歳を取るって大変で不思議
2023年11月15日
ニュージーランドから帰省して、実家で2週間が過ぎました。8月に2週間だけ急きょ帰省した時は、ほとんど起きることができなかった母のことが心配でした。何度も気を失って、やっと精神科に行くことを受け入れた母は、レビー小体型認知症の診断を受け、ずっと自分の部屋で眠って、なんとか食事の時だけ這うようにキッチンにきて、ほんのちょっぴり食べて、薬を飲んで、またすぐに部屋に戻ってしまっていました。排泄もうまくいかず、お風呂も入れずで、かなり悲惨な状況でした。
しかし、見事に復活! 精神科でレビー小体を専門とする先生に診てもらい、薬を調節した効果があったようで、昼間に起きていられる時間がみるみる増えて、ペン習字の練習をしたり、食事の準備の手伝いをしてくれたり、洗濯や皿洗いも率先してやってくれます。のんびりお茶を飲みながら、おしゃべりができる時間がまた来るなんて、思ってもいませんでした。
今回はまず、母の「おしゃれな美容院に行きたい」という要望で、私が行ったことのある駅前の若者向けの美容院で、きれいにカットと髪染めをしてもらってご満悦でした。ただ、ふらつきや手の震えがあるので、要注意です。また、どうも洗髪する意欲がでません。週1回のデイサービスの入浴で洗ってもらっていますが、なんとか回数を増やしてほしいところ。しかし、デイサービスの回数を増やすのも、訪問介護やリハビリのサービスを入れるのも、断固いやだそうです。入浴をいやがるのは介護によくある話ですが、清潔な方が気持ちいいのに、と今の私は不思議です。20年たったら気持ちが分かるのかなあ、と思ったりしています。
一方の父は、8月はなんとなく落ち着いていたのですが、私がニュージーランドに戻った後、不穏な夜を過ごすことが増えてきました。夜明けごろに毎日、「資料がない、アルバムがない、住所録がない」と泣きわめいて、部屋をうろうろするのです。さらに、母が捨てた、と言って、心配して顔をのぞかせている母を追い出そうとします。同居している妹が添い寝したり、やさしく言い聞かせたりしても、さらに暴れて、興奮します。何度か、困り果てた妹から私に電話がありました。私の声を認識すると、いったんは収まるのは、たぶん妹にはすっかり心を許しているので、自分をさらけだしてしまうのだと思います。
今回の帰省でも最初の1週間は毎晩、泣きわめき、部屋をうろうろして、裸足で外に行ったこともありました。また、日中でも、「ない、ない、もうおしまいだ」とパニックになって泣き出していました。手のひらですごい力で壁や床をバンバンと打ちたたくことも。大丈夫だから、全部あるから、と何度も言い聞かせ、なだめているうちに、ちょっとずつ泣きわめく度合いが低くなって、毎晩3:00に起きていたのが週に半分は6:30ごろになり(こちらの疲労度が全然違う)、だいぶ落ち着いてきました。母が掛かっている精神科の同じ先生に父も掛かり始めて、抗精神病薬を増やしてもらったので、さらに安定してくれるといいな、と思います。
こうやって書くと、大変な症状に思えますが、父は、会話は楽しむことができるし、食事も自分で食べられるし、トイレも現在は自分で行けています。着替えを出したり、お茶を出したり、何かやってあげると、まず、「ありがとう」とお礼を言ってくれます。食事の前には必ず、きちんと手を合わせて「いただきます」と言います。なんだか年齢と共に、礼儀正しくなってきている感じで、11人兄弟の末っ子としてかわいがられていた子供のころに戻っていっているのかなあ、と思います。
デイサービスのスタッフの方々との受け答えも丁寧なので、「今日も紳士的に落ち着いておられました」とおっしゃっていただいています。月に2回、1泊のショートステイにもいやいやながら行ってくれていますが、このときに大声を出すことはないそうで、やれやれです。
先日の精神科の診察で受けたMMSE機能検査は、25点(30点満点で、23点以下が認知症とされる)でした。短期記憶はまったく答えられませんでしたが、「今の季節は」という質問には、「もうすぐ冬の秋」、図形を写す作業は先生から「完璧です」と言われるほど。「今年は何年か」には「平成5年」と答えましたが、こんなの私でも間違えることがありますから。ただ、先生もおっしゃっていましたが、この点数が認知症の症状の程度を表すものではない、ということがあります(だから、新薬が機能検査の点数がX%向上、数か月維持、とかを読んでも、それが効果かあ、と思ってしまいます)。
1年前、父は別の病院で、「海馬が収縮してしまっているので、アルツハイマー中等度」という診断でした。でも、今回、MRI画像によると、海馬に強い萎縮が見られるが、アルツハイマーの特徴である頭頂位の萎縮はない、とのこと。ほかの症状から見て、「レビー小体型」だろうということになりました。
私の願いは、いろんな役員や幹事を一生懸命やり続けて、去年まで現役の薬剤師として働いていた父に、ゆっくり、のんびり、楽しく生活してほしい、ということ。精神科の先生も「それが一番大事、そのために夜間の泣き叫び、昼間の不穏の軽減を目指していきましょう」とおっしゃってくださいました。
短期記憶がなくなることなんて、問題ない。食事の後のフルーツが大好きで、食べた後に、「食後のフルーツはあるのかな?」と聞いてきても、「もう今日は食べたよー」と言うと、「そうか、そうか」と納得してくれます。そして、不思議なことに、私が帰省している、ということはちゃんと覚えていてくれています。真夜中に錯乱状態になっている時でも、「ごめんね、くろうたどりちゃんを起こしてしまったなあ」と、私を認識して、謝りながら、おいおい泣いています。そして、錯乱している時は母を責めるのに、普段は、「お母さんは元気かな」と、帰宅するとまず聞きます。家族に関する記憶のためのメモリだけは、まだ残ってくれているのは確か。
今朝も「ない、ない、アルバムがない」と泣いていたので、「大丈夫、明るくなったら一緒に探そう」と声を掛けると、納得して、静かになってくれました。そして週3回のデイサービスに、スムーズに出かけてくれました。
ただ、分かっているのは、今のひとまず平穏な状態がずっと続くことは絶対にない、ということ。まず、来年2月に故郷で行われる小学校の同窓会に行きたがっていて、私が付きそうわけにはいかないので、どうしたものかと悩ましい。さらに、今年の2月に大荒れに荒れた確定申告の時期が再びやってきます。このときは、確定申告をしなくては、とあせるあまり、何度も税務署に自転車で行って、迷子になって、ついにおまわりさんに自転車を車に乗せて、送ってもらったのでした。
ずっと2人を介護してくれている妹のことも心配だし、次から次へと問題が生じるのが介護の大変さだとつくづく思います。一つひとつ、解決して、進んでいくしかないのだけれど。とりあえず、今、できることに感謝して。
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