物語創作って自分をいかように見つめるか、みたいなことでもあるけど、それ以上に。
そうだよね創作には自分への深堀、内観が必要だよねって段階を飛び越えたところまでたった4年程で進んだ。
創作活動をしているプロは必ず内観をする。アマチュアもしたほうが良い。内観は、創作活動してる人でなくとも人生を歩む全ての旅人にとって必要だ。
内観とは、自分の外側に映った何かに対して負の反応を起こした自分の内側に気づき、受容していくこと。そうして自分の何かが外側に反映しているのだと気づいていくこと。
内側には目を向けず、外側の誰かや現象に目を向け、今目に映っている外側のせいで自分はつらいのだと、心の中で葛藤しつづけ思考をぐるぐるさせる。自分がこうしたらあの人がどうしてくるだろうか。全部自分で考えている。
これが戦後教育の影響から出てない人の特徴。私もほんの2年くらい前までやっていた。今、マジでこの影響から出れる情報は沢山出てるから。気づいて実践するかしないかでしかない。
自分の外側に目を向け、外側からの負の感情や刺激を元に、その次元に対処することで心の争いや苦しさの世界を生きるのがいわゆるマトリックスだ。
目に映っている現象に対処するのではなく、霊的直感を行動に移していくことが本当の意味での自分の世界を映し出していくことなのだ。
同次元対処ではなく、高次元対処。
上記太字部分の内観をずっとずっとやっていくと、あれ?マジでマトリックスだったなと本当に気づくときが来る。なぜなら、負の感情が起きるシステムを作ったのは支配が好きな傾向がある人々だからだ。
陰謀がどうとかじゃなくて、それがわかったのなら同次元で相手をせずにスッと抜ければいいだけだよねって。抜けて、自分の心の調和を図り幸せにしていく。
自分の内側に目を向けて、霊的直感を行動に移して自分だけのやり方を楽しむってことをしてるうちに気づいたんだからね、これ。自分が自分のエネルギーで充ちるほどに、他人には求めなくなっていく。
他人には求めない、自分を楽しむほどに、外側に映し出される人々も同じような人になっていくということなのだ。
創作活動においては他人に求めることはほぼ無くなっているけど、それでもたまに創作関係無いところで他人に求めそうになって軸ブレを起こすときもあるから、自分の気持ちを他人のせいにしてないか日常的に観察することがやはり大切だ。
他人のせいにするって、自分の主導権を渡していることだからね。
自分の個性って何かなと想いを馳せるのに、相対的な比較で外側に目を向けるのなら全く構わない。比較競争ではないからだ。
しかし、自分の個性を作品に反映させるのでさえ他人がどんなのかを確認する必要はないような気がしている。魂が送って来るイメージを形に出来る手腕を磨いておくだけだ。
手腕の磨き方でさえ、自分の直感を頼りにしているのだから、目に映っているもので自分の創作活動に影響を与えるものっていうと自然とか街並みとか、音楽とか、人体って美しいなとか、完全に自分の耀きを生きている人とか、感動するキラキラを発しているものだけになる。
冒頭で、内観が必要だよねって段階を飛び越えたところまでたった~云々と書いた。飛び越えたってのはタイトルの「それ以上に~」のことだ。それをワンフレーズで書き表わすと、
自分は、思ってた以上にというか、全然思ってなかったのに、かなり創造の神だった。
てことだ。しかしどんな風にかは、語っていかねばならない。
私の魂というか、ハイヤーセルフが私という人生のために考えた物語を語る機会を設けていこうと思う。
【直感を行動に移して自分だけのやり方を創る】の実践
【内観と自己受容による魂の陰陽和合】
【私の物語】を読んでみる
私の記事を参考にして、これらを一年も実践し続ければ、結構変化が起きると思う。今、この記事を見ているということは、貴方の魂・宇宙が変化への可能性を示しているということだから。
目に映っているネガティブなものもポジティブなものも、その真ん中も、全ては貴方の無限の可能性の反映なんだよ。
もしネガティブな可能性を生きていて、変わりたいなと思うならば、本人がそうなろうとしなければ、気づいていこうとしなければ、選択しなければ変わっていかない。覚悟を決めるだけでも変わらない。
不快でなければ動画も見てね。
体得した人の周波数を浴びることはとても重要だよ。
この人の発信を見てるとなんとなく暖かく感じるとか、そういう感覚を大切にしてね。不平不満な発信は見ないことだよ。目に見えてなくても周波数を持ったエネルギーが流れてくるからね。
感染してもいいものを選んで見てね。