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運命の女神 (9)


   十二、




 ああ、なんでだろう。私、ずっとこのままでいいって思ってたんだな。ずっとこの先に進みたいって思ってたけど。何度もその先を妄想したけど。どうして先へ進んでくれないんだろうって思ってたけど。今ようやく訪れたこの変化が怖くてたまらない。変わらないことを受け入れていたのは諦めじゃなかったんだな。私がこの状態を受け入れていたからなんだな。
 私には不釣り合いなくらいだった。この世界の星の数いるハズレに比べたらそんな。そんな人が関係を繋いでくれるだけで貴重だと思ってた。私にはもう巡ってこないような幸運だと思ってた。ちょっと不利なのはしょうがないと思ってた。私にはこの人しかいないと。切られるのが嫌で生理とか関係なく呼び出しにはすぐ応じていつも口で一生懸命奉仕して、その先はなくてそれで終わりなのが不思議で不満だったけど、とにかく恋愛にも容姿にも性格にも恵まれてない私には、不本意な扱いでも良かった。私の若さだけが利用されているだけでも。彼がいなかったら、この関係を受けれいなかったら私には恋愛的なことなんて何もない。ただの鈍くてどうしようもない女一人。この先が何もないのも、ただ歳をとっていくだけなのもこの関係を選ばなくても一緒だった。だからありがたいと思っていた。
 体がこんなにも熱くなって、確かに私は悦んでるのに。
 これは何かが違う。間違ってる。きっとこれは本当は尊いはずのことなのに、踏み躙られてる。同じものなのに上書きされてる。別の目的で使われてる。この感情が利用されてる。
 行為自体はおんなじなのにな。そして間違いも正しいもないと思ってた。
 でも違うんだ。
 私はこの人になんとも思われてないんだな。だからこんなに大事なことが踏み躙られてるんだ。
 お願いやめて。
 その場所を汚さないで。





   十三、




 向地耀助様




 前略、いつも、バーでお会いしていた多田です。突然のこのような手紙を失礼いたします。
 たくさんの手紙を送られているであろう君に、果たしてこの手紙は読まれることがあるだろうか?そんなことを考えながら今、この手紙を書いています。(やはり、少し無理をしてでも家の住所に送り付けるべきなのか、いや、もし読まれないならそれもまた、巡り合わせというものかもしれない。)
 もしかしたら君はこの遠回しな手紙という手段に少なからず驚いて、いつものように話したいことがあるなら会って話をすればいい、と思うかもしれない。しかし、それが心理的にも物理的にも難しいため、このような手紙をしたためる次第です。私は、どうしても君に話しておきたいことがある。
 この手紙を君が読む頃、私はもうこの世にはいないでしょう。私がしくじらなければ、ということですが、こういうことだけは私は今までしくじらずにやってきましたので、今回もそうなるでしょう。
 私の人生を終えるにあたり、私はこの世への執着というものはあまりない、と考えていたのですが、君には私のことを伝えておこう、そう思ったのです。
 それは、私の生き方や人生に関することです。そして、是非とも君に考えてもらいたいのです。そんな打ち明け話のような手紙を、君はやはりたくさん送り付けられているのかもしれませんが。
 思えば、君と私は音楽や、映画や、本についてたくさんの話をしてきました。それは何も話さないようでいて何かを共有できる豊かな時間でした。それでも、私はまだ君に話していないことがある。それをこの手紙に記しておきます。

 突然ですが、君は自分の妻を愛していますか?そして自分の子供を、自分の両親を愛していますか?
 君はどう答えるだろうか。これは私の想像ですが、君は少し悩んでそれでも「愛している」と答えるだろう。「愛している」と自信たっぷりに答える人間もいるだろうし、どれかを愛せず悩んでいる人間もいるだろうし、「愛している」でも「愛していない」でもなく、生きている人間の現実として、たくさんの愚痴を聞くことになるのかもしれない。
 「愛している」はよく分からない。
 愛は私とは別のところで起こっていることです。あることは分かります。私にはうまくできないので、結局見ているだけの知識ですが。それは誰もが同じと言われるかもしれません。それでもできない人間には分かるのです。できる人間がそれをするところを見て自分ができないことを知るのです。
 愛を知っていたら、いや、愛することができたら、私は笑ったりして生きていくのでしょうか。愛のない人生を歩んだ人間について書かれた本がたくさんあり、私はそれを貪るように読みましたが、何より君を見て、私は様々なことを思いました。私には多分対等な立場で語り合う時間が必要だったのだと思います。



