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【短編小説】 こどもの命は誰のもの?

『うちは選択子無しですから〜』って言う人、いるじゃない? 子供がいない人生を選びました、とか偉そうに言う人。あれ、変な話だなって思うんだよね。だって、子供がいる状態を経験したことがないんだから、選択できるわけがないじゃん。子供がいるって、生活に劇的な変化が起きるんだよ? それも分からないままに『選択した』って言い方がおかしいよ。そもそも、子供が欲しくても妊娠しない人もいるのにさ、『もちろん、子供がいる人生を選択することはできるんですけどね』みたいな感じも変だと思うし」

 隣に越してきた同年代の夫婦に、突然、そんなことを言われたのだと、祐理は不満爆発といったようにまくし立てる。祐理は三人の子供の母で、けれど、特に隣の夫婦に子供がいないことなんて、気にしてもいなかった。子供がいる毎日は、そんなことを気にするような暇はない。それなのに、少し立ち話になったとき、そんなことを言われたのだ、と。

「でも、子供がどんな感じかってのは分かるし、自分も子供だったわけだし、子供が好きとか嫌いとかあるし、そんな変でもないんじゃない?」

 おっとりと言うのは、未だ独身の泉美だ。学生時代から、周囲をまったく気にしないという、脅威のマイペースっぷりは健在で、それが昔から肝っ玉母ちゃんといった風、言いたいことは何でもズバズバ言ってしまう、そんな祐理と相性が良い。

 たいていの人は、祐理の迫力に負けて、彼女を攻撃的だとか、自分勝手だとか、そんな風に取りがちだけれど、泉美はそう思わない。だから、同じ祐理の言葉でも、「攻撃的」ではなく、一つの「意見」として、二人の間で通じるようになる。結局、人の評価はバランスなのだ。一方が弱ければ、強い方が悪く言われる。どちらも強かったり、弱かったりであれば、言葉はほぼ言葉のままに、相手に伝わることが期待できるのだ。

「いやいや、ホントに産んでみたら変わるんだって。子供が嫌いでも、自分の子は可愛いんだよねって人もいるし。それに、別に子供じゃなくてもいいよ、例えばニートが『俺は選択無職だから』って言ったらどうよ? は、何言ってんの、ってなるでしょ。『仕事ってどんな感じか分かるし、嫌いなんだよね』って言ったら? こっちが何も言ってないのに、だよ?」

「ま、仕事ってあまりにも常識的すぎる例えだから、ニートの負け感がすごいけど。働くのって絶対だからさ、でも、子供はそうじゃないじゃん、人生のおまけ﹅﹅﹅感が強いというか」

「いやいや、それもよく考えたらおかしな話でさ」

 祐理がテーブルに身を乗り出して言う。

「仕事なんかより、本当は子供を産んで育てるってほうが、ずっと重要なことのはずじゃん。仕事なんかしなくても、その人が困るだけだけど、子供がいなくなるっていうのは、未来がなくなるってことだからね。いまうるさく言われてる地球環境云々よりも、人にとっての重大事なわけですよ。人がいなくなったら、仕事どころじゃないわけだから」

「いまが良ければいいって考えの人が多いからね、私もそうだけど。まあ、だとすれば、なんで地球環境云々言うのかは、確かに意味が分かんないかも。人がいなくなった地球なんて、なるようにしかならないんだし」

「そうでしょ」
「んー、だけど」

 泉美は薄くなったアイスコーヒーをかき混ぜ、一口飲む。

「子供を産んで、やっぱり子供は嫌だ、嫌いだってなったら、どうすればいいの?」
「施設じゃない?」

 意外と、あっさり祐理が言う。カランカラン、喫茶店のドアが開く音にちらと目線を動かし、泉美が肩をすくめる。

「それは可哀想じゃん」
「でも、なんかさ、私、思うんだよね」

 窓の外、日差しに汗を掻きながら行き交う人々に目をやり、祐理は言う。

「『選択子無し』もそうだし、いまはいろいろ個人の好きにやればいいじゃんって時代でしょ? LGBTとかもそうだし、結婚もしなくていいし、もししてても、離婚したけりゃすればいいし、仕事も勤めでも、フリーターでも、環境が許してくれるならニートでもいいわけじゃん。だったら、子供も嫌だったら施設にやればいいじゃんって思わない? 虐待しちゃうならそりゃ入れた方がほうがいいし、そこまでじゃなくてもさ、今の時代、衣食住、最低限してやっても、将来、子供に『毒親だった』とか言われる可能性もあるわけじゃん。子供が嫌いなのに産んだ、とか言えばね。それくらいなら、施設にやるって選択肢を、もっと気軽に選べたほうがいいんじゃない? そもそも、堕ろす人もいるんだからさ、産んだ上で施設にやる方が、まだ人道的な気もするけど」

