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モンスターはどこから生まれたのか

スピーチのレジュメ 
 およそ三十年ほど前、遠山啓という数学者が、「ひと」という教育雑誌を創刊させて、大きな教育変革のムーブメントを起こしたのですが、それはやがて日本の教育政策を転換させるばかりに広がっていきました。しかしそんな大きなうねりをつくりだしたムーブメントも、十年ほどの前に消え去ってしまいましたが、これはなぜだと思いますか。
   そのムーブメントによって、子供たちに光があてられ、彼らの存在する意味が確立されていきました。それはこの教育変革ムーブメントの大きな成果の一つでしたが、しかしこのことが巨大なモンスターを生み出していったという批判が、今日いよいよ広がっていますが、あなたはこの批判をどう思いますか。
以上二点の設問に関して思索を深め、その思索を思想にするためのレポートを書き上げて提出してください。字数制限なしです。
                 
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 「ゼームス坂物語」が読書社会に投じられると、この本に関してのスピーチ、つまり教育問題についのスピーチを各所から依頼されるですが、どうもそういうスピーチに出向くことに気が乗りませんでした。この本がよく売れるためには、そういう仕事もこなしていかねばならないのでしょうが、しかし作家にとってその作品がすべてですから、その作品がすべてを語るのであり、この本に書かれたもの以上のことは、なにも話すことはないようにも思われたのです。しかし懇意にしている先生たちから何度も熱心なお誘いがあったりして、それならばただ一方的にスピーチするのではなく、なにか相互に刺激しあうような、ボールを投げ合うような挑戦のスピーチにしたいと思い、まず依頼された方に私の方から先手を打つというか、スピーチのレジュメをお渡したわけです。

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 これはレジュメというよりも、みなさんへの最初の挑戦であり、みなさんは日ごろから、子供たちをテストで追いつめているというか、テストによって子供たちに挑戦していますから、攻守ところをかえて、たまには外部からこのような挑戦のテストを仕掛けられることも必要なことだと思います。そんなわけでみなさんにあらかじめお渡ししたレジュメは、そのなかに書かれた設問に立ち向かって、レポートを書いていただくということでした。この挑戦のボールは見事に投げ返されてきました。私の仕掛けた設問はたったの二問ですが、しかし複雑にして深刻な設問で、果たしてどれだけ真剣に立ち向かってくださるのだろうかと思っていましたが、なかには二十枚もの長文のレポートを書いてくれた先生もいらっしゃいまして、投げ返されてきたボールはいずれも熱いボールでした。

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 そんなわけで、今日の私のスピーチは、このみなさんの熱球を受けて、さらに挑戦の球を投げ返すスピーチにしてみたいと思っているのです。まずこのレジュメにのせた最初の設問ですが、ざっと見回すと、若い先生たちも多くいらっしゃいますが、若い先生たちは、遠山啓という数学者も、また遠山先生が「ひと」という教育雑誌を創刊させて、大きな教育変革のムーブメントをおこしたことも、それは情報として知ったということで、それがどんなものであったかはご存知ないはずです。それはそうですね。その運動が起こったのは、はるか三十年ほど前のことであり、そしてその火ももう十年ほどの前に消え去ってしまいましたから当然のことだと思います。

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 三十代後半あたりから上の年代の先生たちには、当然このムーブメントをご存知で、そのことはレポートにもよく現れています。なかなか鋭いご意見が書かれてありまして、このムーブメントが急激に下火になった理由の一つに、遠山先生が亡くなられたからと書かれたレポートがありましたが、これはまったくその通りだと思います。とにかく遠山先生は私財をすべて投じて、「ひと」という雑誌を創刊させ、それだけでなく「太郎次郎社」という出版社まで創設して、その出版社から数々の教育変革の本を刊行させたりして、とにかくその運動の精神的支柱であり、さらには資金的な支柱でもありましたから。その中心が倒れたときこのムーブメントの凋落がはじまったのです。