 少し話がそれました。とにかく本題に入りましょう。
 私があなたに話しておきたかったのは、私が犯した罪についてです。
 私はこれまで年齢・性別の異なる27人の命を奪ってきました。死体は決して誰にも見つからないように、遺棄したのでまだ誰にも見つかっていません。ここでは、詳細は伏せますが。
 私の犯行の痕跡を残さなかったのは、保身とは別の理由でした。
 私は、実験を行っていたのです。
 私が行いたかったのは人を「消す」ということです。
 私は、小さい頃夢で見たことがあります。それは、夢の中で、私が一緒にいた男の子を私が間違って突き飛ばすと、突き飛ばされて壁にぶつかった男の子が、壁に張り付いて壁の落書きになってしまうという夢です。人間としての存在が変態する。それは子供のころの私にとってもっとも残酷であると感じさせるものでした。
 周囲の人間の記憶に刻まれている存在だけ残して、実体である肉体を殺し、消す。死という別れもなく、ただ記憶の中に、書類の中にだけしか存在しない実体を失った名前だけしかない記号となった存在を作る。
 私は人を消してみたかった。突然に、理由なく不条理にぽっかりと空いたうろ。存在への暴力。それを私は実感してみたかった。
 そのために私は死体の遺棄の方法には格別に配慮し、処理しました。私が殺した人間は、皆行方不明ということになっています。生きているかもしれないし、死んでいるかもしれない。実際は死んでいるわけですが。もちろんあまりに長い間行方不明の人間に対して、生存の期待は薄れてしまうでしょうが。いや、どうかな。

 私は実験を行っていたのです。それは私の「存在」に関する実験です。
 私は自分の過去を語る代わりに、自分の目にした二つの事実を記しておきたいと思います。
 私はある時ふと思いつき、ベランダで植物を育ててみることにしました。水をやり、時には液肥を刺し手をかけた花々は美しく咲きました。と同時に私は丁寧に手をかけた花々と同じ種類の花を、ろくに水やりもせず雑草が生えてもそのまま時折降る雨が土ををぬらす程度にほぼ手をかけずに育てました。水も栄養も与えられなかった方は茎は黄色く枯れ、葉も落ち葉のように水気がなく、それでも花だけは毒々しく咲く。そのように育ちました。どちらの花が、人の心を惹きつけるでしょうか。同じ袋にまとめられた種から咲く同じ花が同じように咲くわけではない。当然と言えば当然のことです。同じ種と言えども等しく同じように育てられるわけではありませんから。種はどの手に渡るか。それによって、成長に必要な援助を受けられるかが決まるのです。そして先ほどの通り、援助の量によってその育ち方には違いが現れるのです。
 また、動物についても考えてみてください。例えば動物番組で、母親がストレスのために育てられなかった子供を動物園の飼育員が育てるという番組があるでしょう。それは視点を変えれば、動物でもストレスによってわが子を育てることはできなくなるということです。意志や愛とは別に、身体的な反応として、”母親”という使命を全うできない女が存在するということです。何も女に限ったことではない。私たちは全て。
 そして押し潰されて腐っていく。

 そういうことは理由にならない、と君は言うかもしれません。私も今はそうであってほしいと思います。
 自分で選んだわけではないことで、自分の人生が形作られてしまうなんて。むき出しの自分はあまりにも未熟すぎて、もっと早ければ、遡って生きていく道は周囲の人間と比べれば悲しく許されず、無理をして偽って生きていく選択肢しか残されてない。 

 最後に私は、私自身の種を蒔くことにしました。以前から関係のあったある女性に半ば強引に協力していただくことにしました。正直に言って、あまり良い畑ではない。だが、それこそ私が求めているものなのです。そこで私の種がどのように芽吹いて成長していくのか、私は興味があるのです。実を結ぶことを拒絶されるとしても。いえ、私はその結果を見守ることはありませんが。
 卑怯だと君は言うかもしれない。自分の生み出した結果と向き合わない。向き合うことができない。けれど、私は行きます。

