『煌(ひかり)の天空〜蒼の召喚少年と白きヴァルファンス』 第2話 白の獣と黒の獣
カナダ北部、十二月。
昨年までは、クリスマスの準備に住民も観光客も心浮き立つ時期だった。
八月の「太陽光消失」現象襲来から、約四ヶ月。
多くの犠牲を出したあの日以来、極北は依然として先の見えない混沌を極めている。
天空が「闇のオーロラ」と呼ばれる黒い宇宙現象に覆われ、太陽光が極北の大気圏まで到達しなくなった。
オーロラと呼ぶには発生の原理が元来のものとかけ離れているが、カーテン型のひだの動きやブレイクアップなど、人の目にはまるでオーロラそのもののように見えるためにそう呼ばれている。
色は変わらず、濃紺をはらんだ黒。
漆黒の「極夜」の空に溶け込んで、そのままでは人の目に認識できない。
が、「闇のオーロラ」は確かにそこにある。
四ヶ月間変わらず、太陽光も星の光も遮断して、極北の空と大地を覆い尽くしている。
その正体は、まだ誰にもつかめていない。
◇ ◇ ◇
ユーコン準州、州都ホワイトホース。
カヌーで名高いユーコン川沿いにあり、雄大な自然公園やオーロラ観測スポットとしても有名で、世界中からアウトドア・アクティビティ目当ての観光客が訪れていた都市。
街のやや外れに位置する居酒屋も、夏までは地元民と観光客の陽気な笑い声がログハウス風の店内を満たしていた。
今は、客と言えばビジネスマンや各種作業労働者、各国政府機関の調査員やマスコミ関係者、各分野の専門家など。みな一様に疲れきっていて、陽気さとは程遠い。一刻も早く避難・帰国したい者も多いはずだ。
そろそろ閉店という頃合いに、残っているのは若い男性がひとり。そこへ、さらにひとりの男が入店した。
全身の雪をはらい、マスターの方を見ると、マスターが無言で先客を示す。
男は、先客である若い黒髪男性の前に立った。
「あんたか? 情報がほしい客ってのは」
「はい。日本から来ました」
男が腰かけ、二人の間に名刺が交わされる。
後から来た男はナショナル・ポスト紙の記者、キンバリー。
先客は、日本の大学の研究室所属の学生だと名乗った。
「学生? あんた、なんで入国できたんだ?」
現在、「太陽光消失」現象が起きている極北地域への入国は厳しく制限されている。
「俺のことは、機会があればそのときに。今はそれより、依頼した情報をお願いします」
「そうだなあ」
キンバリーは記者ならではの嗅覚で、目の前の青年がただの学生ではないことに勘づいていた。
といって、今世界中が注目している宇宙現象に関係なさそうな者の素性を、いちいち詮索するほどヒマでもない。
「別にヤバい情報持ってるわけじゃないぞ? 極北の現状をざっとでいいから教えてくれってやつのために、かき集めた情報をまとめてやってるだけだ。まだ発信してない情報もあるが、ここでは他のやつらにも何度も聞かせてやってる。地球がどうなるかってときに、他紙を出し抜こうなんて考えちゃいない。学生にだって協力するし、俺の情報を取っかかりにして新たな情報をつかんでくれたら安いもんだ」
「助かります」
「だから安心してくれ。情報料ふっかけるなんてこともしない。そうだな、ここで一杯おごってくれれば十分だ」
巷では、この混乱に乗じてひたすら利益を得ようと画策する者も少なくない。キンバリーのような明朗さは貴重かもしれない。
「この男は信用できる」と、青年――日本人学生、折賀美仁は感じとった。彼にもまた、「情報」に関する特別な嗅覚があった。
店の外では雪が吹き荒れている。
空の漆黒は、去年までと同じ、冬の極夜が訪れたこの地のあるべき姿なのだと錯覚しそうになる。
このまま時が進んでも、春も夏も、もう二度と来ないかもしれないのに。
◇ ◇ ◇
キンバリーの話をまとめると、以下の通り。
地上からの観測及び人工衛星や探査機による調査は、すべて失敗に終わっている。
