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戯曲                翼よ、あれが巴里の灯だ 第七稿

 第三幕 

創作の力を取り戻した彼女の書斎、ドアを開けると木組みのテラスになっている。彼女はその二つの空間を移動しながら独白していく。

 アンナは酒樽のなかでおぼれていた私を救い出してくれたのよ、私の体の中からすっかりアルコールはしぼりだされていった、そしたら水がおいしかった、こんなに水がおいしかったのかって思ったわよ、朝のにおい、風が運んでくる森のにおい、草の香りがする、もう大丈夫よ、生命のリズムがもどってきたの、もう私はあなたの背中に背負っている十字架がしっかりと見えるわよ。あなたに立ち向かうだけの人間になったの。話してちょうだい。あなたの七十年の人生のドラマを。アンナはあふれて出くる泉みたいに話してくれたわよ、朝のテラスで、森を散策しながら、昼さがりのポーチで、夜の居間でね、それは大きなタペストリーを織り上げるように話してくれた。ドイツなまりの癖のある英語で、朴訥で力のある言葉で、信念と誠実の言葉で。

アンナは二十五歳のとき、ドイツからアメリカに渡ってきた、古い大陸に生まれた、閉塞の社会に生きる若者たちにとって、アメリカは希望の大地だったわけよ、ニューヨークの18丁目六番地のイタリア人の経営するベーカリーに職を得て、いつの日か自分の店をもちたいっていう希望をいだいて働いていた彼女の前にあらわれたのが、彼女より一歳年下だけど、たくましく、誠実な大工のハンプトマンと恋に落ちるのよ、二人は堅実だった、彼らの恋愛はまず結婚するための資金をつくろうということからはじまっていくのよ。二人はこつこつとお金をためて、彼らのすむ住居を手にしてから、それで、友人たちを招いて、友人たちに祝福されて結婚するのよ。この二人の堅実な生き方をみてよ、これはとっても重大な視点なのよ、ハンナの夢は自分のベーカリーをもつことだった、パン作りの技法を磨き、その店の開業資金をこつこつとためて、もうすぐその夢にふみだすというときに、突然、ハンプトマンは逮捕されるのよ、二年も前に起きた、アメリカ中を揺るがした、リンドバーク・ジュニアの誘拐事件の犯人として、なんなんだ、これはいったいどういうことなんだと叫ぶハンプトン、まったく身に覚えのない犯行が次々に彼に貼りつけられて裁判にかけられる、ハンプトンはその裁判でも一貫して無罪を叫ぶけれど、陪審員は全員ハンプトンに有罪の判決を下す。アンナも懸命にさけぶ、夫は無実よ、夫は何もしてないの、何もしていない夫がなぜ死刑判決なの。そんな叫びもむなしく、夫は、電気椅子に座らされ、二千ボルトの猛烈な電流をながされて処刑される、そのときアンナは三十八歳、それから三十年間、彼女は夫の無実をはらすための戦いをつづけている女性だったのよ。

アンナが懸命に話するその磔刑の人生に耳を傾ける時、酒におぼれていた自分がなんて愚かな、腐った、ぼろきれみたいな人間だったのかって思ったわよ、心がふるえた、心がもうエンジンをかけたみたいにぶるぶるとふるえた、作家としての生命がめらめらと燃え上がってきた、作家として立たねばならない、これこそ私が書かねばならない、激しく突き上げるものがありながら、私はだらしなくだらだらしていたのは、大きな壁があったからなのよ、私はフィクションの作家なのよ、フィクション作家は、タイプライターの前に座って、想像力で、自分のなかに育っていく物語を打ち込んでいけばいいのよ、しかしアンナのタペストリーを書くためには、それまでの私の文体を打ち壊さなければならない。私は作家としての文体をうちこわすという私自身の革命が必要だった。そんなことで、その仕事に取りかかるのをくずぐずしていたら、とてつもない本がベストセラーになって登場してきたのよ、トルーマン・カポーティが書いた「コールドブラッド」(冷血)という本、カンザス州のアイダホという小さな村で起こった一家四人が殺害された事件をえがいたノンフィクション、カポーティってもともとフィクションの作家だったのよ、ところが彼は一大変革をとげるという芸当をやってのけた、彼はその事件を描くために徹底的な取材からスタートする。アメリカのド田舎アイダホまで何度も足を運び、その地に行われた裁判にも欠かさず出かけて、二人の殺人者にも何度もあって、彼らを収容した刑務所まで足をはこんで、独房で殺人者とキスしたりしている、そうなんだ、ノンフィクションを書くには、まず足を使って取材からのスタート、そのことがなかなか踏みだせなかったけど、「コールドブラッド」の登場で私も、ようやくエンジンをかけて、アクセルを踏み込んで、リンドバーク・ジュニア誘拐事件の取材からスタートさせるのよ。

