広島のおっさん。の今まで一番悩んだこと。
大学を中退した時の話。私は中学生の時に陸上競技を始めました。入部動機は一つ上の姉の情報で、部内の雰囲気が良いことと、多少は走ることに自信があったからです。先生と先輩、同級生に恵まれていたこともありましたが、全国大会に行くくらいの選手になりました。高校も順調に成長でき、インターハイや全国駅伝などいろいろな大会に出ました。
当然のように大学は箱根駅伝を目指し、意気揚々と関東に乗り込んだのですが、現実は甘くなく故障に悩まされ1年足らずでやめる決断をします。18歳の私は、それまでの人生で初めての挫折を味わったのです。
このやめるという決断をする過程は、今でも私の決断の根幹となっています。というのも二者択一であれほど悩んだのは、18歳のあの時が最も考え抜いたことでした。
これまで陸上をやってきた経験、応援してくれる人、将来のこと、家族のこと、チームメイト、先生、治療院の先生、大学の監督、先輩、地元の後輩、とめちゃくちゃ頭がぐちゃぐちゃになるまで考えました。
どうしょう、やめようか、頑張ろうか、どうしよう、どうしたらいい、どうしよう、どうしよう、正解?失敗?なんか悪いことした?あれか?これか?お前か?あんたか?
みたいな感じでぐるぐる考えに考えぬきました。そしてもう考えられないと思った時、こう思いました。
今おれ自身はどうしたい?
おれは今すぐ広島に帰りたい。
私は、どちらの選択をしても後悔することもあるだろう、でもこんだけ悩んだのだからもういいじゃん、自分の本能で生きよう、と心に決め広島までの電車のチケットを買ったのです。
それからもう15年以上たちます、深刻ではないけれども「やっぱ続けておけばよかったかも」と思ったこともありますが、こんだけ悩んだのだからもういいじゃんと思い前を向い生きています。実際毎日、めっちゃ楽しい。
人はだれしも、いつも選択をしながら生きています。外食のメニューから仕事の商談、彼女と別れる別れない、行くか行かないか、様々な選択の中、ただ一つだけの道を選んで進んでいるのですが、私は少しでもヘビーな選択の時は自分の本能を根幹に決めています。第一、他人のことを考えて選択するのは、言い訳にする材料だと最近は思います。
18歳の選択が正解だったか間違いであったかわかりません、自分でもわからないのなら、それは正解のないことなのでしょう。けれどもその時、考え悩んだ経験は確実に私の血となり肉となっているのです。
人生は一度きり、死んだときどうせ後悔するのだから少ないほうがいいよね。やりたいことはやろう、やりたくないことはできるだけしない。
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