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わたしって

常に人にビビりあがって 
何にもできない自分

空費してきてまたおんなじことを繰り返すのかな

何者かになろうかなんてそんなことは思わないけど
何者でもない私が不安でもある
何かになれても不安はつきまとうのかな

私は私、であることは知ってるけど、
どうしても自分が出来が良くないから
他人の人生に目移りするし
醜くなってもいくし
そのまま踏み出せずに止まったままでいる

誰か私と一緒に踏み出してくれる人がいたらいいのに
そんな孤独で頑張れなんて無理だよと思ってしまう

そういう人がいつまでも現れてくれないので
私達はいつも一緒に堕ちてくれる人を探すようになってしまう
そっちのほうが見つかりやすいし、もう前者を探すことに希望を持てなくなってるからかもしれない

一度、一緒に踏み出してくれるようなあたたかい日だまりみたいな人に触れ合えることができた人は、
それ以上つよくそんな人を求めることはないのかもしれない。

周りに人はいるのに孤独
という人は少なくない
私もまたそのひとり

長らくその地に足を取られて、自力で抜け出すことができなかったから
白馬の王子さまを待つみたいに誰かを必要としてる



心に余裕のない人のなんと多いことか。
私もまた、だれかを待っているくせに他の人に手を差し伸べることができない
一緒に踏み出そうよ、という気力ももうない

似たような人を見つけたらすぐに「一緒に落ちてしまおうか。私もあなたも似たようなもんだし」と、
やさしい安心感に浸ろうとしてしまうだろう。



私のスゴく嫌なところとして、
じぶんが不幸の渦中にいる際に、
充実している人を引きずり下ろそうとしてしまうところだ。
近しい人に対してほどそう。

「あなたは私と一緒だったんじゃないの?」
そもそも、自分とその人が同情と苦しみのシェアでしか繋がってなかったことに、そのときようやく気づく。

結局羽が生えたように軽やかに進んで去りゆくその人を引きずり下ろすことなんて出来ないわけだし、
私だってそんなことしても私自身は何も救われないことだってわかっているのだけど、
だからこそ自分が嫌いになる。



上手くできない私は嫌いだけど、本来の私は嫌いじゃない。

ここまで苦しまないと、ようやく私は自分の人生のスタートラインが切れないのかと思うと時々悲しくなってしまう。
劣等感だけで積み上げた人間関係に
他人の価値観で重ねた出来事
いつまでもそのループ。
最初から私は私の生を生きれてはいないのかな。

このループを抜けて、
自分の価値観での行動
何も制約がない感情
人を信じられるようになること
そういうことが今から身について行くのかな。



書いていて少し内容をカットしてしまった。投稿するときは恐る恐るなるけど、書いてるときは読み手の方々の視線を気にしてませんでした。
夜遅いけど…おやすみなさい🌆

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