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 あるいはこう書かれた方もありました。このムーブメントから理想の学校など生まれなかったからだと。この方はひょっとするとこのムーブメントに深くかかわった方ではないのかと推察するのですが、これもまた鋭い指摘だと思います。このムーブメントがもっとも燃え上がったとき、学校教育を批判するだけでなく、このムーブメントがめざす理想の学校を、自分たちの手で打ち立てようと新しい学校づくりまでもはじめていくわけです。学校づくりなどということは市民にとって大変なエネルギーを要することですが、何十億という資金を集め、広大な敷地を購入し、そこに校舎を立て、そして優秀な教師を選抜して、大きな理想をいっぱいにはらんだ新しい学校をスタートさせたのです。

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 ところが一年たち二年たって出現していくその新しい学校は、理想の学校どころか、たくさんの危機的問題をはらんだ学校になっていく。教育変革の一大ムーブメントの一つの到達点として取り組んだ学校づくりが生み出したのは、理想の学校などではなく、むしろ現代という複雑な時代の危機的要素を一杯はらんだ学校だったのです。このことはこの学校づくりにかかわった人々を幻滅させたというか、その人々はまさに自らの人生を賭けるようにして取り組んだ事業ですから、幻滅などというより、なにか人生を砕いてしまうような挫折感をもたらした。深く傷つき絶望してこの人々はこのムーブメントからどっと去っていくのです。この学校づくりにかかわった人々こそ、教育変革のムーブメントをおこした中心の人々でしたから、この人々が去っていくということはこのムーブメントの中心が去っていくということでした。いつでも崩壊は外部からではなく内部からはじまっていきますが、この教育改革のムーブメントの凋落も内部から始まったのです。

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 しかしまた同時に外部からの攻撃というか、このムーブメントに対する保守勢力の抵抗や、変革の反動というものもまた強く起こっていく。さらに社会そのものが大きく変動していきました。このムーブメントが起こったとき、日本の社会はバブル経済がまさに風船のように膨らみつづけていて、やがて日本はアメリカを追い抜いて世界一の大国になると浮かれていた時代でした。しかしいっぱいにふくらんだ風船が破裂するように、実態のない空気で膨らみ続けたバブル経済が破綻する。あちこちで企業が倒産し、激しいリストラの嵐が吹き荒れ、長い不況の時代に入っていく。社会が質的に変化していったわけです。この社会の質的な変化もこのムーブメントを衰退させていく一つの大きな要因だったと思います。

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 こうして内部からそして外部から、衰退させ崩壊させる力というものがじわじわと攻め寄せて、このムーブメントはいまではあとかたもなく消え去ってしまった。さて、ここからみなさまに新しい挑戦のボールを投げる本日のスピーチの主題に入っていくわけですが、この教育変革の一大ムーブメントが、それまでの人類の歴史になったモンスターを生み出してしまった。生み出したばかりではなく、このムーブメントが巨大なモンスターに成長させてしまったと批判されている問題です。いったいこのモンスターなるものがなんなのか、さまざまな意味をこめて抽象的な表現をしましたから、戸惑われた方もいらっしゃいますが、しかし大半のレポートでは正確にそれが捉えられておりました。

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 引きこもりという社会現象です。この現象を私はモンスターと表現したのですが、二十世紀の末期に、突如として日本の社会に登場してきたこの引きこもりという社会現象は、いまやただならない事態になって、その数は百万とも二百万ともいわれるばかりです。引きこもりという現象は、いったん引きこもると、これが何年も続き、二十代どころか、三十代、四十代と引きずっていく。それこそ人間性が破戒されていくわけですから、百万とか二百万とかいった数になると、社会そのものを破壊しかねない。この恐ろしい社会現象はまさにモンスターそのものです。しかもこういう現象は日本だけに生まれた。こういう現象をつくりだしたのが遠山先生たちによって起こされた教育変革のムーブメントにあると、学校にいかない子どもたちを賛美する活動を展開していった「ひと」誌が起こした教育変革のムーブメントにあると。

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 ここにいらっしゃる先生たち、おそらく大半の先生たちが経験なさったことであろうと思いますし、今でもそのことに苦しめられている先生だってこのなかにいらっしゃるはずですが、学校教育でもっとも難しい問題の一つである、いわゆる不登校の子供たちの問題があります。私はいま不登校という言葉を使いましたが、いまでこそ学校にいかない、あるいはいけないこの子供たちのことを不登校という言葉で呼んでいますが、遠山先生たちがそのムーブメントを起こした三十年前は、それらの子供たちはなんと呼ばれていたか。問題児童であり、就学(修学)困難児童です。

