見出し画像

自分は悔しかったんだと気付いた回。

こんにちは。今日、伸ばした髪を切ってヘアドネーション(がん患者さんのウィッグ用に寄付)しようと思ったら全然長さが足りなくて、1センチだけ切って毛先そろえて帰ってきた井上真希子です。とほほ。。あと1年かかるってさ。。今切ろうとしたら、角刈り並みにしか髪が残らないんだからしょうがないよね。。角刈りの覚悟はちょっとしてたけど、いざとなると無理だったよね。。私って女心あったんだね、がんばろうね私。。。

それはさておき、最近「私、悔しかったんだー」と気づくことがありまして。

昔お世話になった方が、名誉な賞を受賞されると知りました。ずいぶん前から連絡はとっていないのですが、いろいろ当時はお世話になったし、お祝い事にお金を使える機会なんて人生の中で限られているので(立場によってはしょっちゅう祝い事に出費する方もおられましょうが、私は基本引きこもりタイプなので)お花をお贈りさせていただくことにしたんです。

お花屋さんのサイトを見て、たくさんあるアレンジメントから選んだ商品をポチっとクリックし、お届け先や添付するカードなどの指定を書き込んで最終の「注文を確定する」ボタンを押した途端、

なぜかちょっと悲しいような、悔しいような、すきま風が通るような気持ちがしたんです。

お祝い事のお花を贈るわけですから、当然お慶び事です。もちろん、素晴らしい、喜ばしいことだと私は思っています。でもなんか悔しいネガティブ感情が湧いたことに少々自分で驚いたものの、さすがに心理学を学ばせていただいてますので自分の感情を否定はしません。こんな気持ちが出てくるってどういうことじゃろなあと思うわけです。

私がお世話になった方は、自分の道を貫いて邁進され、客観的に誰からもわかる形で「賞を受賞する」という評価を得ました。これはその方の努力と継続の賜物で、私からは尊敬しかありません。

かたや私は、継続していることはあるものの、「これを極めた!客観的にわかりやすく評価される!」という場面に浴することもなく、自分からすれば「とりあえず生きながらえてきた」という感じ。

まあ、他人軸で比較競争する気持ちがあるねんなあ、ということですね。そして、私の中には「私だって頑張って生きてきたもん!ふーんだ!賞はもらってなくても私だってすごいんだからね!」←ちっさい人がやるマウント(汗)ていう気持ちなのかなあ、という気がします。

そういう時は、自分で自分をよしよししてあげることが肝要かな。自分も評価されたかったんだね。じゃあ、私が私を一番評価してあげよう。あげよう、も上から目線だけど。

こうやって自分を客観視しようとすることができるようになったことを、今日イチの自分褒めにしたいと思います。自分を褒める習慣がある人って少ない気がするのですが、小さなことからでも自分を褒めるのは、自分の心にすごく大切なことです。自分が一番の自分の味方になる。とはいえ、私自身がよく自分を敵視しちゃうからまだ私も修行中です。もし自分褒めの習慣がない方は、私と一緒に自分褒めの習慣、付けていきましょうね。

今日も読んでくださってありがとうございます。井上真希子でした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?