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乗り換え地アムステルダム・チェコ語サマースクール1997

1998年10月28日に開設した「チェコ人になりたい女の子のおはなし」というサイトのコンテンツをこちらに載せています。

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とりあえず、その晩はアムステルダムに泊まることにしました。
そして翌日31日の夜行でプラハに向かえばいいかな、と。


泊まるところを探さなければなりませんでした。
駅前にすぐ見える白い小さな建物がどうやらインフォメーションセンターのようで、バックパックを背負った旅行者がたくさんいました。
カウンターには宿の紹介の順番待ちの列ができていました。
とりあえず私もそこに混じって並びました。

泊まるところを探していて・・・と頭の中で英作文していましたが、いざ、窓口のおねえさんと会話するとちんぷんかんぷんでした。

英会話を特別に習ったこともなく、もちろん外国に住んでいたこともないはくめです。
ましてや、さっきまで日本の友人と「じゃあねー、気をつけてねー」とか話していたので、ますますわかりません。

 

頭が真っ白になって、開いた口がそのままになってしまいました。
窓口のおねえさんはそんな私を見て笑い、「だからね、」といった感じでゆっくり説明してくれました。
よくよく聞くと、彼女の英語は「come」を「コム」と発音するようです。
オランダ語の発音の影響かな、と勝手に思いました。

駅前の大通り沿いにあるホテルを紹介されたみたいでした。
15分後までに受付をすませるように、と言われたようなので、大通りを歩いてホテルに向かいました。
アムステルダムは、観光客だらけで、大通りはにぎやかな店が並んでいました。
ガイドブックを読むなど何の下調べもしてこなかったのですが、空港も町の中のレストランなども、どこも英語の表記は見あたらず、ドイツ語とはちょっと違うし、と思うようなオランダ語の看板や表示が多くありました。


たまに意味が分かるアルファベットの文字列がありましたが、それは「sex shop」という英語でした。
目に入って意味も分かっても「近づいてはいけないところ」と翻訳したので、あまり意味はありませんでした。
また店の屋根や町中には、日本で「小便小僧」と呼ばれる石像がよくありました。
なんかその石像から水が降ってきそうで、落ち着きませんでしたが、ここが発祥の地だったのかな? と穏やかに思いながらホテルに向かいました。

それにしてもアムステルダムの街並みはおもちゃみたい。
チェコ語でオランダは「nizozemí(低い土地)」と言います。
そういえば地理で、干拓地って習ったよなぁ。
その低い土地に建物がきれいにならんでいます。

ホテルに行くと、2時になってからチェックインとのことで、少し時間がありました。荷物を預かってもらい、少し町を歩いてみようと思いました。


おっと! 町を歩く前に、明日の夜行の切符を買わなければ。
駅にもどって切符売り場に向かいました。
売場もやはり混雑していました。

どうも日本の郵便局のように番号札を取って番号が呼ばれるまで待つようでした。
窓口は6、7つほどあって、駅員さんは笑顔もないほど忙しそうに応対していました。
私の番号が呼ばれた窓口に行くと、ちょっとかっこいい若いお兄さんのいる窓口でした。

「明日プラーグ(プラハの英語名)まで行きたいんです」と言うと、トーマスクックで調べてきた夜行をすすめられました。

夜行列車にはベッドなどもあるようでしたが、結局、空いていたのはふつうの座席だけでした。
前日だもんね。しかもこんなに観光客がいるようじゃ無理だろうな。
でも、とりあえずチケットがとれたので、それだけで私は満足でした。
横になっても座ったままでも、眠ければ寝ちゃうだろうし、緊張して眠れないかも。どの席でも同じかもしれない。

そのあと、駅の中を探検しました。コインロッカーがありました。
ロッカーのコイン投入口には、小さな画面があって、
使い方が表示されるのですが、その表示言語を選ぶようになっていました。
全部で16くらいの言語に対応していて、チェコ語もありました。
うれしくなって、英語とチェコ語で説明を読みました。
明日ホテルをチェックアウトしたら使おう。

駅の中にはレストランがあって、学食みたいに好きなお皿を選び、会計するタイプでしたが、オランダ語のメニューが読めない私にはとてもいいシステムでした。

その後、ホテルに早々と帰り、共用になっているお風呂に入りました。
ああ、シャワーの気持ちいいこと。
その後、お金の計算などして、とっとと眠りました。
それにしてもよくがんばったなぁ。あたし。

翌日は小雨が降っていました。
午前中にホテルを出、コインロッカーに荷物を収め、無料の地図と路面電車の一日券を買って、観光に出ました。
路面電車は山手線のように丸くまわっているので安心です。
時間もそんなにないので、おめあてのゴッホ美術館に行きました。

ゴッホ美術館には切符売り場に列ができていました。
国際学生証を見せ、学生料金で入りました。

このヨーロッパの旅で、初めて日本人を見ました。しかもたくさん。
ゴッホ美術館は4階建てでしたが、どの階にも日本人がいました。
日本人は、美術館が好きなんでしょうか。
しかし、すれ違った日本人のマダム達の日本語で「エステに通って、顔の皺とハリが・・・」という声が聞こえてきたときには
さすがに旅行気分もはじけ飛びました。

ゴッホ美術館の後は、ユダヤ博物館というところへ入りました。
こちらには日本人の姿はなく、読めないヘブライ文字を眺めながら、じっくりまわりました。

夜行は17時すぎの出発でした。
それまで駅のレストランや郵便局などをまわって、絵本のようなアムステルダムを堪能しました。



ここまで読んでいただき、とってもうれしいです。サポートという形でご支援いただいたら、それもとってもうれしいです。いっしょにチェコ語を勉強できたらそれがいちばんうれしいです。