見出し画像

運命の女神 (5)


   スーパーマーケット




 日本のスーパーマーケットは一九五二年だか、五三年だかにできたそうだ(Wikipedia調べ)けれど、正直これだけ生活に根付いているといつできたかは買う側にはもうどうでもよくて、生活圏の一部として、ただそこにきちんと問題なく存在していてくれることが重要だ。そして出来る限り利用者にとって、安さも含め便利であること、これに尽きる。良い商品が安く売られていること。良いものを得ながら、金という自由がまだ大きく残せること。そして一部の人には、とにかく安くてありつけること。そして、何も考えなくても、そこにいけば日々の必要が揃うこと。何も考えなくても、という点の重要性はコンビニエンスストアを見れば明らかで、とにかく衝動の先にあるような、ちょっと味の良い食べ物や、すぐに必要が出そうなものが高いままでも売られている。ホームセンターの方が安く買える商品もあるけれど、店を変えるのは面倒だし、ネットショッピングもあるけど、三百円の刺身の盛り合わせは売ってない。
 便利という価値。商品の並べ方は買いやすく、その方が売りやすい。値下げのシールは見やすい。見つからなければ買うことができない。買わせられない。折り込み広告は重要なのだ。便利とは、買う側のためでも売る側のためでもある。でも気づくと無駄なものを買っている。反省しないのは、後悔したくないからというより、考える手間の問題なのかもしれない。他のこと考えたい。だって一回の買い物で一万円変わるわけじゃなし。結局賢い新井さんはうまく安い商品を買い上げていくけれど、安田さんはついつい無駄なものを買い過ぎて失敗する。お店との勝負。強ければ勝ち、弱ければ負ける。成果は金。賭けるのは時間と頭。毎日が勝負。でもそこで戦わなかったり戦えない人もいる。そういう人は多分カップ麺か賞味期限ギリギリの惣菜をずっと買っている。金持ちはそこで戦う必要がない。もっと別の場所で戦っている。どちらにせよ、誰というより店は売り上げを見てる。
 きっとスーパーマーケットでは、今日本当に安いものはどんな表示をされるか情報を持っている人が得をするんだろう。そして、戦略に敢えてハマっていく。昔の商店街では美人か、コミュニティーの力の高い人が得していた。得はしなくても助けられる人もいた。

 スーパーマーケットなら金さえあればコミュニケーションしなくていい。お店の人と仲良くしなくても。店員はロボットでもいいかもしれない。労働力はどこへいくんだろう。店の客への気遣いも苦労もテレビからしか届かない。知ったこっちゃない。利益が出なければ潰れていくし、利益を得ようとして店ができる。守ろうとするとしても、自分に必要なものしか残らない。客は結局気遣いとか関係なく安くて便利な方に流れていく。
 ありがとう。
 さようなら。


運命の女神 (1)
運命の女神 (2)
運命の女神 (3)
運命の女神 (4)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?