い、いまでも律儀にその風習を実践しているのだが、そこで目にするのが実に多くのサイトにタグというかチケットというか、要するに値札が貼り付けられているのだ。この記事は百円です。この記事は二百円だせば読めます。この記事を三百円で買ってください。

ぼくがこの大陸に上陸して抱いた最大の違和感だ。創造にもならぬ、中学生が書く作文にも劣る記事を買ってくださいと、買ってください、買ってくださいと叫んでいる。いったいいつからこんなに大量の卑しい日本人が生まれたのか。再び、ぼくはこのコラムに「ヘイ、noteの創業者や運営者よ、この大陸は卑しいみにくい日本人を大量に生み出していることに気づいているのかい」というタイトルをつけることになった。
 
もちろんそんな卑しいタグを貼ることなく、誠実に懸命に新しい地平を切り拓こうとしているサイトにもたくさん出会っている。そういう方のサイトのページは、ぼくはしっかりと読むことにしている。そしてその方の活動にエールをおくるための心からの《スキ》をクリックする。

ある日、ぼくのエッセイに《スキ》を投じられた方のサイトを、例によって訪れてみた。そのページには才気あふれる文章が紡がれていた。言葉がきらきら光っている。その短文にぬりこめる色彩も通俗的ではない。なにかリチャード・ブローディガンを思わせる文体だ。ひよっとする新しい才能がここにいるなと思わせた。短編小説も打ち込まれていた。私は読みはじめた。いいぞ、いいぞ、なかなかいいぞ、と読み進めていく。なにかポール・オースターを彷彿とさせるストーリーなのだ。ここに日本の読書社会に鮮やかに登場するかもしれない作家がいるなと思わせたそのとき、ぐぁーんと目に飛び込んできた。

この先をお読みしたい方は三百円です。

おい、お前、なにを考えているんだ、とぼくは毒づく。お前なあ、この短編小説はたった三百円なのか、たったの三百円の価値しかないのか。あなたはこの作品を自分の子どもとして世に送り出したんだろう。わが子に三百円の値札をつけて、買ってくださいと言ってることなんだぞと、ぼくはさらに毒づくのだった。創造者としてこの地上に立ちたかったら、こんな卑しいことをすべきではない。

ぼくはこの地上に創造者として立っている。だから多くの人に絶賛された短編小説をこのノートに全文打ち込む。この大陸は他人の文章を読む文化がない土地だから、本にしてわずか十ページたらずのストーリーだが、読み切る読者はゼロかもしれない。そんなことをぼくはこれっぽっちも気にしない。ぼくはこの大陸に広大な森をつくるためにその苗木を植えこんでいるのだから。




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