カポーティの「コールドブラッド」は、同時代に起きた事件、リアルタイムのノンフィクションだけど、リンドバーク事件は三十年も前に起こった事件だった。その事件の全貌を知るには、三十年前にタイムスリップしなければならないわけよ、でもホープウェルのリンドバーク邸はいまなお毅然として立っていたし、その豪邸に入って内部までみてきたし、幼いジュニアが頭を砕かれて捨てられた現場をさがしてみたり、ハンプトンが処刑されて監獄まで足を運んだわよ、その当時の捜査官や、刑事や、弁護士や、公聴していた人や、判決をくだした陪審員たちの、彼を処刑した看守たちに、刑務所の看守たち、新聞記者たちを追跡していったわよ、大半は亡くなっていたけど、でもまた生存している人も多数いて、アメリカ中に散らばっている彼らに取材するために何百通もの手紙を書いたり、電話をしたりして、その住所がわかったら、その人物の生きた足跡とどめるために、何十キロ、何百キロと車を飛ばして、裏通りの安ホテルにとまり、空振り、空振りの連続だけど、あきらめずに何度も足を運んで閉ざされたドアを私の取り組む本にその決定的な存在と決定的な輝きに与えるために、もえお金がどんどんなくなっていく、でも無実の罪を着せられて消えていったハンプトマンを明確に描くためのわたしは行動した。私がその取材でもっともお金をかけて取材したのがドイツへ取材の旅だった。もうハンプトンが愛したハンプトンの母親は当然いなかっけど、彼の親族がハンプトンが母親にだした何十頭もの手紙をよむことができたのよ。ハンプトンの親族だけでなく、もちろんにアンナの一族に取材をしたりして、そうしてこの大作に足り組んでいくわけよ。ハンプトマンの人間を知るためにものすごいお金と時間をかけて何十回も取材の旅をしたのよ。

こうして次第にリンドバーグ・ジュニアの誘拐事件の全貌があらわらになっていくけど、その取材のアタックを深めていけばいくほど、裁判記録などをさらってみればみるほど、マスコミが報じた腐るばかりの報道記録を収集すればするほど、その杜撰な捜査があきらかになっていくわけよ。

例えばよ、リンドバーク邸は森の中に建てられているのよ、周囲に家などない、まったくの森の中にたてられた豪邸よ、その日にその邸宅にいたのは、アンと、チャールズと、リンドバーク家の執事と料理人をやってるオリバーとエルシーのホエトリー夫妻、それとチャーリーの育児係ベティ・ガウ。その夜も彼らはいつもの日常生活をしていたのよ。ベティはチャーリーに夕食を食べさせ、二階の角部屋のつれていって、彼をベッドに寝かした、それが七時半頃だった。ニューヨークから車を飛ばしてリンドバーグが帰ってきたのは八時半頃だった、それでリンドバーグとアンは夕食をとって、そのあとリンドバークは二階にあがって、バスるーまがばするーろのバスルームに入浴かする彼の書斎にはいり、アンはペッルームで読書して、そして十時過ぎに育児係のベティ・ガウがジュニアのおむつをかえるためにジュニアの部屋に入っていくと、ジュニアの姿がきえていた、つまり誘拐犯人は、七時半から十時までの二時間半の間に、外から梯子を二階の窓にかけて、その梯子を上って、窓をあけて部屋に侵入いて、幼児をさらっていったということよ。そんなことってありえる。真夜中、一時とか二時とか、家族全員が寝静まったときに、こっそり忍び込んで幼い子どもをさらっていくっていうならわかるけど、家族全員がまだあちこち動き回っているときにその家に忍び込むなんてありえないじゃない。でも誘拐犯人はそのいような時間にジュニアを二階の窓から誘拐した。

