見出し画像

飛行機に乗って・チェコ語サマースクール1997

1998年10月28日に開設した「チェコ人になりたい女の子のおはなし」というサイトのコンテンツをこちらに載せています。


この年のサマースクールは8月1日から。
7月29日、中華航空のアムステルダム行きへ乗りました。
この飛行機に乗れば、30日にヨーロッパに入れます。

国際線は、ふつう成田空港から出発ですが、中華航空だけは羽田空港からです。
チケットを予約したときに教わったのは、羽田-台北便に乗り、そこで乗り換えて台北-アムステルダム便に乗るとのことでした。
夕方5時くらいの出発だったので、お気楽なわたしは余裕をかまし、前の日にバイト先の人と11時くらいまでお寿司屋さんにて飲んでいて、荷作りはそれから。
寝たのは夜中の2時くらいでした。

当日はやや眠い目で、午後2時くらいに羽田に向かいました。
飛行機では寝るしかないし、どうせ時差でぐちゃぐちゃになるさ、とか思いつつ。

たまたま、ポーランドへ行く大学の友人も同じ飛行機だというので、待ち合わせて一緒に飛行機に乗りました。
彼女は、一ヶ月家を留守にするから、と冷蔵庫にあったというキウイフルーツを鞄の一番上に入れていました。
彼女の準備もあわただしかったんだろうな。

羽田では、待合室で同じ飛行機に乗る人々を観察していました。
台湾へ帰る人々なのか、段ボール箱をたくさん提げた人々がいました。
その人々が持っていたダンボール箱は、ほとんどが私の実家のある山梨の桃やブドウの箱でした。

中華航空にしたのは、一番お金がかからないからでした。
飛行機は派手なデザインはなく使い込んでいる感じはしましたが、それほどほかの飛行機と変わらないのではないかと思いました。
機内食もなかなかおいしく、牛丼というメニューもありました。さすが中華(?)。
羽田-台北便でまずジュースをいただき、その後1回目の機内食。

数時間で台北に着くと、今度はアムステルダム行きの飛行機に乗り換えます。
アムステルダム行きに乗ると、またもジュースが出ます。
隣の席に座った友人はイヤホンが壊れている、とスチュワーデスのお姉さんに言って、イヤホンの使える後ろの方の席へ行ってしまいました。

おや?
機内の大きな前方の画面を見ると、飛行機は台湾の海岸線上を南下しています。
あれ?
行き先を見ると「曼谷」と書いてあり、英語の画面では「Bangkok」と・・・

うわー。間違えたの??
そんなはずはないだろう、と思いながらも、やっぱり急に心配になってきました。
タイに着いちゃったら、どうしよう。。。

友達と話したかったけど、イヤホンを使いたかった友達はもうどこにいるかもわかりませんでした。

心配性のはくめは、即座に対策を練りました。
その前の年に、バンコクの大学に行ったことがあったので、そこで知り合ったピー君のおうちに行こうか、でも住所がわからないし、でも確かタイの空港からはチェコ航空の飛行機が出ていたんだったかな、などと一生懸命考えました。

とりあえず運を天にまかせよう、どうにでもなってくれ、と気持ちを落ち着かせることにして、あわててもしょうがないし、寝ようかなと思ってみました。

前方の画面はテレサ・テンが日本語で歌っています。
そろそろ眠れるかな・・・と思ったところで、機内食がやってきました。

うわ。さっき食べたのに。
とりあえずチキンか魚かとスチュワーデスが聞くので、チキンと言ってみました。
ふと日本時間のままの時計を見ると、夜の11時。おやおや。
こりゃ食欲もないはずだ。
結局、野菜とデザートのタピオカを食べてほかは残してしまいました。

しばらくして飛行機は着陸体勢に入りました。

もちろんタイ・バンコクの空港です。
うそ・・・・
本当にタイに来ていました。
ようやく席に戻ってきた友達となんでかなー、と言いながら、訳も分からぬまま飛行機をひとまず降りました。

