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子供語録  廣瀬嗣順

「お父さん、最近、人生楽しんでいないね」と小六の息子がポツッとつぶやく。彼の眼から見て、今の私が生き生きしていないように見えるらしい。それはドキッとさせられる言葉だ。
 東京から移住してきて、七年という歳月が流れている。此地での生活がすべて新鮮で、大気、光さえも愛しく思える心持ちであった。すべてが心の中に沁み込んで、心を活性化させてくれたようだ。
 自分の意志で安曇野の地を選び、自分の好きな仕事で生計を立てようというのだから、これ以上の事はない。そして心に余裕が生まれることは、こんなにも色々な事に気付けるものだということも学んだ。しかし、あれ程、沁み入ってきた自然の営み、変容も、知らず知らずの内に、仕事優先の中で、見失いがちになってきている。あれ程あった新鮮な感覚も色褪せてきている。そんな心の推移がどこか過ごし方に出てきているのだろう。

 移り住んだ七年前のことだ。二人の息子がまだ保育園児であった頃、二人が私たちの前にチョコンと座り、「お父さん、お母さん、ありがとう」と突然、言い出した。多分二人の言葉を借りるとここでの生活は「メチヤ楽しい」のであって、ここに来て「スゲエよかった」ということになるらしい。この言葉を聞いた時、将来の不安は見事に払拭され、「この選択は間違っていなかったんだよなあ」と思ったものだった。先が見えないにしろ、好きなことを新しくゼロから出発できることは新鮮で、夢を大きく膨ませることになる。そうした生き活きした私たち夫婦の生活ぶりを小さな目で見つめていたにちがいない。
 当り前の事ではあるが、子供らの目から親が仲良く、生き活き人生を楽しんでいる姿は子供らにとって最大の関心事だと思う。そして親が思っている以上に、彼らは親の生活ぶりを観察しているのに驚かされる。

 或る日、「ねえ、お父んとお母さんが結婚していなかったら、ボクたち生れてこなかったんでしょう?」と突飛な質問をしてきた。「お父さんが他の女性と結婚したり、お母さんが他の男性と結婚していたら、お前たちこの世に存在していなかったんだろうね」当り前のことなのに妙に納得してそう答えてしまった。「どうしてそんなことを急に訊くんだ」。「うん、生まれて来てすごくよかったと思っているから」とは上の息子。「うん、メチャ楽しいもんな」とは下の息子。「ふん、ふん、よかった」「よかった」とお互いの顔を見合わせて頷いていた。
 この会話は後になって深く考えさせられたのだ。当り前のことなのに、「生まれて来てよかった」と感謝して生きてきたかということ。そうした生き方を実践してきたかということなのだ。

 実際、彼らの生活ぶりを見ているとフルに楽しんだ活動をしている。朝六時四十分に家を出て、帰ってくるのは夕六時頃。ほぼ十二時間学校での生活、往き帰りの道草にと全霊を傾けている。彼らの顔を見ていると、かつて私もこうした子供の黄金時代を持っていたことがフッと想い起こさせる程だ。
 思わず、「うんと遊べ!」「思い切り遊べ!」といいたくなってしまう。実にいい顔をしている。子供くさいという表現がぴったりとくる。楽しかった一日の出来事を息を弾ませながら一気に語ってくる。親もこの一時を楽しみにしている。小さな倖せを感じる時でもある。親の子育てではなく、子の親育てがピタリとくる程、子供たちに教えられることが多々ある。大自然の圧倒的な静けさの中で、彼らの屈託のない笑顔がより一層、生きている実感を増幅させてくれる。

 上の息子と犬の散歩をしていた時のことだ。「お父さんの人生いいと思うよ」といわれた。お墨付きをもらった。親と子としてではなく、一人の人間としての見方を常日頃からしてもらいたいと思っていたものだから妙に心が踊り出してしまった。同性ということもあってか、子供の目に私がどう映し出されているかを時々意識することがある。それは親としてよりはむしろ生きている人間としてどう映るかなのだ。思えば、私自身の子供の頃、親の生き方に無関心ではなかったように思える。色々な質問をぶつけてみては、人間としての容量を推し測っていたように思える。生憎、父に関しては反面教師となってしまったのだが。それでもいいと思う。一番身近かな人間の生き方を通して、彼らが観察し、無意識の間に自分を形成してゆくものだから。
 彼らは知らず知らず様々な原体験を通して〈人生〉というものを修得していく。自主性も能動性も創造性もこうした体験の積み重ねの中で学んでいくことになるだろう。

 幼児期、少年期の過ごし方が大人になってから生き方の礎を形成していることは確かだ。「人間は遊んでいる時だけが、実は、完全な人間なのだ」とシラーがいっている通り、「メチャ楽しい」のであって、子供たちも大人になっても、同じ気持ちをもって生きていられたら素晴らしい人生になるだろうが、なかなかそうはいかない。しかし、子供時代の「メチャ楽しい」原体験が生きる力を養っていることも頷ける。そして、その根底には「生れてきてよかった」といえることが大事なのかもしれない。忘れていたことが子供の言葉によって再認識されるとは、その洞察力には恐れ入る。子供の言葉だから大意はないのかもしれないが、時には心にグサッと入り込んでくる。
「お父さんの人生、楽しそうだね」
 そんな生き方をしたいものだ。そして、親の知らぬ間に子供たちは子供なりの人生を歩んでいるのかもしれない。
                       (安曇野絵本館)

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