いくつも不思議なというか、奇妙なことがあるのよ。その角部屋は東側と南側の三つの窓があるけど、南側の三つの窓のうち一つだけ鎧戸の錠が数日前からかからなくなっていた。まるで犯行者はそのことを知っていたのかのように、その窓に梯子をかけて、そこから侵入しているのよ、さらに奇妙ことがある。警察の鑑識が到着して、その部屋の指紋採集をしたけど、たったひとつもの採集できなかったといのよ、犯行者が犯行のとき手袋をしてたならば、犯行者の指紋は残ってないわよね、当然のことだけど、でもその部屋に何度も何度も、それこそ何百回とはいってあちこちに指紋をつけている家族や育児係のベティの指紋もとれなかったのよ、つまりその部屋中の指紋がふき取られていたのよ。こんなことをする誘拐犯行人っているの。

もっとも奇妙なのは、その日のリンドバークの行動なのよ。かれは八時半自宅二帰ってきた。そしてその帰宅を待っていたアンと食堂で遅い夕食にとる。そのあと彼は二階にあがってバスルームにはいるの。そのバスルームは、ジュニアの寝かされた部屋の隣にあるんだけど、ジュニアの部屋をのぞいてないのよ、そのときジュニアは風邪をひいていたのよ、父親ならば帰宅したならはまっさきにむそんな子どもの様子みるのがふつうでしょう。ところがバスからでてもわが子の様子などみずに階下にある彼の書斎にはいってるのよ、それで十時すぎに、ベティかジュニアにおしっこさせるためにその部屋に入ってベッドをのぞくとジュニアか消えていた、ベティはアンが連れ出しのだろうと思い、アンにたずねるとこことにいないわよ、リチャードがつれだしんじゃないのという、それで二人でどどっと階下にかけおりてチャールズにたずねるのよ、あなた、リチャードをどこに隠したのと尋ねると、彼は、おお、ノーとさけぶと二階に駆け上がり、ジュニアの部屋にとひこんで、空になったベッドを見降ろすと、「やつらに誘拐されたんだ」とさけぶと、自室からライフルをもって外に飛び出していったのよ。まるで誘拐したやつを銃撃するみたいによ、おかしな話よね。

そのおかしな話のきわめつけは、通報をうけた警察車両が列をなしとリンドバーク邸にかけつけるのよ、何十人もの捜査官や州の警察長官までやってくる。ところがその捜査の指揮をとったのは、なんとリンドバークだったのよ。リンドバークが捜査本部の陣頭指揮をとってるなんて、ありえないじゃないの。

その誘拐事件は連日、トップニュースよ。その小さな村に何百人もの報道する人間たちがやってくる、リンドバーク邸宅をみようと何千人もの野次馬がやってくる、とにかくリンドバークはアメリカの英雄だから、この事件は全アメリカ人の心をゆるがす一大事件になっていくわけよ。その捜査にFBIの捜査官たちも割り込んできて大規模に捜査は展開されていくけどさっぱり進展しない。幼い子どもの命がいよいよあぶない。アメリカ中がそれこそかたずをのんで見守っている。そんなかリンドバーグは、誘拐犯人と取引するという声明をだすのよ、犯人との個人的取引をするなんてなんとも奇妙な声明が、新聞やラジオで大きく報じられると、この事件にさらに奇妙にさせたジョン・F・コンドンという人物が現れるのよ。彼の登場がこの誘拐事件をさらに奇妙なものにさせるんだけど、コンドンは小さな子どもの誘拐に大変心をいためている、そこで自分も一千ドル提供して、犯行者との仲介にあたりたいいうメッセージ、それが新聞に大きく報じられると、すぐにコンドンのもとに誘拐したという犯行グループからの接触があるのよ、それでこの犯行クループなるものと交渉がはじまる。彼らは現金を要求してくるわけよね、

