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私の母

 私の母はもと小学校の教師だった。東京の小学校で教えていた。子供たちはわがままだ。とくに都会の子供たちは。そんな子供たちを指導するには、強いリーダーシップが必要で、ときには暴君的な力が必要だった。彼女にはそういう力が欠けていた。子供たちの背後にはモンスターペアレントと呼ばれる父母たちがいた。ちょっと強く子供たちを叱ったりすると、モンスターぺアレントが教室に怒鳴り込んでくる。そういう父母たちに対応する力も彼女にはなかった。どんどん自信を失って、ストレスばかりがたまっていった。そんなとき坂北村の農学校に入学するのだ。

 夏の一週間、農家にホームステイをして、午前中は農家の人たちが話す授業を受け、午後は田圃や畑に入って農作業をするという学校だった。さまざまな人々が入学してきた。デザイナーとかコンピューターの技師とかコックとか銀行員とか大学教授とか。農業にあこがれている人たちが、全国各地からその学校にやってきていた。母がその学校に入ったのは、子供たちに教える社会科や理科の学習をより深めるというのが建前の目的だったが、しかし母がその学校に入ったのはもっと深い動機、なにか疲れた心を自然のなかで癒したいという思いがあったのだ。

 裸足で田圃に入ったときだ。ぐにゃりとした泥水のなかを歩いていくと、彼女のなかにたまっていた疲労や澱んだものが洗い流されていくようだった。そしてその泥水のなかから瑞々しい新生の血液が彼女のからだのなかに流れこんでくる。ああ、なんて土は優しいんだろう、土にふれていると心がいやされていく、私の仕事とは農を育てることではないのか。たった一週間のその体験は強烈だった。翌年の夏もまたその学校に入ると、その年度で教師を退職して坂北村に移住してきた。とんでもない飛躍だった。学級崩壊とか、モンスターペアレントたちとのトラブルとか、いろんなことに見舞われて、先生であることに疲れ、自信を失い、自分は本質的に教師になれない人間なんだと追い詰められていたのだろう。

 坂北村に移住した母は、田畑を借りて農業をはじめる。それは都会人の、元教師の、趣味的な農業といったもので、それで生計をたてられるわけがなかった。しかしちょうどそのころ坂北村に図書館を設立するというプランが生れていて、その仕事をする嘱託職員を募集していた。彼女はその仕事に就くことができた。そして図書館ができると初代の館長になった。非常勤の館長職だから一週間の半分をその仕事に、その半分を畑にでて農作業をするという生活ができた。そんな生活をはじめた母は二人の青年から求婚されるのである。



 

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