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 この言葉がいみじくも語っているように、その当時、学校にいかない子供たちへのとらえ方は貧しいものでした。彼らが学校にこなくなるのは、すべてその子自身に問題があるか、あるいはその子の家庭に問題があると考えられていたわけです。もっというならば、その子に欠陥があり、その子の家庭に欠陥があるから、このような事態になっているのだと。ですから先生たちがその子に向き合うとき、その子がかかえている欠陥を矯正しようとするような取り組みをした。そんな状況にあるとき「ひと」という雑誌が創刊されるわけです。そしてこの雑誌が編集の一つの柱にしたのが、この学校にいかれなくなった子供たちに視点を向けることでした。

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 どのようにして視点を向けたかといいますと、まず学校にいかなくなった子供たちの手記を載せはじめた。なぜ学校にいけないのかといったことを、深く自分をみつめながら書く手記といったものは、もう中学生あたりになると書けるようになりますし、高校生になるともう鋭く自分と学校をとらえて、その手記を書き上げることができます。そんな子供たちの手記と同時に、学校にいかなくなった子供たちの親たちの手記もさかんに掲載していくのです。この親の悩みというのもまた深刻でして、とにかくわが子が学校から脱落したわけですから、一家そのものが社会から脱落していくような、なにか親の人格や人生が否定されたような衝撃です。ですからその手記も、人生に追い詰められ、危機の瀬戸際に立っているといった必死の叫びになっていくわけです。

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 その手記は全国各地からとぎれることなく寄せられ、どんどんその輪が大きく広がっていくとき、ようやく学校も社会も気づいていく。それまで学校にいけない子供はごく特殊な例であり、その数も全児童のゼロコンマ何パーセントといった微々たるものだと思われていた。しかし統計にあらわれない学校にいけない子供たちの数は、とてもそんなものではない。学校にいったりいかなかったりする子供たち、あるいは苦しみを必死にこらえてやっとのことで学校にいっている子供たち、学校にいきたくないと思っている子供たち、いわばそんな予備軍、学校にいけない症候群まで含めると膨大な数になっている。

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 学校にいけない子供たちに光をあてていくとき、その子供に欠陥があるとか、その子供の家庭に欠陥があるからといった言葉でとらえることはできない、もっと根の深い問題が絡みついている。その根源的なところにまで照射していくと、欠陥は学校にいけない子供や家庭にあるのではなく、学校で行われている教育や、学校運営のシステムや、あるいは学校が持っている体質にあるのではないのか。学校にいけない子供たちは、日本の教育の持つ欠陥や日本の学校がもっている欠陥を暴く光ではないのか。

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 そういう論調が社会に広がっていって、やがてそれまで問題児童とか、就学困難児童とかいった学校にいけない子供たちを、登校拒否児童と呼ぶようになり、その言葉が定着していく。登校拒否です。学校にいけないではなく、学校にいかないです。欠陥のある学校にはいかないという意味を含ませた登校拒否という強い言葉で彼らを表現するようになっていく。学校にいけない子供から学校にいかない子供へと。問題児童から登校を拒否する児童へと、それはまるでマイナスをプラスに、黒を白に劇的に転換させていったような現象が起こった。これは雑誌「ひと」が起こした教育変革ムーブメントの輝かしい成果の一つだったのでしょう。

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 すると社会にどのような現象が起こっていったのか。学校に、子供たちにどのような現象が起こっていったのか。それまで登校拒否をはじめた児童の実際の数といったら、それこそゼロコンマ何パーセントといったものでしたが、しかしその背後には膨大な数の「学校にいきたくない症候群」の子供たちがいた。その膨大な「学校にいきたくない症候群」の子供たちが、一斉にとはいわないまでも、次々に登校拒否をはじめていく。それまで彼らには強いブレーキがかかっていたわけです。その強いブレーキがかかっていたから、苦しいけれどもかろうじて学校にいっていた。そのブレーキがはずされたのです。