一年前に見た、うねったタイ文字の表示を見ながら、アムステルダム行きの飛行機が来るという乗り場へ向かいました。

またタイに来ることになるとは・・・しかもこんな形で。
1時間近く空港で待たされると、さっきまで乗っていた飛行機が、掃除されて乗り場へやってきました。

バンコク経由ってことなんだ・・・
ようやく意味が分かってきて、再び搭乗しました。
バンコク経由とは知らなかったので、もしやこれから先も、テヘランとかアンカラとか経由したりして。。。
そう思うと、もはや楽しくなってきました。
どこでも行ってくれ。私は疲れていました。

もう日本時間の時計は夜中の2時に近くなってきていました。
眠いよー。
飛行機に乗ってまた同じ席に座ると、ちょっと不安になりました。
まさか、またジュースと機内食が来るのか??

眠くて、もうまともに相手ができなかったんですが、やっぱりスチュワーデスは来ました。
ちゃんと手順通り、
「おしぼりどうぞ」
「ジュースは何にします?」
「お肉とお魚どちらにします?」
でした。機内食は3回目。
拷問です。もう答えるのもうんざりしてしまって、寝ていました。
おいしそうだったけど、眠くて眠くて仕方なかった。。。

寝て起きると、飛行機はハンガリー上空にいました。
ああ、もうバンコクからはまっすぐアムステルダムに向かったんだ。

朝食がやってきて、久々においしく食べました。
でも、おなかがいっぱいになるとまた眠くなってしまいました。
画面に映った地図では、チェコの首都プラハも見えます。
「プラハ」は中国語では「布拉格」かあ。 

なんだかんだ言って、なんとかアムステルダムに着きました。
KLMオランダ航空の飛行機は水色できれいです。
空港からセントラル・ステーションまで切符を買って、中心街へ出ました。

ポーランドに行く友達は、次の日の飛行機でコペンハーゲンに飛び、それからクラクフというポーランドの町へ行くんだそうです。
なんかまわり道して入国するんだね、と言うと、彼女は、ポーランドの首都のワルシャワについて、日本で悪い評判や噂ばかり聞いてきたので行きたくないんだそうです。

そんなばかな、と思いましたが、彼女は本気なのでなんだか少し残念に思いました。
ワルシャワに行ったこともないのに、いきなり毛嫌いしてしまって・・・
首都ワルシャワだって、ちゃんと歴史があるし、ポーランドの中心なのになぁ。

チェコ語を勉強してプラハのことを賛美されてきた自分には、よくわかりませんでした。 

彼女とはセントラル・ステーションでお別れしました。
彼女は予約してあったホテルへ、私はインフォメーション・センターへ。
私は宿探しから始めなければなりません。

その年のサマースクールは、8月1日から30日まででした。
チェコに入るにはビザがいるのですが、とりあえず30日間滞在のビザをとってありました。
でも飛行機は7月29日に日本を出て、30日にはヨーロッパのアムステルダムに着く予定でしたが、決まっていたのはそこまで。

いつプラハに入るのか、どうやってプラハに行くのか、早くチェコに入った時ビザの期間延長の手続きはどうやるのか、まったく決めていませんでした。

とりあえず日本にいる間にトーマスクックの時刻表で、アムステルダムからプラハまでの夜行列車があることは確認していましたが。



(2024年の筆者のコメント)
1997年のサマースクールに参加した時の記録ですが、今でも飛行機が南下してタイに向かったのを思い出すと笑えてきます。
同じ年の3月に人生で初のチェコ旅行をしていたので、不安が微塵もなく、チェコ語をプラハで勉強することしか考えてなくて、若さってすばらしいなと思います。
と同時に、大きなトラブルに巻き込まれずに今もまだチェコ語を勉強していて、本当にご先祖さまに感謝です。私は恵まれている。

ここまで読んでいただき、とってもうれしいです。サポートという形でご支援いただいたら、それもとってもうれしいです。いっしょにチェコ語を勉強できたらそれがいちばんうれしいです。