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結婚相手に選ぶとしたら

私は日記や雑記帳のようにnoteを使ってるので、「記事」というほど大層なことを書いているわけではないです。だから、「記事」として読まれるのはおこがましくて落ち着かないんですが、書きたい気分なので書きます😳
))今日のは完全に雑記です。なぜなら、人生経験の浅さ故に書いていることの大体が私の感覚とイメージの中で起こっていることだからです。
人に何かを与えたりするためのものではありません。
実体験が沢山伴ったら、「記事」と少し胸を張って言える日が来るかもしれません。
今日のは私の感覚メモ集です。


最近よく男性性女性性の記事を目にすることが多かったです。いろんな観点から、そのような内容の記事を見かけます。例えば、単なる「性別」についてだけでなく、性格の中での男性性女性性(男性脳・女性脳)だったり…色々です。

その中で、読んでいて自分の中でふと思うのが、自分の恋愛観・対人関係観への意識についてです。これには無意識ながら結構「性別」が絡んでいるなあと感じました。
タイトルには結婚云々つけましたが、私は恋愛観及び結婚観では性別に囚われがちです。(性が絡んでくる問題だから、そりゃそうなる、と思われる方もいるかもしれませんね😅)

単なる人間関係では、私はあまり性別を意識することがありません。そしてそれが楽です。
しかし恋愛・結婚となってくると、自分に対して「〜じゃなきゃいけない」的な感情が出てくるときもあります。そのような感情が湧くというより、自然に「きっと〜だろう」というイメージになります。それがなかなか苦しいんですよ。

ちなみに、私(女性)の中で当然として存在しているイメージとしては、
・相手から見る、女の子的な魅力・ポイントがなければならない
・結婚したらある程度家庭的な自分になるだろう(例えば妻・母という役割を担うだろう)
・相手から女として愛される(可愛がられる)自分でなければ…
・私は相手を恋愛対象として愛さなきゃならない
etc…
これは疲れるわ…。

私がやりたいのはそんな関係性じゃない。しかも、愛している人ならなおさら。関係性にコレ!っていう名前をつけて確定させようとするから苦しいのかも。恋人、家族(親子や兄弟)、友達、仲間、先輩、同僚、いろんな名称がある。
名称付けが悪というわけではなくて。
愛してる人と私の関係、その関係性の名称にとらわれたくないよねっていうこと。別に恋人らしいことしなくたっていいし。私が私のままでいればいいし。

恋愛だけじゃなくて他の対人関係もそうだよね(もちろん目上の人に対しては節度を守るとかの社会的マナーやお決まり事はあるんだけど)。
友達だからといっていつも仲良く円満でいる必要はないし。
相手が後輩だからといってカッコつけなきゃいけないわけじゃないし笑。

そういう関係についての既存の名称や概念にとらわれず、相手と私とというやり取りをやっていけたら良いなと思う。そうして、そこに本当の「あなたとわたし」の関係が存在するんじゃないだろうか。

(毎回タイトルから内容が派生していきズレていっちゃうような笑笑。書こうと思って、そのときつけてあげた名前だからそれでいーんです🤣あまり気にしないで…)


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