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 そのブレーキをはずしたのは誰か。それが雑誌「ひと」の起こした教育変革の一大ムーブメントだったわけです。登校拒否児童を学校の欠陥を暴く光をもった存在として位置づけていった。それだけでなく、その論調はさらにエスカレートしていって、学校にいかないという行為にもっと積極的な意味をもたせていった。そんなに苦しいならば学校にいく必要はない。君の人格を傷つけ、君の性格がゆがめていく学校にいく必要などない。学校にいかなくとも人は豊かに成長していく。人が大きく成長していく道はいくつもある。だから学校にいかないという選択を決然として君は選び取ってもいいのだ。

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 もちろんこういう論調に厳しい批判もでていきす。学校を拒否するとは何事だ、憲法で高らかにうたわれている教育を受ける権利を否定するものだ、こんな論調が登校拒否をブームにさせているのだ、だいたい登校拒否という表現が正確ではなく、このような偏向的な表現は使うべきではないという批判がさかんに起こって、いまでは不登校という表現になっていますが。しかしそういう言葉に昇格させたということもまた、学校にいけない、あるいはいかない子供たちが社会的に認知されたということであり、かくて膨大な数の「学校にいきたくない症候群」の子供たちにかかっていたブレーキがはずされた。ここに二十一世紀のモンスターが生まれる巣窟がつくられていった。

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 不登校は即引きこもり現象につながります。自分の部屋にとじこもり、外の世界どころか家族とも断絶した生活がはじまる。短期的に、断続的に、あるいは長期間連続して引きこもる数が、いまや百万とも二百万ともいわれている。低開発国ではこのような現象は起こるはずもなく、またアメリカやヨーロッパの先進国にも見られない日本の社会だけに現れた特殊な独特の現象のようです。この現象の恐ろしいところは、一度引きこもると、二十代に、三十代に、四十代にと引きずり人間性を破戒していく。そこでさまざまな意味をこめて、この社会病理というか社会現象をモンスターとよぶのですが、この巨大なモンスターを生みだしたのが、「ひと」という雑誌が起こした教育変革のムーブメントであった。
 
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 須藤先生が私にボールを投げられ、私がみなさんにレジュメというボールを投げ返しました。そのときそのボールは、カーブでも、フォークでも、シンカーでも、直球のど真ん中でもと、いろんなボールを投げ込むことができたのですが、私はあえて不登校の問題というボールを投じました。いまそのボールが投げ返され、みなさんのレポートを読みまして、私がみなさんに投げたボールはまちがっていなかった、投げなければならないボールだったと思ったのです。というのは、みなさんの不登校の問題に対する思考や思索というものが、平板であり、単純であり、学校的であり、官僚的であり、教育委員会的であり、文部科学省的だという思いがするのです。

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 もっというならば、不登校児童は問題児童であり修学困難児童であり、その原因はその子に欠陥があるか家庭に欠陥があり、したがって彼らにたいする教育活動とは、その欠陥を矯正していくことにあるという思想。これは三十年前に遠山先生が私財を投じて「ひと」という雑誌を創刊させ、一大教育変革のムーブメントを起こしていったそのときの状況と、なにやらまったく同じではないかという印象をもったのです。同じ挑戦をどこの学校で仕掛けても、おそらくみなさんが書かれたものと同じようなレポートになるはずであり、これが大多数の日本の学校の先生たちたちがおもちになっている不登校児童にたいする思想ではないかと思います。

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 とするといったいあのムーブメントとはなんであったのか。なにも変っていないではないか。変ったように見えたが、実はなにも変っていなかったということなのか。しかしこれはこう考えるべきなのでしょう。あの大きなムーブメントが起こって、たしかに学校にいけない子供たちに光があてられ、彼らを救い出すために登校拒否という言葉になり、さらには不登校という言葉に成長させていった。社会も学校も行政もそのように変革されていったのです。だからこそ彼らを表現する言葉がそのように変化していった。しかしモンスターが生まれていく、人間を食いちぎるあのゴヤの絵のようなモンスターが日本中に生まれていく。いよいよこの怪物は成長し、百万とも二百万ともいわれる人間を食いちぎりながら成長をつづけていく。

