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『空飛ぶたまごと異世界ピアノオルガン♬アンサンブル』 第23話 「不完全」な音を奏でるために

 いつの間にか、明後日あさってに予定している協演のために、数えきれないほど多くの人たちが動いてくれていた。

 工房の人たちが、入れ替わり立ち替わり何度もやってくる。完成したパイプを持ち込んでは、レヴィンさんに見せ、取り付けて、整音。それを何度も繰り返す。

 パイプを追加する話を聞いてからわかっていたことだけど、演奏の打ち合わせそのものよりも、整音と調律の方に何倍も時間がかかる。使用する予定のすべてのストップを試し、教会中のあらゆる場所から何度も響きを確認する。

 以前レヴィンさんが、レジスト(音の組み合わせ)はいつもリーネルトさんと二人で決めると言っていた。奏者一人だけでは、演奏台コンソールから離れた場所で聞こえる響きを確認できないからだ。

 今は二人どころか、たくさんの人たちがオルガンの響きを聴き、活発に意見を交わし合っている。オルガン調律師の方も、工房の人たちも、牧師さん始め教会の関係者たちも。
 温玉おんたまちゃんも、何度も録音・録画を繰り返し、検討のための資料を揃えてくれている。大忙しだ。

 他にも、嬉しい来訪があった。

『本当に今から音を改良するんですか? 夢を見ているようです……!』

 教会のコンサートで、レヴィンさんに向かって泣きながら訴えていた女性だ。名前は確か、イェーリスさん。

『こんな場面に立ち会えるなんて。お招きいただきありがとうございます!』
『イェーリスさん、来てくださって嬉しいです。どうぞゆっくりなさってください』

 レヴィンさんがんだんだ。
 レヴィンさんは、オルガンを愛してくれる人のことを忘れない。しかも、彼女にまで音についての意見を尋ね始めた。

 音兄おとにいも、ただ待っているわけじゃない。
 響きを確認する際に、ピアノの音も入れる。パイプの音としっくり合わない時は、ピアノの方を少しずつ合わせていく。これはもちろん、音道おとみちさんとスーパーチューナー・チュー玉ちゃんの仕事だ。

 演奏時間約三十分の協奏曲コンチェルト細切こまぎれにして、一音ずつ、一小節ずつ、一フレーズごとに確認していく作業は、誰にとっても根気のいる作業だ。
 でも、誰もを上げない。教会を閉められる時間まで、誰もが時間が経つのも忘れて懸命に取り組んでいた。工房の方は、きっといづ兄の言う通り徹夜仕事だ。

 一番忙しいのはいづ兄かもしれない。
 工房で職人をやったかと思えば、教会ではピアニスト・ベンカーとして、視察に来る政府議員たちを適当なリップサービスで追い返してしまう。
 ベンカーの名声は世界中に知れ渡っているから、彼が「打ち合わせ中につき立ち入り禁止」を唱えれば、議員たちも無理矢理入ろうとはしなくなる。
 工房の人たちがとがめられずに教会に出入りできているのも、ベンカーが国のイメージアップに繋がる広告を背負ってくれているからだ。

 様々な立場の人たちが、オルガンに耳を傾け、知恵をしぼり、少しずつ完成を目指していく。
 先のことを考えなければ、まるでみんなで作り上げるイベント、お祭りみたいだ。

 この時間が、ずっと続けばいいのに。終わりなんか来なければいいのに。
 もっと早く知りたかった。もっともっとたくさん、オルガンに関わっていたかった――

 * * *

『本来なら、今日明日は演奏に時間をくはずだったのに。僕の我がままに付き合わせてしまって、申し訳ない』

 他の人たちが帰り始めた頃。いつもの応接室に鏡を運びながら、レヴィンさんが音兄に言った。

「俺は別に迷惑してないよ」

 ピアノの前で体を伸ばしながら、音兄が答える。

「むしろ、新鮮すぎて驚きっぱなし。普通のオケじゃなくてオルガンとれるってだけでも凄いのに、調律まで変わるんだから。知ってる曲のはずなのに、どの音を聴いても新しい音に聴こえる。だから退屈なんて絶対しないし、余計なことも考えずに済む」
『……そう言ってもらえると、助かるよ』

 レヴィンさんは、知っている。本当は、音兄がこの曲を聴くたびにつらい過去を思い出し、心をとらわれ続けていることを。
 ピアニストを続ける限り、この曲から一生逃げ続けることはできない。音兄は、自分が心に作ってしまった壁を乗り越えようとしている。そのために手を引いてくれるのが、レヴィンさんの音なんだ。