 私はあなたにとって受け入れがたいですか?
 生も死も私にとっては等しく同じものです。命を創造する行為も、それを奪う行為も私を等しく昂らせてくれる。生と死において人間はその他の種となんら変わりがない。
 その関わりについてもです。
 人は自分の都合で自分以外の種を殺め、また自分の都合で育む。
 他種と同種の違いはあるが、それが果たして大きな違いでしょうか。
 単に意思の疎通を図れる者同士が、自分の利益を守る為の約束事に、私達は縛られているだけなのではないでしょうか。約束事を破っても、その世界が崩壊するわけではない。ただ本能に忠実な、外側の世界に排出されていくだけのことです。
 私はもともと約束事でできた世界の外側から人生が始まりました。ですから、約束事を守ることも守られることもなかった。多くのものが無意味でした。生きることも、何かを求めることも。赤子のように何かを期待して誰かを呼ぶことも、私にとっては無意味なことなのです。
 私は、物心ついた時からずっと、赤ん坊の泣き声を聞き続けています。それは、私の中に住み続けている赤ん坊で、その声は他人には聞こえないくせに耳につくひどく不快な泣き声です。
 私はずっとこの子供の首を絞め続けてきた。私はこの子供が憎いのです。なぜこの赤ん坊は、私の中でこんなにも激しく泣き叫び続けているのでしょう。何かを乞い続けるのでしょう。泣いたところで無意味であるのに。
 私は今度こそ、この子供をしとめるつもりです。
 だって、それが私以外の人間の望みなのだから。そうでしょう?
 本当は、許してほしい。
 どうしたら許されるだろう。この罪悪感。生きづらさ。
 誰かに許されたら、それで生きることができる。何を?わからないけれど。私のやっているのは、根本的な罪悪感に罪悪感を上塗りしているだけのことです。
 笑って生きている人は、それだけだ。笑って生きる人達だけの世界を作ってしまう。
 そうです。それで十分で、それ以上でも以下でもない。
 でも、それじゃあ許されない人間は、苦しみながら死ぬしかないのですか。地獄にいる人間には理由があって、悪いことをしたから誰にも許されない。許してほしいと思うことすらおこがましいのですか。
 許されるための長い時間は非効率的で、理解のための時間よりも早く死んでほしいのでしょうね。それが救いなのでしょう。
 誰が強者で誰が弱者なのか。許すのはいつも弱い方で、受け入れるしかない。そして吐き出されていく。弱い人間へ弱い人間へ下っていく憎しみの連鎖だ。
 せめて同じ場所に生きることすら高望みなのだ。

 最後に、本当は、あなたのことも消してみたいと思って近づきました。けれど、それはやめよう、と思いました。あなたのおかげで、私は私なりの向き合い方をしてきたこれまでのことについて別の視点を与えられたからです。そして、一瞬でも輝きに触れることができたから。
 けれど、それを求めるだけの資格がもう私にはない。
 君の人生が豊かなものであることを祈ります。




 一つだけ、君に投げかけてみたい質問があります。僕はなぜか君に興味を持ちました。話してみたいと思いました。そして君と話し僕は少し変わったのかもしれない。でも、もし、僕が銃を持ち、僕の人生の全ての憎しみをかけて有無を言わさず君を殺そうとしたら、僕達の運命はどう変わっていたんだろう?そうならなかった。それが全てかもしれない。けれど、君は、君ならどうしますか?そのような言葉すら通じない1秒を争う「悪意」と君ならどう戦いますか?引き金を引く側の僕には想像もつきません。でも、今の僕はそうして君を殺してしまって、君を知らない人生がそのまま続いていくことがおぞましく恐ろしく感じるのです。もう何人も取り返せない場所に追いやっておきながら。もし運命を変えることができたらなんて、今の僕には言えない。だからどうか、考えてみてください。


 僕はこんなことをするために生まれてきたんだろうか?










   T様




 奪われた人が求めていたのは、死ではなく、どこが間違っていたのか考えられることだったんじゃないだろうか。
 もう帰らない人がくれた、くれるはずだった優しさや、思いがけない理不尽な苦しみや喪失を知ってもらうことじゃないだろうか。それはあなたにだけではなく、きっと広くたくさんの人に。そうしたら、きっと自分達だけでは出なかった答えを誰かが見つけてくれるかもしれない。
 その人たちはこれからも、結論を出せないまま、前に進めないまま時間が過ぎていく。もう手の届かない眩しい希望を残したまま。
 けれど、その人たちには誰かに眠っている答えと出会うかもしれない。それが生きているということだから。生きているという可能性だから。
 一方的に決めつけて、目を逸らしたままなら、きっとそこに可能性はない。
 それを見届けなくて良かったでしょうか?あなたの言葉への返事を待たなくて良かったのでしょうか?
 本当にもう、どこにもあなたはいないのですか?
 生きていることは燃え盛る彗星に掴まって旅をしているみたいだ。この身が焼かれる苦しさばかり感じることもあれば、光りながらどこまでも行けることがたまらなく喜ばしいこともある。どんな時でも、続いていくこの痛みが少しでも紛れるように、分かち合うために、誰一人この輝いて走る彗星から手を離さないでいてほしいと思う。過ぎ去っていく暗闇の中に振り落とされないように。
 自分の世界が裏切られ続ける先に続いていく場所にしかないその答えに辿り着くために、たとえどんなあなたでも自分を愛せなくてもどうか、諦めないでください。諦めないということの苦しさを知ってください。
 どこまでかは分からないけれどこの言葉が届くように、ここに書いておきます。

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