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なぜ編集者たちは、彼女の才能に気づかないのだろう

鶯谷という駅がある。谷に清流が流れ、木立がこんもりと生い茂り、その森から鶯のさえずりが、朝に夕に聞こえてきたのだろう。そんな景色を伝える駅名だが、その駅の改札を抜け、国立博物館の裏を通り、芸術大学の脇を通って、言門通りを渡ると、谷中、根津、千駄木という地域に出る。あるいは日暮里駅から、谷中の墓地を横切っていくのも風情のあることだ。

裏通りは蛇がのたうつようにくねくねと曲がり、その両側にはひさしをつらねて人家がぎっしりと建て込んでいる。その路地裏を歩いていくと、私たちはそこそこに古い時代の景色に出会うことになる。次第に遠くなりつつある昭和の景色であったり、短くも美しかったのであろう大正の景色であったり、あるいはあの漱石の小説で描かれているような景色に出会ったりする。景色だけではない。そこに漂う空気やにおいまでが、なにやらその時代をただよわせていて、なつかしさと同時に、なにか胸がしめつけられるばかりの気持ちになる。胸がしめつけられるのは、私たちの生きた時代が、あるいは私たちの原風景ともいえる景色が、どんどん遠くなり、やがて消え去っていくという寂寥感からやってくるのだろうか。
 
二十三年前、この地に小さな季刊雑誌が発刊された。「谷中・根津・千駄木」である。以来この雑誌はとぎれることなく刊行されて、現在八十九号まで刊行されている。しかしこの雑誌にも、間もなくピリオドが打つ日がやってくる。その八十八号の裏表紙に、その終刊宣言なるものが載せられた。

私はこの雑誌の長年の購読者であり、刊行者の一人である山崎範子さんとは深い交流があり、彼女の原稿を「草の葉」で連載したこともある。そんなこともあってこの報に接したとき、いろいろと私の心にしみこむものがあって、私はやはり私の最後の仕事に踏み出さねばならないと思ったりした。その一つが山崎範子さんの本を作りたいという思いだった。

「谷根千」の刊行者の一人である森まゆみさんは、いまではすっかり読書社会のスターになっていて沢山の本を出している。しかし山崎さんの本はいまだ一冊も出ていない。このことが私には不思議でならないのだ。なぜ編集者たちは彼女の才能に気づかないのだろうか。なぜ編集者たちは彼女の本を出さないのだろうか。彼女の書く文章には鋭い切れがあり、その対象を捉える視線は深い。それでいて、その文章はあたたかく、読む者を幸福にさせる。彼女は上質のエッセイストとして、独自の世界を作り出していける才能をたっぷりともっているのだ。

のりまんか

きはしとて

のになんか

のにんすい

のまきく

なんかまく

はしていか

りれにのはき

まくんかすい


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