その交渉はかんたんに成立しないわよ、何度か駆け引きがあって、これが最後の交渉だとばかりに、犯人グループは七万ドルを要求してくるわけよ、アメリカの英雄リンドバークにとって七万ドルなんて朝飯前のお金なんだわ、リンドバーグはその金を引き出してくる。警察は捜査チームはその七万ドルの通し番号を記録しておくのよ。それがのちにハンプトン逮捕につながるんだけど、それでその大金をもってこんどんはし犯人との名乗る男とはじめて接触して、それでコンドンはまずジュニアを返してくれ、ジュニアを返してくれなければこんな撮り日にのの姿を確認と要求する。すると犯人は、ジュニアはネリー島に停泊している船にいる。そこで元気で大切に保護していると根それと信じろってい七万ドルをよこてせいうの。ここでよこさなければ話は決裂どだ、これでジュニアの命はなんると脅迫されて、コンドンは七万ドルをてわたのすのょ、それで捜索隊が、そのネリー島一帯をさがしたけ。その船は停泊していなったるまんまにコンドンはその犯人たちに金に巻き上げらというるなんっていに馬鹿げたと取引をしたものよ。

そしてその誘拐されてから二か月もまたった五月十二日に、リンドバークの邸宅から五キロも離れていない林のなかにすてられていたのよ。動物たちにあちこち食いちぎられたのか、もう姿をとどめないほどの白骨化されたと状態で発見された。ということは誘拐された三月一日、その日にすでにジュニアは殺害されていたったことなのよ。

この事件の捜査は、まるでそこでピリオドがうたれたかのようにさっぱり進展なし、月日とどんどん去っていく、一年たち、二年たっても袋小路からぬけだせんい、こうしてこの事件は迷宮入りになるかのとだれもがおもっていたとき、捜査が突然動きだすのよ。動き出すどころじゃなくて、いきなり誘拐事件の犯人が逮捕されるのよ。リチャード・ハンプトンが。なぜ彼が逮捕されたというと、奪いとられた身代金七万ドルの通し番号を記録されていた紙幣をハンプトンはあちこちで使っていたからなのよ。それで、その日、ハンプマンはガソリンスタンドでその紙幣で支払った、そのことから足がつき、捜査官が彼の自宅を捜索するとなんと天井裏に二万ドル近い通し番号に記録された紙幣が隠されてあった。もはや決定的な証拠としてハンプトンは、リンドバーグ・ジュニア誘拐殺害事件の犯行者として、連日に昼も夜も彼に一睡もさせない過酷な取り調べでハンプトをおいつめていく、お前がやったんだろう、白状しろって脅迫していく。ハンプトンは抵抗する。おれはやってないって。

ハンプトンは五六年前からイシドア・フィッシュという男と事業を起こそうとしていたのよ。このフイッシュという男は、怪しい人物というか、どうも詐欺師そのものみたいな人物のようみえるのだけど、でもハンプトンはこの男がおこそうとしいるなんでも毛皮を売るという事業に共鳴して七千ドルも投資をするのよ、それでフイッシュはドイツに帰ってその事業をスタートさせるからといって、アメリカを発つときとくに、留守宅に置いておくと誰かに盗まれるかもしれないからって預かってくれないと、ぼろきれと二グル具にまかれと小包をわたされるのよ。オーケー、お安い御用だってハンプトマンは自宅の天井裏に投げ込んでいたのよ。

ところがドイツの営業にいったフイッシュはなかなか帰ってこない。帰ってこないわけよ、彼は結核にかかって死んでるのよ。それでそんなことが分かったある日、彼から預かられて、天井裏に投げ込んでおいたぼろきれにくるまれた小包のことを思い出して、それを開けてみると、なんとそこにドル紙幣がぎっしりとつまってじゃないの。かれとらど゜うしたものかと思案するけ度ど、ハンプトマンはこのフッシュに七千ドルも投資している、その金をとりもどせることになるっていう思案で、その金をちょびちょびと使いはじめていたってわけなのよ。それが捜査当局に察知されて、その出所を懸命におっていた矢先に、ガソリンスタンドでその金で支払った、そのガソリンスタンドの人がその紙幣にハンプトンの車のナンバーを書きとっていた、そこからとね何にのついに足がついた。

