見出し画像

水着はないけど、スカボロービーチ「ホームステイママ①」

朝8時。カンカンカンとフライパンとお玉を打ち鳴らす音。「グッモーニン、ボーイズ!ブレックファーストレディ」。
それがオーストラリアで最初に暮らした家の朝の音だった。

最初に僕が滞在したのはセシリーさんというすこしぽってりとして、いつでも笑っている快活な65歳くらいのおばあさんの家で、今は家を出てしまった子供たちの部屋をホームステイ希望の外国人に貸し出ししていた。庭に自家用プールがあってお金持ちなのかなと思ったが割りとどこの家にもプールがあったのでオーストラリアでは別に普通のことなのかもしれない。パースという街から電車で15分ほどいった駅から歩いて10分ほどのところにある住宅街の一軒家だ。駅から家に着くまでの木々の上には動物園でしか見ることが出来ないような原色のインコが日本でいう鳩くらいの感じでいて現実感がないけどここがオーストラリアなんだと思った。

僕はそこに1ヶ月間滞在した。滞在費はだいたい週250オーストラリアドル(僕が行った時は1ドル70円くらいだった)で一人部屋と朝食夕食を毎日作ってくれる。キッチンにはパンやバナナ、外人が映画とかでよく齧っているような小さなりんご(本当にみんなむかずにそのまま齧る)が置いてあり、ランチ用にそれを勝手に持っていっていいようになっていた。

ほかには仕事のために英語が必要で留学しているポーランド人のおじさんと、将来的にこっちの大学にいくというめちゃくちゃ英語の話せる19歳の中国人の男の子が暮らしていた。
彼女はホームステイの受け入れの常連のようで日本からのお土産として箸をプレゼントしたらつまらなそうな顔をして受け取ってキッチンに行き食器棚の引き出しを開け「ここにいれておいて」と言った。引き出しの中には色とりどりの大量の箸が入っていた。

オーストラリアは過去には深刻な水不足に悩まされていたようで、いまでも水は最低限しか使わない習慣があるようだった。言われてみれば都市や街は海沿いにしかない。中心部は雨が降らない、実は殆どが砂漠の国。日本の20倍の面積がありながら2500万人くらいしか人口がない。日本は東京だけで900万人くらい。

お風呂に湯をためて浸かるなんてことはまずないし、バスタブがないなんてことも割りと普通にあった。誰も表立って口にはしないがシャワーは基本3分以内と暗黙の了解で決まっているようだった。日本人は風呂が長いのでそれで怒られることもあると聞いていた。僕はそんなことより、シャワーをあがって、部屋に帰るのにも靴をはかなくちゃいけない土足文化のほうが不便だなと思った。食器の洗い方も特殊で、極力水を使わないように最初に少し濡らして人体に影響のないと彼らの言う洗剤で洗いそれを水ですすがずに水切りに置いてタオルで拭く。それにしてはプールに沢山水が入っているのが印象的だった。

僕は英語が全く出来なかった。セシリーの話していることはなんとなく雰囲気でわかるが、自分のいいたいことは殆どなにも言い表せなかったし、他のホームステイメイトはみんなとても英語が上手だったので、自分だけいつも場違いな感じがして恥ずかしかった。これではなにも出来ないと思い人生で初めて英語を真剣に勉強した。

ある日の午後僕はリビングで文法の勉強をしていたらセシリーが何をしているの?と話しかけてきた。「英語を勉強しています」英語を話す人しかいないので当たり前だが「英語だ!」と思うと緊張した。彼女は「ボーリング」と言って頬杖をついた。僕はその単語の意味がわからなくて辞書を開き彼女にスペルを訊いた。「つまらない」という意味だった。こんな簡単な単語もわからないなんて大丈夫なのか俺とあなたにはつまらなくても僕には死活問題なんですという感情が同時に起こりながら、何もいえないでいると(気持ち的にではなく語学的に)もっと楽しいことがあるとテレビの前に連れて行かれた。彼女は一本の映画をみせてくれた。

ダーティダンスシング。若い女の子が父親に逆らってダンスのインストラクターと一夏の恋に落ちる名作映画だ。セシリーさんは興奮気味にこのシーンがとかこの人が!みたいなことを僕に一生懸命話してくれた。きっとお気に入りで何度もみているのだろう。彼女も映画もほぼ何を言っているのかわからなかったけどとにかく楽しかった。彼女画面の中の女の子や男性のダンスにいちいち感動して、クライマックスシーンでは一緒に踊りだしてしまった。僕は外国人特有の陽気さに少しだけ引いていたが、きっと僕のために楽しい時間をつくってくれているんだろうなと思って、すごく笑った。実際彼女の足さばきは見事だった。

映画が終わると彼女はテレビの横にあった一枚の絵を見せてくれた。そこには彼女と一人のおじいさんが黄色いキャンプカーに乗って地球を旅している絵が描かれていた。彼女によるとそれは、過去にホームステイしてくれた日本人が書いてくれたものらしかった。描かれているおじいさんは彼女の旦那さんで、前の年に病気で亡くなってしまったらしかった。彼女は突然しくしくと泣きはじめ、おじいさんとはいろんなところを旅したしこの映画みたいにダンスを踊っていたのと言った。僕は話を聞きながら会ったこともない彼のことが急に寂しくなって一緒になって泣いてしまった。日が傾いてオレンジ色の夕日が部屋を満たしていた。

セシリー「サンキュウ」と言ってまた笑顔になって夕食を作ってくるからゆっくりしててとキッチンに向かった。
音楽に合わせてダンスを踊る楽しさや誰かをうしなう悲しさは国が違っても一緒なのだ。もともとコミニケーションが苦手なことにくわえて英語が話せないことでどこか壁を作ってしまってなじめない、というよりなじもうと出来ない僕にそうじゃないぞと言ってくれたような気がした。彼女はきっとそんなことを思っていたわけじゃないだろうけど、僕はそんな彼女がいっぺんに好きになった。

Pityman HP

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?