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 この巨大な怪物の出現に、いったん教育政策を転換させようとしていた日本の教育行政は、ふたたび舵を大きく切って、もとの航路に戻してしまった。不登校は子供に欠陥がある、あるいはその子の家庭に欠陥があるから起きる。したがって彼らのその欠陥を、是認したり賛美したりしてはならない。彼らの欠陥を矯正し、学校に引き戻す教育活動こそ大切なのである。いまこそ不登校は絶対の悪であるということを再確認しなければならない。不登校は子供たちを食いちぎるモンスターを生み出す巣窟なのだ。彼らをモンスターの餌食にさせないために、絶対的な存在である学校に引き戻すことが必要であるという思想です。こうしてかつての教育思想が再び復活してきた。というよりも、教育変革のムーブメントの挑戦を受けたり、不登校ブームの大波を受けたり、さらにはモンスターの出現によって、とうとうと流れてきた保守的な学校中心の教育思想は、より進化し、より成長し、より成熟していったといっていいのかもしれません。

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 私たちはいまとんでもない時代に投入しています。子供たちがわからなくなったという先生たちがあふれ、先生たちの疲労や心痛はいよいよ深く、なんでも早期退職の率は先生という職業がもっとも高いそうです。子どもたちの暴力、学級崩壊、無気力、いじめ、援助交際、不登校と次々に不可解な現象があふれ、そして引きこもりというひと昔まえには想像さえできなかったモンスターが出現してきた。このとき子供たちと向き合う最前線に立つ先生たちが、先生という職業の魂をささえるよりどころとして、さらには授業の思想をつくる地点として、みなさんはその軸足を、進化し成長し成熟して復活してきた保守的教育思想においている。果たしてそれでいいのだろうか。その保守的教育思想で、あるいはそこからつくりだされる教育活動で、登校拒否や引きこもりというモンスターと対峙できるのだろうか。

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 私はここでみなさんに、さらなる挑戦のボールを投げるのですが、みなさんが不登校児童や子供たちを食いちぎるモンスターに対峙する思考や、教育活動をうみだすとき、みなさんがのせる軸足は、復活してきた保守的教育思想ではなく、「ゼームス坂物語」ではないか。ここで、突然、私の本を引き合いに出して、みなさんは唖然となされ、あっけにとられ(笑い)、いったいこの人物はなんと厚かましい人物なのだろうと思われるかしれませんが、結局、私とみなさんとの交流の場をつくりだしたのは、「ゼームス坂物語」であり、そしてまた私がみなさんに投げ込むボールは、この四部作のなかにすべて書きこまれており、それ以上のスピーチなどできませんから、みなさんに投げ込む第四球目のボールも、この四部作に収斂されていくのですが。「ゼームス坂物語」は、予言の書であり、日本人に永遠にはりつけられた黙示録だと私は思っているのです。

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 「ゼームス坂物語」は、三人の先生がそれぞれ苦闘しながら生きる世界を舞台に、三十六編の短編を集積した大河物語ですが、その一人が野島智子という元中学校の英語教師で、彼女の娘が不登校になる。そしてこの娘に導かれて不登校児童のための分校を開き、深く傷ついたさまざまな子供たちに出会っていく。ですからこの物語の三分の一は、不登校の問題と格闘した小説ということになります。例えば、第一巻には、追いつめられて自分の家に火を放ってしまった子供がでてくる。第二巻には、担任教師にいじめられた子供が不登校になり、その教師を呪い殺そうとする子供が登場する。第三巻には父親に学校にいけと暴力をふるわれ続けられた子供が、遂には金属バッドを握って父親に殴りかかる物語もでてくる。

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 それぞれの章が明るい展望のなかで終わっていますが、その劇はいずれも深刻です。悲劇的で、破滅的で、暗黒の底に転落していくような劇です。不登校になるとは、そういう劇を子供もまたその子の親も家族も生きることであり、その暗黒の劇から抜け出していくには、それこそ生命をかけた戦いが必要なのだということを描いた物語です。わが子が学校にいけなくなったとき、この物語の主人公である野島智子はどうしたのか。彼女はこの悲劇に立ち向かうために離婚しなければならなかった。そして毎朝四時に起きて、叔父の会社の事務の仕事をして生活費を稼ぎながら、自宅を開放して、不登校の子供たちが通ってくる分校を創設した。彼女はまさに新しい人生を歩きはじめることによって、不登校になった娘と対決していくのです。その物語が、不登校を肯定したり賛美したりする物語ではないことはお読みになればだれにでもわかることです。

