【ショート・ショート】地震

 ぐらっ。がたっ。だだだだだっ。
 物が落ちた音で飛び起きた渡部は、それが地震だと気づくのに多少の時間を要した。

 十数年前から東海沖地震は必ず来る、明日来てもおかしくないと言われ続けてきた。会社でも毎年九月になると防災訓練が行われている。数年前から市でもやり出した。しかし何事もなく時が過ぎて、すっかり気が緩みきっていた。ましてや、訓練と実際は違う。日頃から備えてはいるつもりだったが、いざとなれば気が動転してしまった。
「地震だ」
 渡部は、妻を叩き起こした。いつもなら、低血圧だからと言い訳する知子でさえ、跳ね起きた。妻が何か言う前に、
「靴を履け、何か羽織れ」
 と怒鳴りながら、私は靴を履いた。とにかく、立っていることさえ難しいくらい酷く揺れていた。こんな大きな地震は、初めてだった。私は、壁にぶち当たりながら、子供部屋に走った。
「起きろ、地震だ」
 祐介の肩を両手で掴んで揺さぶると、緊張感のない顔で半目を開く。
「目を覚ませ」
 頬を軽く張ると、泣きそうな顔になったが、揺れと私の緊迫した様子に、直ぐに不安な表情に変わった。
 揺れは唐突に鎮まった。騒音に負けまいと、がなり立てていたようだ。静寂の中で自分の声だけが響き渡る。
「今のうちに、靴を履け。着替えなくていい。すぐまた来るぞ」
 日頃から枕元に用意している靴を取り出した。
「足を出せ」
 なかなか上手く履かせることができない。数分もしないうちに、揺れ戻しが来た。今度は更に大きい。突然、常夜灯が消えた。台所の食器棚が倒れたようだ。ガラスや食器が割れる音が耳をつんざく。妻が悲鳴をあげた。子供は火が着いたように泣き出した。

 再び揺れが止んだ。
「よし、今のうちに外に出るんだ」
 懐中電灯を探す間はない。訓練の成果か、ただの無精か、ともあれドアは開け放しだったので、逃げ路は確保できた。渡部は妻と子供を先導して、外へ出た。月の明かりが、闇に慣れた目には、妙に明るい。近所の人々も、三々五々寄り添って、息を潜めている。
 その後も、数回揺れがあった。その度に、どこかで押し殺した悲鳴が上がる。揺れ幅が段々小さくなり、間隔も長くなってきた。しばらくして、街灯が灯った。停電が復旧したらしい。ガスの臭いもないし、水漏れも大丈夫のようだ。何とかライフラインは確保できている。幸い出火もないようだ。家屋の倒壊もない。それだけでも人々の顔に明るさが戻る。
「地震はひとまず鎮まりましたが、ガス漏れや水道管の破裂に気づいたら、速やかに連絡して下さい。今後も地震情報には十分気を付けてください」
 消防署からの放送が流れてきた。

「どうやら、もう大丈夫のようだ」
 言いながら、妻を見ると枕を後生大事に抱えている。
「何だ、馬鹿だな、他に持って行く物があるだろう」
 と呆れる。
「自分だって、その右手に持っている物は何よ」
 渡部も通勤カバンを見て、苦笑した。釣られて妻も子供も笑う。やっと顔に貼り付いていた恐怖が落ちた。
「さあ、家に入ろう。後片づけが大変だぞ」
 渡部は、カバンを小脇に抱えて家に入る。知子も後に続く。枕の中身を確かめながら……。

 <先の阪神大地震の教訓>
 銀行預金は、通帳や印鑑が無くても、身分が証明できれば払出しはできる。しかし、証明できない類の貴重品(例えば現金や宝石類など)は、如何ともし難い。-某雑誌の記事より抜粋-
(了)

 
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