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日本人ボクサー凄い!ブレイキングダウンは駄目!

時々こういう比較するような文言を見かける。

競技が違うのだし意味がない。

ブレイキングダウンがなぜこうも注目されるのか、当たり前だが不良の活躍する場として提供されているからである。

1分間の殴り合いでもしやと言う一発逆転もある(と言うことらしい)ので名前を挙げたい人にとって好都合である。

大体はヤンキー上がりで自分の店の宣伝も兼ねていたりするので、昔のテレ朝で放送されていた木っ端のグラドル達が自分のアピールのために態とぐちゃぐちゃの粗末な料理を作った愛のエプロンみたいなものだろう。

本当は不良とは名ばかりで堅実に人生設計した真面目な人達ばかりが集ってるとしか言えない。

それはさておき、何故ブレイキングダウンがこうして格闘技を志すような人が集まるのか理由はこのnoteに既に綴ったようなものである。

日本人のアスリートの化け物揃いは途轍もない。

こう言う人ばっかり集まったらもう夢なんて持つものではない。

噛ませ犬にされるし養分にされるだけである。

殆どの国民が気付いてしまっているのでスポーツになんか携わろうとしない。

政府が健康増進や普及の為にスポーツ推進に力を入れているようだが、逆効果である。

子供の頃からスポーツやらせて化け物作り出すのにどのくらいの金や時間や労力が掛かるのだろうか。

競技を最早目指すものではない。

少年ジャンプでスポーツ一本槍でやるような漫画が最早流行らなくなってしまっているのもこうした理由でもあるんじゃないかと思う。

そのことについてはまた別のnoteに書こうとは思う。

昔からではあるが夢を途中で諦めて現実を行く人は無数にいる。

ボクシング漫画だったドリトライも主人公は結局夢を叶えられなかったと結論付けてしまっているのだ。

これまでのジャンプにはなかった結論だったのである。

大体俺戦でお茶濁す感じで終わって来たのだが、あの漫画が特殊だったのは物語は続くと言うものである。

19回くらいしかやってなかったのに鬼滅の刃とジョジョの奇妙な冒険を混ぜたような話で纏めたのである。

多くの人は夢を叶えられない。

誰も井上尚弥になれないし大谷翔平になれないし藤井聡太になれない。

ただ一本の道が叶えられなくても別の道で大成功することもある。

昔アイドルだった者が夢半ばに失墜したものの、別の道で開花して東アジアで一番の有名人にまで登り詰めたことがある。

昔なら飯島愛だったが、AVという別の媒体があったお陰でこうした彼らが活躍出来たのである。

AV新法の見直しが始まるようだが、多分最悪の事態になってしまうことだろう。

大相撲が暴力や男尊女卑に塗れても潰されないのは古くからのロビイングや政治的結び付きが存在するからで、結局AVは家族中心主義の前では潰されてしまうのであった、としか言えない。

孤独な中年男のプライバシーにすら容喙する社会が到達してしまったのでAVは今後生き残る道はないのだろう。

非婚化が進んでも内心すら侵す人々が絶えない。

人がこう考えていると言うことすら赦されない社会がやって来ている。

ニヒリズムに陥って夢すら抱くことが出来なくなっているのだろう。

絶望が現実の中にあって人の夢を潰すことが娯楽と感じる人がいる。

キャンセルカルチャーというのも絶望と虚無の誘(いざな)いだと感じる。

スポーツなどの技術で足を引っ張ることが出来ない場合はどうするかと言えば古典的な方法であるスキャンダルで足を引っ張るしかない。

週刊誌に載ればそれで喜ぶ人がいる。

不倫では攻撃出来ないので過去のすれ違いを利用した性加害というもので詰るしかなくなる。

残念ならがパンドラの箱は開けられてしまったので絶望しかないのである。

スポーツは有名アスリートが活躍する影では森林砂漠の如く不毛な大地が広がりを見せつつある。

希望はその糠喜び程度と思うしかないだろう。

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