「個人の自由に重きを置くなら、侵害されるべきは子どもの権利って?」

「そうそう、ってか、子どもの権利なんてあってないようなもんでしょ。施設のことで言えば、そこに入れられた子供が、親の元に帰りたいって訴えても、無視されるわけだし」

「まあね」

 自分に関することではないので、もともと興味はそれほど無いのだろう。泉美は再びアイスコーヒーを啜る。祐理はといえば、ようやく言いたいことをすべて吐き出したようで、そろそろかな——そう思ったタイミングで、正面から私を見据える。

「ねえ、友香はどう思う?」

「そうだなあ——」

 ゆっくりと返事をしながら、私は考えるふりで目を逸らす。祐理と泉美、そして私の三人は、高校の頃から仲の良い、三十路を越えたいまでも、ときどき集まる友人同士だった。以前は一年に一度くらいだったのが、祐理の子育ての落ち着いた数年前から、しばしば集まり、世間話に花を咲かせている。

 もっとも、ずっと仲良くいられるのは、三人ともが東京へ出て、いつでも会えるような距離に住んでいるおかげかもしれない。大人になる前からの友達というのは、上京してから得た、新しい友人とは違い、家族のような親しさがある。だから、一度こうして集まれば、あの頃のままの関係で、喋り続けることができてしまう。祐理が話題をぶちまけて、泉美が思うところを意見する、そして、それまで黙って二人の話を聞いていた私が、話題をまとめるような答えを出す。

 その役目を私が担うようになったのは、真由は真面目だから、という二人の認識からだった。つまり、私は二人の意見を聞いて、それを慎重に真面目に考えて、納得できるような答えを出してくれると思っているのだ。

「——難しいよね、分からない」

 しかし、私はそう言って、曖昧に自分のコーヒーを飲んだ。虚を突かれたように、祐理が目を丸くする。泉美さえ、ちらと目線を上げる。その反応に、私は放り出した役目の重さを思い知る。けれど、この話題について、うかつに言葉を発せない。祐理が「選択子無し」の話を始めたとき、困ったなとは思ったのだが、まさか逃げ出すわけにもいかない。だから、私は話の行方が、他へいくことを願っていたのだ。子供がいる人生、いない人生、後者を|本当の意味で選択した《﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅﹅》私は。

「真由は本当に真面目だよね、分からないことは分からないって言うから」

 ややあって、まさかの泉美が助け船を出すように、私を見る。

「確かに、真由なら、どっちも経験した上で、ちゃんと考えて選びそう」「それって真由が冷たいってこと?」
「ある意味。情とかに流されそうにないもん、祐理はなんだかんだ言って、流されるけど」
「褒めてんの、けなしてんの?」
「さあ」

 くすくすと、泉美が笑う。

「でもほんと、難しいよね。そもそも、どこからが命かって基準も、文化によって違うわけだし」
「ああ、聞いたことある」

 祐理が頷く。

「日本は堕胎オッケーだけど、外国だと受精卵の状態で命って認めるから、堕ろすと殺人になるとか、そういうのでしょ?」
「そうそう、だからレイプされても産まなきゃいけないとか」
「それはやばいね」

 他人事だからということもあるのだろう、二人は楽しそうに話し続ける。いつまでこの話題が続くのだろう、そう思いながら、しかし、私が辿った思考をそっくりそのまま、辿っていく二人に、やはり私たちは気の合う友人なのだなと、奇妙な感慨を抱く。

 そう、二人の言う通り、日本の法律では、堕胎は妊娠二十一週六日まで可能ということになっている。とはいえ、十二週からは堕胎は死産扱いとなり、胎児も埋葬許可を受け、埋葬しなければならないし、費用も出産と同じくらいかかってしまう。けれど、肝心なのは、堕胎ができるということで、つまり、子どもの権利なんてものは、そのときにはない。堕胎を許す法律も「母体保護法」といって、母親のためのものであると明記してあるし、子供のことは考えていないのだ。

「子供にしたら、生まれた方がいいのか、殺された方がいいのか……でもそんなの分かんないもんね、孤児でも幸せに生きてる人はいるだろうし、そういう環境を恨んで、最悪な人生を送る人もいるだろうし」

 首を傾げながら、泉美が言う。

「親がいても、それが幸せって訳じゃないし。祐理が言った『毒親』とか、不幸だっていう人はたくさんいるよね」
「ああ、それも嫌なんだよね、私はああいう親になりたくないから、選択子無しですって言う人。何だろう『産まない自分偉い』みたいな感じで、その上で、『お前は産んだんだからちゃんとしろよ』みたいな圧をかけられてる感じがしちゃう。うちなんか三人もいるから、嫌味みたいに『すごいですね』とか」
「さぞかし、ちゃんとした人間なんでしょうねって? それは祐理も被害妄想入ってる気がするけど」
「いやいや、例の人もそうだけど、子供いない人からのマウントもすごいんだから。何でそんなこと言うのって思っちゃう。被害妄想っていったら、あっちだよ。勝手にうちの子にびびって、先制攻撃仕掛けてくるって感じ」「弱味見せたら駄目な世の中だからなあ。子供だけじゃないって、先制攻撃」
「え、それを泉美が言うの?」
「どういう意味」
「いや、攻撃とか、そういうのに気づくのかなって」
「まあ、あからさまなやつはね」