「それに、少し合わせただけでわかる。レヴィンの音は凄いよ。鼓膜こまくと指先から入り込んで、じわじわと肌をめるように包みながら侵入してきたかと思うと、絡み取られてしばられて、全身を完全に支配されてしまう。呼吸までふさがれて、身体のすみから隅まで神経を思うがままにでられ存分にもてあそばれて、駆け上がってきた快感に脳天までつらぬかれ、魂の振動が止まらなくなる。そのまま昇天間違いなしだ」
「ぶは……音兄、なんかエロいよ?」
「知らなかった? 音楽って本来エロいものなんだよ」

 レヴィンさん、苦笑いしてる。あっちはまだ教会にいるんだから、自重してほしいよー。

 でも、言い方はともかく、「いい音」に出逢った時のどうしようもない興奮はわたしにもわかる。自分もステージにいれば、なおさらだ。

『オトハ、「十二平均律」についてはどう思ってる? 授業で古典調律の話をすると、ピアノ科の生徒には不評なんだよ。どうしても「十二平均律」が悪者のように感じられるらしくてね』

 譜面をカバンに入れようとしながら、レヴィンさんが尋ねた。ちなみに、譜面が多すぎてカバンに入りきらず、さっきから苦戦している。

「俺は好きだよ、ピアノの調律」

 水を飲んでからさらっと言ってのける音兄は、エロくてもやっぱり王子だ。

「俺にとっては、生まれる前から聴いていた音で、俺のじいさんの音だから」
『オトハのお祖父じいさんは、確かピアノ製作技師ビルダーだったね』
「そう。うちにある九台のピアノ、全部普通の『十二平均律』だよ。『全ての音を少しずつずらした不完全な響き』と言う人もいるけど、じいさんは、『不完全な響き』でもいいからより多くの人に多くの曲を弾いてもらうことを望んでた。俺も、今の生活が落ち着いたら、自分ちでワークショップみたいなことをやって、色んな人にじいさんのピアノを弾いてもらおうと思ってる。九台もあるピアノ、俺と理音りねだけじゃ十分に相手してあげられないからね」

 音兄、言うこともイケメンだ。
 仕事中はあまり笑わないから近寄りがたさを感じさせることもあるけど、本当の音兄は、気の合う仲間と気楽に音楽を楽しむのが好きな人。それが音道さんや関川せきかわさんたちとのアンサンブルを続けている理由だ。

 ピアニストは、孤独な生き物だ。
 長時間、たった一人でのリサイタル。
 協奏曲やアンサンブルでも、一人だけ他の楽器とはまるで違う楽器を演奏する。
 他の楽器に溶け合いにくい。自分の音が全て。
 だから自分の音に絶対の自信を持たなければ、とてもステージに出られない。
 ゆえに、理想が育ちすぎて他の音を許容できなくなったら――ますます孤独の深みにちることになる。

「神に捧げる音(純正律じゅんせいりつ)が完全で、人が楽しむ音(十二平均律)が不完全。うまく分けられてると思うよ。人は完全でなくていい。だいたい、純正律で弾けるヴァイオリンだって、オケで全員が全く同じ音だなんて厳密には有り得ない。合唱もそう。違いが人の耳にわかるかわからないかってだけ。人はどう頑張ったって不完全で、だからこそ人の音楽は愛すべきものなんだ」

 レヴィンさんは微笑んでいた。学校の生徒さんたちに話す時の参考になったかな?

「音楽って、結局はいいか悪いかじゃなくて、好きか嫌いかなんだ。自分の音が好きでなければ、あるいは好きだと思える音を目指せるのでなければ、音楽をやってる意味がない」

 音兄の目は強かった。
「好きだと思える音を目指す」道を断たれようとしている人を前にして、それでも目をらさずに見据えていた。

「音楽は終わらない。たとえ楽器を奪われようと、この手を奪われようと。何者も、音楽家から音楽のすべてを奪うことなんかできない。そうだろ、レヴィン」

 音兄自身も、音楽をあきらめようとしていた。でも手放せなかった。
 本人は理音わたしがいたからだと言うけれど、たぶん自分で思っているよりもずっと、音楽は音兄の心身に深く根を下ろし、隅々まで絡みついているのだ。

 音兄の目は、今よりもずっと先を見ている。
 オルガンが無くなった世界の、さらに先を。
 レヴィンさんが、リーネルトさんが手にするべき未来の音楽の世界を。

『……そう願うよ。オトハも僕も、きっと一生音楽がなければ生きられない「不完全」な人間なんだ』

 そう答えるレヴィンさんの瞳も、澄みきった強い光をたたえていた。

 * * *

「もう帰る時間じゃない? レヴィン」

 音兄の言葉に反応して、レヴィンさんがわたしを見た。

『リネさん、お話を聞く約束でしたね』
「あ……でも、レヴィンさん、帰るのが遅くなっちゃうから……」
「なんだ、この後デートの約束してたのか」

 デェトーッ!!

