【ショート・ショート】おーい その2

「おーい」
 夫が呼んでいる。

 結婚して十五年。振り返ってみると、ほとんど名前で呼ばれた記憶がない。

 結婚前は「ねぇ」とか、ちょっと気障きざっぽく「君」。
 結婚しても、それが「お前」に変わっただけ。
 子供が産まれると一転して「ママ」。
 子供達が成長するに従って「お母さん」。
 そして今では「おーい」。
 あーあっ。孫ができたら「おばあちゃん」って呼ばれるのかしら。

 先月、二十年ぶりで高校の同窓会に出席した。
「陽子さん」
「ヨーコ」
「ようこ」
 女子高時代に戻って名前で呼ばれると、それぞれの思い出がよみがえる。

 一度、機嫌が悪い時、
「私は、『おーい』とか『かあさん』って名じゃありません」
 と怒ったことがある。夫は豆鉄砲を食らったみたいな顔で、私を見ていた。
 しばらくして、
「おーい、陽子」
 と照れ臭そうに呼ぶ。私も何んだかこそばゆい。
「なあに?」
 と顔を出すと、夫は頭をきながら、
「うん、ちょっとな」
「ちょっとって、何よ」
 私が詰め寄ると、
「呼んでみただけだ」
 ときびすを返す。見慣れているはずの広い背中が、何だか可愛く見える。
「お茶でも入れるわね」

「おーい」
 夫が呼んでいる。
 結局、二日もせずに元に戻ってしまった。
 
 あなたとの「ヨーコ」も欲しい。
 だから。
 久しぶりに今日は、ちょっとへそを曲げてみる。


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