それはもう捜査官たちは、ハンプトンの白状を迫ってそれはもう拷問攻めよ。ハンプトンはその様子をドイツに住むハンプトンの母親にあてに手紙にかいてるのよ。もう朝から深夜まで、「私は椅子に手錠でつながた。そして警官にひどく何とに殴られて糸目にとこに倒れ込んだ。それから彼らにはハンマーを見せた。そして彼らは照明を消して。そのハンマードで殴りつけてきた。両肩、後頭部、腕らる払いに瀬名院ありあらゆるつけては、「白状しろ、お前゛がやったのはわかっているんだ。、早くそのお前がやつそれはたたきつける。そしてそれだけなに夜もねかせない。尋問をつづけておいこんでいくの。

そしてもつと苦しめに都の言葉の彼にハートに突き刺さの戸に言葉の暴言による脅してよ。そのきとハンプトンの妻、アンナもと拘束されてい共犯者として。捜査官はかさら罵声を浴びせるのよ、「おまうにかうちぅは大勢の売春婦とともに監獄にぶちこまているんだ。赤ん坊とひきはなされていな、おまえに赤ん坊はいまどこにいるんだ、かわいそうに泣いているぜ。お前の女房の戸にも半狂乱になつて出してくれって叫んでいるらしいぜ。それはそうだよに。赤ちゃんとが餓死させたいからな、お前に人間としてハートにあるからのお前がしたことはつきりと白状すればいいんだ。そうしたらのだかにそれと出来に猪戸るおまうにけだものだからなのおまいに妻や子ども何が熱田にかマイユとなしの意。お前と一歳半に赤ちゃんに平気で殺すけだものだ。だけでおまうに妻が子に通路とに組にとに吊るそうとしているんだそ。終え間に女房を助けたくないのか。津美にロープとにつる撮れていもいいのかる。おまうに巣子での人間に心あるなら浬助けようと思わないかの。お前のしたことに全部はかだせばいいんを、それは二全部俺がやりましたって白状すればすべてがきれいになるのだ」

捜査官たちも検事たちは彼がもはや絶対的な犯人だときめつとめさかんとにさまさにあきれるばかりの証拠をでっちあけていくのよ、たとえばハンプトンの自宅のニカイむ大工道具とか資材など収納している小屋の天井の板が一枚剥がれていた、その板でハンプトマンはリンドバーク邸宅の窓にたてかけた梯子に使ったのではないと推察して、専門家にハンプトマンの小屋の天井板と、リンドバーク邸宅に使われた梯子とを科学的検証して同一のものだと判定されたとか。犯行当日、リンドバーグ邸の近辺に自動車がとまっていて、そのなかにハンプトマンに似た人物が座っていたことを目撃していいるとか、犯行者から指定された墓地にあらわれ、七万ドルにわたしはこの男によくにている、いやこの男だいうあここでもあいまいに証言が、検事か裁判で追求するととき似ているでは生この男だ断定する証言にされたり、何通もの脅迫状とハンプトンの筆跡を専門家に懸賞させると。まったく同じとら証言さしいったとり、裁判はもう一方的にてんかいされいてる。その裁判を報道する新聞に都もラジオに検事がくりだすと追及する事例ばかりに強調されて報道されていき、もうアメリ中からハンプトマンを死刑にせよというこえが湧きたっていく。

 酒樽のなかでおぼれていた私を救い出してくれたアンナが、骨の髄にまでしみこんでいたアルコールがすっかりぬけた私に、まず私に読んでもらいたいと言って、三枚の黄ばんだ紙片を渡されたのよ。ハンプトンが獄中からアンナにあてた手紙、処刑される直前に書かれた遺書といった手紙、わたしはその全文を筆写して、書斎の壁に貼って、書くことに行き詰ったとき、ハンプトンを見失いそうになったとき、自分の無力さにおびえるとき、いつもこの手紙を読むのよ。

(レリースは壁に貼られたタイプ用紙をはがす)、

綴りがいたるところに間違っている。文章だって文法だってちょっとおかしい。しかしそんなことはどうでもいいのよ、ハンプトンは彼の生命と言葉をこの手紙のなかに刻み込んでいるの、アメリカの罪を告発する手紙、アメリカをよみがえらせる手紙、アメリカに希望に与える手紙よ。

