milkの王冠⑶
揺れと暑さで眠気が来る。
かつて慣れ親しんだききすぎの暖房のせいだ。
窓が白く曇っている。
そこにいたずら書きをするのは、小さな子供が古今東西かならずやることであったろう。
まあ、大人なら、外の様子を見たいと思ったら、曇りガラスを適当な大きさに拭いて、のぞき窓をつくる。
すぐに消えるものだ。どんなに窓を拭いてこすっても、またじきに暖かさで曇って、外が見えなくなる。
いつからそこにいたのだろう。
札幌から乗車したときにはいなかった、制服にピーコートの女の子二人組がいる。厚く巻いたマフラーに半分あごをうずめている。
高校がたくさんあるのは、新札幌あたりだったか。私が眠気を覚えている間に乗車してきたのか。
この辺りの若い人の肌の白さは、ほかの地方にない。高緯度地域特有の短い日照、長い冬、さまざまなものに培われたものだろう。帰る途中に、こういった肌の色を見ると、もうすぐ札幌に着くのだなあ、と思うのだが、今回は反対だ。もうすぐこの地を離れるのだなあと、刺さるように思い返す。
電車の揺れる音は相変わらずで単調であった。車内の温気に頭はぼんやりとした。
白い顔のピーコート達は、マフラーにあごをうずめたまま、いやあ、もうすぐ卒業だね、と言い合っている。
早い、実感ない、全然ない、と、朝の鳥がさえずるように、言い合って、しんみりする気配もない。
そして片方の朝の鳥は、窓ガラスに大きく、卒業と指で書いた。
それは白い窓に、透明な字であった。
二人はにぎやかなまま、次の駅で降りていった。
字は書いた主を失ったまま窓の上に残った。
乗客のひしめき合っていた狭い連結部のその場所には、減った人数の分だけ空間が増えて、すこし暑さも和らいだ。息がしやすくなったように感じ、眠気もましになった。
私はまた電車の音と揺れのリズムの悪くない単調さに身をまかせた。
温気の運んでくる既視感はノスタルジーに近かった。汽笛がたまに鳴り、単調さを裂いた。
今しがた、高校生が窓ガラスに書いた文字から水滴が垂れた。文字が泣いた。卒業の二文字は形を崩して、だんだん判読できなくなっていった。
また次の駅に停車した。
ひとり、その狭いスペースに陣取る客が増えた。
そして次の駅、、、。
空港に近づくにつれて増えてゆく、乗ってくる人波に隠れて、やがて窓の字の跡も見えなくなった。
/終
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