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 さらに第四巻には『人生の冬眠』という章があります。これはまさにひきこもりをはじめた少女の物語ですが、この章のことで大変印象的なレポートを読ませていただきました。ちょっと話しを脱線させますが、私はさきほどみなさんのレポートが平板であり、学校的であり、教育委員会的だといいましたが、もちろんそのようなレポートばかりではありません。不登校の問題と深く格闘したレポートもたくさんありました。深く思索し、深い言葉で書かれたレポートは、これは私の本を宣伝するわけではありませんが、いずれもこの四部作をしっかりと読みこんでくださっているのです。小説というものは、読者に深い思索を促すものです。作者に賛同するにせよ、反論するにせよ、その軸足を保守的教育思想においているにせよ、その思考が平板で単純でなくなる。果然その思考が深くなるのです。ですからやはりこの四部作をしっかりと読んでいただきたいと、まあ、これはやっぱり宣伝になるのでしょうが。(笑い)。

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 それでこの『人生の冬眠』という物語を主題にして書かれたレポートですが、みなさまのレポートは一種の答案用紙ですから、答案用紙を公開するなど絶対にしてはならぬことですが、しかしここで私たちの対話を深くするために、もちろんお名前を伏せて、すこし披瀝させていただきますが。この方は引きこもりをはじめた少女の物語を、引きこもりをはじめたこの少女にも、やがて春がくるという明るい展望のなかで物語を締めくくっているけれども、私にはこの少女は、このままずうっと引きこもりを続けていくように思う。十代の終わりがきても、二十代に入っても、この少女は引きこもりを続け、そんな自分に絶望して何度もリストカットをしながら、引きこもりという地獄を引きずっていくように思える。私がそんな絶望的な暗いイメージをこの物語に重ねるのは、私の親戚に引きこもりを続けている家庭があり、彼らが背負っている悲劇を間近にみているからであるが、引きこもりという悲劇を、『人生の冬眠』という明るい展望をもった、なにかそれを肯定するかのようなとらえかたに違和感をもつと、そういうことが書かれておりました。

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 私はいま「ジュピター」という小説に取り組んでいます。この小説は「ゼームス坂物語」は光の物語ならば、この小説は影の物語になるのでしょう。この小説の主題は不登校をはじめた子供の物語です。不登校から引きこもりをはじめた若者の物語です。引きこもりからテロリストに成長していく青年の物語です。彼の父親は大学教授でした。母親はピアニストであり、彼女もまた才能を持った女性でした。だからこの少年もまた頭が飛びっきりよく、早くから自分の思想というものを確立していました。彼の思想とはこうです。「ぼくたちの世代は環境ホルモンによって生まれてきたのである。このような存在することの意味をもたないに子供たちが、その存在の意味を確立していくにはたった一つしかない。それは存在することの意味をもたない自分を生んだ父親と母親を殺害して、そして自らもその場で生命を抹殺する。その仕事を完璧に成し遂げたとき、環境ホルモンによって生まれた世代の子供たちは、その存在の意味をこの地上に確立したことになるという思想です。

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 病的なばかりに潔癖なこの若者は、この思想を十七歳の誕生日がくるまでに実行しようとする。こういう恐ろしい小説を出版する出版社などないでしょうから、『Clearing──開墾地』というホームページに連載しておりますから、興味を持たれた方はそこでこの若者を追跡していただきたいのですが。作家とは言葉の農夫です。豊穣な言葉を実らせて世に送り出していく。しかしそれと同時に、作家は言葉の犯罪者でもあります。犯罪というものが、いつでも社会と人間を深く鋭く映し出す鏡であり、またその犯罪がその社会の未来を予言しているように、作家は作品のなかで、人間と社会の暗い淵を描き、さらにそこに言葉の犯罪を組み立てて、きたるべき社会を予言するのですが。『ジュピター』はまさしく犯罪小説です。環境ホルモンによって生まれた彼のような若者は、生きる存在を確立するにはテロリストになる以外になかったという物語なのです。

