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こんな私がなぜ指導を続けられたのか?

皆さんは何か夢中になれる事ありますか!!

私は、幼少期から身体を動かす事が好きで、教えるのが好きだったと大人になってから周りの人に聞きました。
幼稚園に通っていた時に、お友達に跳び箱を教えている姿を見て、園長先生が「草野君は教えるのが上手」と母に言っているを大人になってから聞きました。
その頃から、教える事が好きだったのかもしれません。
私は高校1年生の時に、自分が夢中になれる「ミニバスのコーチ」という環境がありました。そのお陰で、学生時代に思う存分に青春時代を過ごし、今は仕事として、指導をする人生が出来ています。
そんな子どもの時に「思う存分にやらせてくれた両親」に今でも感謝しております。
もし、皆さんの周りに「夢中になれている方」がいましたら、思う存分にやらせてあげて欲しいと思います。その「夢中の時間」が「大きなエネルギー」に変わって、人の2倍、3倍と努力出来る人間に変わり、沢山の方を幸せに出来るように成長していくと信じています。

トップの人と出会って何を感じるのか?

バスケの指導が大好きで、指導の勉強がしたくて、したくてたまりませんでした。その気持ちを行動に移して、全国に飛び回りました。
全カテゴリーの日本一(小学生・中学生・高校生・大学生)の指導者に出会う旅に出掛けました。
様々な人に直接、出会い、色々な話を聞いて吸収してきました。
その時、私はトップの人になれない!という感情は無く、「こんな指導者になりたい」という感情の方が強かったです。
もしかしたら、トップの人と今の自分を比べて、「〇〇さんみたいになれない。」と思って、諦めてしまう人もいると思いますが、私は「いつかなってみたい」と純粋な気持ちでその人達を追い掛ける事が出来ました。

続けたいよりも辞められない理由ができた。

指導が大好きで続けたいという想いもあります。しかし、それ以上に指導を続けていく事で「辞められない理由」出来てきました。
その辞められない理由があるから、自分は今も子ども達の前に立って、指導を続けていく覚悟があるのだと思います。
人は、「想いの火」を受け止めて、人生を歩んでいきます。
その人たちの「想いの火」を受け止めて、自分が周りの人たちが元気に幸せになれる様に、毎日、指導現場に立ち続けたいと思います。

大好きな教え子が自殺してしまう

私が指導を始めたの16歳です。そんな若い指導者は日本全国でも珍しくて、教え子の死に出会うなんか考えもしなかったです。
教え子と将来、一緒にお酒を飲んだり、遊んだり、指導するのが夢でした。
その教え子が自殺する2日前に「練習に出会い、いつも通り楽しく終わりました。」その帰りの時に「また、バスケ来いよー」「今後は、一緒にコーチしようー」など未来の話をする事が出来れば、命を絶つことはなかったと感じています。
私が25歳の時に「教え子が自殺」し、私もなぜ神様はこんな試練を与えるのか?なぜ若い命を奪うのか?など色々な事を考える時間となりました。
そして、一週間泣き続けて、私は立ち上がりました。
「彼の為に、一生懸命に生きよう!!」
「彼の事を忘れず、毎日頑張ろう!!」
「彼の分まで元気に生きよう!!」
と決意し、毎日、指導現場に立ち続けています。
子どもを厳しく叱り過ぎる事もあります。
でも、その後はぐっと抱きしめて欲しいと思います。

まとめ

・夢中な一番幸せな時間でエネルギーを作れる
・トップの人と出会う事から始める
・続けたい理由と辞められない理由も必要
・出来事の捉え方が行動を変える

良い記事を見つけましたので良かったら呼んでください。

◆「3人のレンガ職人」のイソップ寓話から働くことの意味を考えてみた。 (central-engineering.jp)

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