 そうか、事前に二人で会う約束していたらデートになるのかー!(※違います)

「もう遅いし、このままお持ち帰りしてもらったら? レヴィンは鏡に向かって喋りながら帰宅する変な人になればいい」
「音兄には変な人って言われたくないと思う」
『はは……僕も自宅でゆっくりお話できたら嬉しいんだけど、必ずしも安全では……いや、悪いけど鏡はここに保管しておく。ここが一番安全だから』

 え?
 レヴィンさん、自宅が安全じゃないって――

『リネさん、僕の時間は気にしなくて大丈夫です。少しお話しませんか』
「え、あの……」

 ちらっと音兄を見ると、音兄はわたしのヘアピンのあたりをさらっと撫でた後、譜面を持ってコンサートルームを出ていった。「五分だけだぞ」と言い残して。

「あ、ありがとうございます。わたし、皆さんがプロフェッショナルすぎてあんまり凄いので、何もできない自分が歯痒はがゆくて……何かできることはないかなって、思ってたんです。でも、レヴィンさんや音兄を見てたら、気にならなくなってきました」

 レヴィンさんは、いつもの優しい目で話を聞いてくれている。

「二人があんまり素敵だから、見ているだけでいっぱいいっぱいで、他のことを気にする時間が惜しいんです。だからわたし、気にしないで思う存分見ていることに決めました!」

 やってることは変わらないけど、開き直ってポジティブになりました!
 レヴィンさんは「それで十分です」と微笑んでくれた。

『リネさんが見ていてくれるだけで、僕は実力以上のパフォーマンスを発揮できる。それくらい、たくさんの力をもらえるんです』

 レヴィンさんが実力以上だなんて、さらに凄いことになっちゃう。わたしも応援推し活に磨きをかけなければ!

 レヴィンさんは、急に微笑むのをやめた。真剣な眼差しで、じっとわたしを見つめている。どうしたのかな。

『リネさん。僕は、オルガニストとしてあなたと出逢った。でも、もうすぐオルガニストではなくなります。オトハとの協演が終わっても、オルガンが無くなっても、また、こんな風に話をしてくれますか?』

 レヴィンさん……。

 わたしが、もう会わなくなると思った? 今までオルガンや協演だけが目当てで話をしてたんだと思ったの?
 そんなわけない。何があったって、肩書きや立場が変わったって、たとえ姿が変わったって。
 もっと会いたい。もっともっとたくさん、あなたのことが知りたい。

 胸が苦しい。鼓動が激しくて、全然おさまらない。
 でも、苦しくても、ちゃんと言わなきゃ。鏡越しだからこそ、ちゃんと言葉にして伝えなきゃ。

「わたしは、レヴィンさんに断られない限り――いえ、たぶん断られたって、会いに来ます。また話を聞いてくれって、図々しく押しかけます。だから、会いたいのは、話がしたいのは、わたしの方なんです!!」

 * * *

 レヴィンさんがどう受け取ってくれたかはわからないけど、わたしにとっては告白も同然の言葉だった。

 言うだけ言ってしまうと、わたしは挨拶もそこそこに通話を切り上げた。レヴィンさんは忙しいのだ。学校の仕事だってある。
 それに、これ以上脳が沸騰ふっとうして顔面崩壊するところを見られたくないぃ!

『……私は、リネのヘアピンになりたい……』
「わぁ!! ビックリした!!」

 急にミラマリアさんに繋がった。

「ミラマリアさん、いつからいたんですか?」
『音サマのお言葉が、どれもとうとすぎてしんどい……』

 けっこう前からいたらしい。

「あの、聞いてたと思いますけど……
 ミラマリアさんごめんなさい! 白状します! わたしは今、ガチ恋してます! 告白もしちゃいました! でも、やっぱり兄も尊いんですぅーッ!!」
『よくぞ言った。よし、いったんぜろ』
「ノルマですかっ?」
『音サマのエロいワードを清書して提出したら不問に処す』
「兄のエロワード清書って、一体何の苦行ですか」
『こっちが粉骨砕身ふんこつさいしんしてる間にイケメン二人とイチャコラするのは重罪に等しい。よって乙女ゲーム崩壊の刑。二人のどっちが「攻」でどっちが「受」かを詳細に分析の上レポートを提出するように』
「え、『攻』はどっちかというといづ兄じゃないですか?」
『そうなるとリーネルト少年も』
「未成年なのでお手柔らかにお願いします」

 四人とも、妄想だけなので許してね。
 わたしたちは、いたって無害で平凡な、悩める乙女なのです!

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