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 この若者は特殊な存在ではありません。実にたくさんのテロリストが生まれているではありませんか。中東の話ではなく、この日本の話しです。彼らは政治的メッセージなど発しませんから、彼らがテロリストなどとはだれも思わない。しかし彼らの本質は、人間を殺すことによってしか自己を確立していけないという苦悩を背負って生きるテロリストです。レポートに書かれていた引きこもりを続ける若い女性もまた特殊な存在ではありません。彼女が何度もリストカットをするのは、死へと逃避をするためではなく、懸命に自己確立しようとする戦いなのです。彼女もまた環境ホルモンによって生まれてきた世代です。その魂が純粋であればあるほど、この環境ホルモンで汚染された社会のなかで自己を確立していくにはテロリストになる以外にない。あるいは何度もリストカットしながら引きこもりという地獄の中で生きていく以外にない。この二人の若者はすこしも特殊でありません。

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 私は環境ホルモンという言葉を、暗喩として寓意として使っているのですが、これを具体的な説明してしまうと、この言葉の象徴としての力が消えていくのですが、しいて言えば複合汚染といったことになるのでしょうか。さまざま汚染物質が体内に取り込まれ、それらの汚染物質が体内でさらに複雑な化学変化をおこしたりして、子供や若者たちを苦しめていく。彼らの苦悩と正対するとき、登校拒否ブームや引きこもりというモンスターを生み出したのは、あの遠山先生たちが起こされた教育変革のムーブメントであるといった批判が、いかに馬鹿げたものかということがわかります。登校拒否ブームや引きこもりというモンスターを生み出したのは、この環境ホルモンなのです。現代という時代はこの環境ホルモンが跋扈し跳梁している時代です。これが現代なのです。これが私たちの生きている現代という時代なのです。私たちはこういう社会をつくりだしてしまったのです。このとき、子供たちと正面で向き合うみなさんは、復活してきた保守的教育思想にその精神の軸足をのせていていいのだろうか。

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 『ゼームス坂物語』は予言の物語です。なぜこの物語が予言の物語になるのか。それはこの『ゼームス坂物語』もまた犯罪小説であるからです。犯罪とはその社会が落とす濃厚な影です。光が不滅ならば、影も不滅であり、この不滅の影から生まれてくる犯罪を人間は永遠に背負っていかねばならないのです。私はこの物語のなかで、人間が犯した数々の犯罪──学校の犯罪、教師の犯罪、塾や児童館の犯罪、不登校児童のためにつくられた施設の犯罪、父母の犯罪、子供たち自身の犯罪、教育そのものの犯罪を描きました。三人の主人公は数々の犯罪を起こしていきます。彼らにとって生きるとは、その罪を一つまた一つと重ねていくかのようです。だからこそ彼らは、懸命に自己を確立ための新しい地平を切り開いていかねばならないのです。彼らを支えるものは何もありません。援護する組織があるわけではないし、その活動をささえる教育思想やカリキュラムがあるわけではありません。なにもかも自らがつくりだしていかねばならないのです。いくたびも挫折し絶望しながら、しかし教師として生きていくには、そこに新しい地平を切り開いていかねばならない、そのことを描いた予言の物語であります。

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 マウンドに立った私の持ち球は「ゼームス坂物語」がすべてであり、結局私はこの「ゼームス坂物語」を、再度、全力をあげてみなさんに投げ込むのですが。「ゼームス坂物語」は、不登校だとか、引きこもりだとか、家庭暴力とかといった流行を描いた物語ではありません。教育変革のムーブメントや、それに対する反動勢力とかいった時流を描いた物語でもありません。教育の本質を描いた物語であり、教師が教師として自己確立していくための物語です。教師とは子供たちの魂をゆがめたり傷つけたりする犯罪者です。教師とは日々犯罪を重ねながら生きている犯罪者なのです。だからこそ教師たちは、教師の魂を獲得するために、全力をあげて自らに戦いを挑まねばならないのです。それゆえに、そのことを描いた「ゼームス坂物語」は、教師が教師になるための黙示録でもあります。
長時間のご清聴、ありがとうございました。


 

 

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