確かにそこにあるのに、何度アプローチを試みても原因と目される物質をただの一片も観測できず、いかなる仮説も立証できていない。まるで存在しない蜃気楼を追いかけているようだ。
局地的に一瞬で気候が激しく変動したため、健康上の被害、野生の動植物への深刻な影響が懸念されている。
狩猟を生業とするイヌイットなどの先住民族たちも、移住や生活の変革を余儀なくされるのではないか。
世論も様々だ。
地球を損壊し続けてきた人類に対する、宇宙からの警鐘だと息巻く人々。
映画『The Day After Tomorrow』のように、同様の異常気象が世界中で続発するはずだと論ずる人々。
逆に、これで極地の氷河融解が止まり、地球の「気候危機」を脱することができるのではないかと楽観する人々。
「俺はもちろん楽観などしない。北極圏がいきなり厳冬になったところで、南極圏の温度上昇は相変わらず進んでいるからな。人間は文明の力ってやつでしばらくは何とかなるだろうが、貴重な野生の動植物の方が心配だ。せっかく生まれたのに、この危機を乗り切れなかった動物の子供の死骸があちこちで発見されている。――いや、正確には『死骸のあと』か。つまり、飢えた動物たちの食べ残しだ」
折賀は軽くメモを取りながら聞き入っているが、表情が大きく動くことはない。どの話も、すでに知っていたか想定内なのだろう。
その表情が、キンバリーの次の言葉でふと動いた。
「動物といえば、不思議なことを言い出した専門家がいたな。太陽光が届かない地域が、カナダの野生の狼たちの生息圏に重なるんだと」
「狼?」
「と言っても他の動物もいるし、確たる根拠はないけどな」
相手が興味を示したのを確認して、キンバリーは話を続けた。
「狼と言えば、こんな情報もある。
森に調査に入った専門家の中に、何度か『白い獣と黒い獣』を見かけたやつがいるらしい。白い方は今年の春に生まれた雌の仔狼で、黒い方は去年より前に生まれた雄狼じゃないかと。番と呼ぶにはまだ若いが、仲むつまじい様子だったそうだ。
用心深い狼が人前に姿を見せるってことは、それだけ飢えてる証拠だ。これからもっと増えるかもしれん。最悪、この地で昔のような人間と狼との戦いが始まるとしたら……考えたくもないな」
この話に何か特別な思い入れでもあるのか、キンバリーの声が沈んでいく。
対称的に、折賀は熱のこもった目でまっすぐにキンバリーを見つめた。
「キンバリーさん。その狼たちの目撃地点、わかりますか」
◇ ◇ ◇
刺すような寒気の中、折賀はスノーブーツで雪を踏みしめながら歩いた。
街外れにある居酒屋から十分ほど歩けば、そこにはもう見渡す限りの森が広がっている。
周囲には車も人の気配もない。闇の中存在感を放つ、自然の景観ならではの圧倒されるような空気。
森の端に、こんもりとした雪の塊が二つ並んでいる。
折賀が近づくと、その形がグシャッと崩壊し、飛び散る雪の中から二頭の獣が姿を見せた。
「待たせたな。ゲイル、ブレイズ」
ハイイロオオカミのように見えるが、二頭とも名前が刻印された首輪をつけている。
嬉しそうに鼻を鳴らしながら身をすり寄せてきた二頭は、何かを嗅ぎとったのか、動きを止めて空を見た。
闇夜に浮かぶ、人の目には見えない黒いオーロラに、彼らは何を見ているのか。
やがて二つの鼻面を空に向け、力強い二つの遠吠えがこだまする。
森の奥、山の方向から応えがあった。
人間には注意しないと聞き取れないほど細く高い遠吠えは、この地に棲む獣たちの息吹を、存在を、声を上げて宣言しているようだ。
野生の狼が遠吠えをする理由は様々だ。群れの仲間や、他の群れの狼たちへの伝達手段だと言われている。
折賀は、目の前にいる二頭の獣、狼の血を継ぐゲイルとブレイズの遠吠えの意味を、「ある者」から既に聞いていた。
二頭は、願いを乗せて吠えている。
白い獣を、「ヴィティの子供」を捜せと呼んでいる。
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