 「この手紙は……〈読みとばしながら〉足音が近づいてくるが……トルーマンという男がやってきて卑劣な取引をもちかけてきたんだ。すべてを告白しろって、すべてを告白したら、お前の罪は減刑される。敵の罠だと思ったが、しかしこんな罠をかけたってぼくの主張には少しも揺るがない。ぼくは誘拐していない、誘拐していないのにどうして子供を殺すなんてことができるんだ。しかし敵はささやく。そうだ、お前はしていない、私もそう思っている、だからこそお前を救い出したいんだ、お前を電気椅子から救いだせる唯一の方法なんだ。もうすぐそこまで処刑の日が迫っている。いまはもうこの手を使わなければ、お前を救いだせない。これが最後の手なんだ。だから、まず告白するんだ。嘘でもいいから自分はやりましたと告白する、そう嘘の証言をして、ひとまず処刑台から逃れる、そしてそこからまた戦い開始すればいいだろう、トルーマンってやつはこういってぼくに迫ってきた。

しかしぼくはきっぱりと蜜のような甘い汁を垂らして仕掛けてきた罠を断った。そんな話にのれるわけはない。もしそんなことを認めれば、ぼくの命を救われたとしても、ぼくたちの息子ジョージも、殺人者の息子として生きなければならないことなる。そんなことがぜったいさせない。ぜったいにそんなことをさせたくない。だけど、この裁判でぼくは殺人者として処刑される。彼はこれからつらい人生を歩いていく。お前は殺人者の子どもだってレッテルを貼られて生きていかなければならない。それを思うとぼくの心は張り裂けるばかりだ。

ぼくたちは希望を抱いてアメリカに渡ってきた。アメリカはぼくたちの希望の大地だった。しかしいまこの国は間違った裁判で、間違った判決を下して、一人の無実の人間に処刑台に送りこもうとしている。ぼくはそのことを後世に伝えるために犠牲になるということかもしれない。アメリカは必ず気づくはずだ。これは間違った裁判だったって。気づかなければならならないんだ。ぼくはそのことを後世に伝えたい。ぼくの生命は、二度と誤った判決を下さないという一つの大きな転機となる、この間違った裁判が、新しい国の裁判を作りかえる、その土台となったその礎石となったとされる日がくるかかもしれない。そのことをアメリカに、アメリカ人に伝えるために、ぼくは処刑台に立つことになるのかもしれいない、ぼくは誇りをもって死んでいけることができることになる」

 そう手紙に書いたけど。まだハンプトンは最後最後に監獄から救い出されるという希望をもって生きてるのよ。でも杜撰な残酷な裁判は結審にむかつて進んでいく、ウィンレツという検事はこういって陪審員たちを煽るのよ。

──陪審員のみなさん、一九三四年十月以来何か月もかけて、私たちはいくつもの証拠をきびしく検討してきました、それらのものが指し示すものは、ただ一つの、被告ブルーノ・ハンプトンマンの有罪という事実のみです。この人物はわずか一歳半になった子どもの頭をハンマーで打ち砕き、即死させて袋に投げ込み、森のなかに投げ捨てたのであります。この獣のやることです。すべて獣のなかでも最も愚劣な獣です、陪審員のみなさん、情状酌量の余地はありません。正しい評決を下さなかったら、生涯、なぜあのとき自分は正しい評決ができなかったのかと苦しむでしょう。正義を守り、正義を貫く意志と魂をもったみなさんは、必ずや正しい評決を下されるものと信じます。すなわちこの被告は、第一級殺人の有罪と」。それで判決は、そのとおりになったのよ。