 泉美は笑って、

「でも、私、子供がいる人生なんて考えられないなあ」
「結婚もしてないからね」
「それはそうだけど」
「真由は? 子供好きとか嫌いとかって、聞いたことあったっけ?」

 その問いに、私は仕方なく口を開く。

「子供はね、ずっと嫌いだった」
「じゃ、これからもいらないって感じ?」
「そうだねえ、分かんないけど」

 嘘をついているわけではないが、ついているような気分で答えると、祐理と泉美はやはり笑う。

「でも、真由の性格なら、とりあえず、子供を産んでみるしかないんじゃない? どっちかって真面目に検討するにはさ、そうしないと」
「それじゃ、やっぱり嫌いだってなったときどうするの」
「だから、施設だって」
「そうなるんだよね」

 納得がいかないというように、泉美が頬を膨らます。

「でも、個人の自由がどこまで許されるんだろうって感じだよね」
「いやいや、でも、これだけ自由自由って言いながら、どうして子供だけ特別なのって思わない? 同性愛が許されるなら、母性のない母親も許されないとさ」
「子供がいる人が、よくそんなこと言うよね」
「子供がいるから、そういうこと考えるんだよ。産む前にさ、子供を育てられる自信なんて誰にもないんだから、逃げ道くらい作っといてくれないと」
「子供嫌いでも、子供産んでみてもいいですよって?」
「そうそう、それでも嫌なら面倒見ますからねって」
「親になる覚悟とか、そんなのも古い価値観になるのかね」
「このまま、個人の自由って言い続けるならね。そうなるしかないんじゃない?」

 祐理が言い、泉美も息をつきながらも押し黙る。三十路で結婚もしていないという自由を謳歌する以上、何も言えないということもあるのだろう。それがいくらマイペースといっても、問答無用、許されることのない自由であった時代があったということは分かっている。

「私も……」

 思わず、私はつぶやいて、我に返って口を閉じた。

「どうしたの?」

 怪訝な目をして、祐理が聞く。今日の私はどこかおかしいと、きっと思っているのだろう。その追及をさらりと躱し、私は別の話題を探す。子供以外の話題を、私が殺してしまった我が子を想起させない、どうでもいいような世間の話題を。

 そう、私が自分の子供を殺したのは、数年前のことだった。思わぬ妊娠をし、相手とも話し合った結果、私は産むという決断をしたのだ。子供は嫌いだったけれど、それでも自分の子供は可愛いと、そんな話も聞いていたし、祐理や泉美が言うとおり、私は真面目だったから。

 けれど、それは嘘だった。私は産まれた子供を愛せなかった。けれど、一度産まれてしまえば、それはどうしても私の子で、私が世話をし、私が育てなければならなかった。子供を殺して、私も死ぬ——泣き叫ぶ私に愛想を尽かし、相手の男も出て行ったからだ。

 あのとき、子供を捨てても良いんだと、誰かが言ってくれたなら——笑顔を作りながら、私は思う。個人の自由だ、仕方がないと、誰かが言ってくれたなら、私はその子を施設に入れて、再び自由を謳歌しただろう。もう決して子供ができないように、できてしまえば絶対に堕ろすとそう決めて、人殺しに手を染めることはなかっただろう。真面目に、真面目に、考え抜いたその結果、その子の命を奪うことも。

 そうして、生きていれば幸せだったか、そんなことは分からない。けれど、少なくとも死ぬことはきっといつでもできる、だから自由に生きれば良かったのだ。その子も、私も、別々に、同じ場所に縛られず、その二人を繋ぐ糸を切ってやれば、それで良かったのだ——いまではそんなことを思っている。

 散々おしゃべりに興じ、すっきりした顔の二人と別れ、私は我が子の遺骨が埋め立てられたであろう、海の方角をふと見つめた。

 乳幼児の事故は多く、特にうつぶせ寝で誘発されるという、乳幼児突然死症候群SIDSは原因も不明で、故意の殺人を疑われることもない。私の子供も、ただその不幸な死の一つとして扱われれば、合法的に火葬され、その遺骨は少しずつゴミにして捨ててしまった。私とその男以外、誰も知らない子供なら、それだけで一つの命は葬られる。祐理にも、泉美にも、絶対に話せない秘密として、私が持ち続けるだけ、しかし、その私でさえも、子供が生きた事実など、悪い夢であったかのように思えてくるこの頃で、その子を思い出すことも、ましてや自分が殺人者であることも、あやふやなまま生きている。

 佇む私のその脇を、楽しそうな親子連れが通り過ぎていく。子供の命は誰のもの? 子供の自由は誰のもの? そんな問いは聞こえても、まるで関係ないもののように、私は既に振り向かず、軽やかに歩き出したのだった。

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