ハンプトンはこうして州刑務所の独房に収監されて、その電気椅子にかけられる日をまつことになった。その日を刻々と近づいてきたときに、ニュージャージー州の知事になったばかりの若いハロルド・ホフマンという知事が、この裁判に深い疑いをもって、それでとにこの若い知事は刑務所を訪れて、ハンプトンに問いかけるのよ。この犯罪は君に一人でできるわけがない。君の共犯者がいたのだろうの。君は仲間をかばっているのだろう。このままでは君は確実に史圭太真実を離したらどうか。真実を話したに気とみに死刑はなくなるとね彼にといかけるの。しかしそんな問いかける知事にハンプトンは激しく抗議するのよ。私はなにもしていなとに、いつさい私に関係ない、私には無実なのてに、知事はこのハンプトマンに強い印象にかけら無実だという直感だけでにの裁判記録に都の深い歌い゛とにの差のるそれに字に都の陣にもあ処刑がひきのざると野茂に都イに裁判にのやりなおてもとのとの。知事はやっと自発的に行動する党悟を決めた。まだ答の出ていない疑問がたくさん残っており、ハウプトマンが翌日の夜に処刑されてしまえぱ、それらは解決されぬままになるかもしれなかった。他のいくつかの州の知事と違って、彼には死刑齔終身刑に減刑する権限がなかった。だが、処刑を九十日まで延期することはできた。たしかに、刑の宣告から六ヵ月以上は執行猶予を認められないこととなっていたのだが、それを過ぎても延期が認められた例は過去に少なくとも十四件はあったのだ。ホフマンは三十日間の執行猶予を命じることに決めたが、公表する前にそのことをウィレンツに知らせた。そしてウィレンツは、ホフマンに調査の時間を十分に与えるため(検事総長は調査の結果を恐れていなかった)、三十日の期限が終わるまで処刑の期日を決定しないようトレンチャードに要請すると言った。処刑期日は、それを決定した日から四週間以上、八週間以内とされていたので、ハウプトマンの生命には最低二ヵ月の猶予が与えられたことにな

しかしその延期されと期限にきれて二度目に処刑の人が決定されとた。その決定に都の知事は懸命に法的適宜に講じてひきのばいとね。里に去れとに区とに起源期とレに都の三度についに最後の段階になつてきとに知事とになんとハンナに~説とのこころみにいにといのと

「いいですかねこれが再度にの子の死刑判決に九か絵か二てのね彼が真実にカルトにとのいる。との彼と二荷と岸にいともに短トライに羅中本的にとにやつたと二はンんことに猪戸るさの人に彼とにい小曾に子機とに今市の二ノしけとに園人伊野氏の戸にいると目の駆けとにの意に得意のと兄とのいもとに替えの撮る園月とに嘘に問いも彼に丹戸ン手に得意肉に彼に告白させて句第二との。兄と新野彼に説得すれとに根彼に救われるのです。

しかしそのとこに班内との刷毛Gにはしけに反発するの。アンナは感情をおさえきれなかった。「だめです。できません!」ホフマンによれば、彼女はこう言ったという。「私の夫はあとほんの数時間しか生きていられません。どうして、そんなことができるでしょうI私まで、夫が子どもを殺したにちがいないと信じていると思わせるなんて。罪のない人間を金目当てで死に迫いやろうとするあの瞳つきの証人たちを、私までが信じていると、リチャードに思わせるなんて1とんでもない!けっして、そんなことはできません。たとえリチャードの生命を歉うためでも、私にはできません。あの人は本当のことを話しているのです。それ以上、何が言えるでしょう? 嘘をついて自分が犯人だと言えば、生命が助かるかもしれません。けれども、いずれは、その言葉が真実でなかったとわかるでしよう。だめです。彼がそのような罪を犯したと嘘をついたとしたら、ずっと後悔しつづけるにちがいありません」

1936年の4月 3日、厚い雲がたれこめて寒い日だった。ハンプトマンは電気椅子に縛らての二千ボルトに電流を流されて処刑された。彼は次のようなにかいた紙片をその処刑にたちあった牧師に渡しているのよ。

 《私は喜んでこの世にわかれを告げます。この世は私を理解しませんでした。やがて、私はふるさとに帰り、主とともにあるでしょう。主への愛はゆるぎなく、私は無実の者として死にます。それでも、私の死によって死刑廃止の動きが多少とも進展するならば、私の死は無駄ではなかったと思います。私は神とともに平安の中にいます。いま一度繰り返しますが、私は有罪と宣告された犯罪に関しては無罪です。それでも私は死にあたって、私の心に恨みや憎しみはありません。キリストへの愛が私の魂をみたし、キリストの内にあって私は幸福です》

 

 

 

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