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エッセイ:ぜんぶ

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愛犬の話、ニューヨークの話、ランニングの話などなど、その時々の気になったことをつらづらと書いています。
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#ランナー

Let's Go, FRNY!

6月はLGBTQ+ Monthというわけで、私が2016年から所属しているランニングチーム・フロントランナーNY=FRNY、について書いてみよう。 このフロントランナーNYというランニングチームだが、LGBTQ+のランナーが中心のランニングクラブ。しかし、自分たちが差別されてきた側として、差別をしないことがモットーなので、シスジェンダー(=ストレート)のランナーは勿論のこと、全ての年齢、全てのランニングレベルのランナーがWelcomeなのである。 ちなみに、私は、シスジェ

ランナーの話:「道産子丸」後編

40代になっていた道産子丸にとって、妊娠は予想外だった。もちろん、最愛の人との子供が授かることが嬉しくないはずはない。ラン友が沢山集まるウェディングパーティも、それはそれは夢の様に美しかった。 何も文句はない、 はずだ。だけど、複雑な気持ちはあっただろうと想像できる。 2017年2月のロッキーラクーン100マイルレースを、22時間で完走し、女子7位となり、これからもっと上位を目指せると思っていたはずだ。 40代に入り、自分の体力の衰えを感じる前に、ベストな走りを極めた

ランナーの話:「道産子丸」中編

2011年という年が、道産子丸にとって、ランナーとしてのターイングポイントであったのは間違いない。東北大震災をきっかけに、Run for Japanを立ち上げ、今まで知らなかったランナー達と出会い、刺激を受け合い、そして、ランナーとして互いに成長していった。 それにしても、道産子丸の成長は著しく、持ち前の負けず嫌いで頑張り屋の性格から、あっという間にボストンマラソンランナーになった。ロードマラソンだけじゃなく、ウルトラマラソンやトレイルランにも次々に挑戦していった。また、自

ランナーの話:「道産子丸」前編

彼女に最初に逢ったのは、2011年3月20日(日)、場所はニューヨーク・セントラルパーク72丁目の入り口前。その日、彼女は、東北大震災のチャリティーコミュニティ「 Run for Japan」の代表として、ベンチの上に仁王立ちで、人々に語りかけていた。 ご存知の通り(いや、知らない人もいるかも)、私の実家は宮城県石巻市。2011年3月11日、東北大震災の地震と津波被害で、実家は被災。被災者家族でランナーの私は、「Run for Japan」という響きに吸い寄せられるように、

ランナーの話:「黒杉さん」後編

「レースの準備は4ヶ月前から始めた方が良いよ。30キロ走を出来れば、レース1ヶ月前までに、3回はやった方が良いよ。」 妹・黒リスにアドバイスをされた黒杉さんは、2014年4月27日(日)開催の第一回東北風土マラソンに向け、人生初のLSDというものにチャレンジをしていた。しかし、レース4ヶ月前というと、真冬の東北の時期。それも、ラン友もいないボッチ練。その上、風景はどこまで行っても変化のない田舎の山、田んぼ、畑。もしくは、復興途上の被災の色濃く残る街。 相当、苦痛だった模様

ランナーの話:「黒杉さん」中編

まず、黒杉さんが、マイペースな走りから、レースやタイムを意識した走りに変わった理由からお話ししましょう。 私、黒リスの影響です。 最初、私がランニングを始めたと聞いた時、黒杉さんは断言しました。 「続かないね。マラソン?絶対、無理ですね。」と。 ご存知の通り、黒杉さんの予想は外れます。それどころか、2009年、初マラソンでサブフォー、ボストンマラソン資格まで取った黒リスには、軽く衝撃を受けたのかもしれません。しかし、その衝撃は、”黒リスさんを過小評価していたかもしれな

ランナーの話:「黒杉さん」前編

黒杉さんは、東北の宮城県石巻市に住むランナーだ。 この地名を聞いて、ピンと来た人もいるだろう。あ、ここは2011年、東北大震災の被災地だ、とか、もしくは、 あ、もしや、この人、黒リスの兄じゃない?と。 そうです、黒杉さんは、黒リスの兄。黒を強調するだけあって、色白の多い東北人の中ではブラックシープ的存在です。 本当は地黒ですが、ランニングで日焼けしているんだな、と最近は思われているかもしれません。つまり、結構、走っているわけです。 黒杉さんのランニング歴は、めちゃく

ランナーの話:「富士子さん」後編

運も実力のうちって言うけど、これはやっぱりおかしい。納得がいかない。 だって、シングルトラックで1時間以上も渋滞で一歩も進めず、1つ目、2つ目のエイドの関門は1時間延長されたのに、次のエイドが本来の時間の関門のままっておかしいでしょう?そこで800人のランナー達がアウトですよ。 2015年のUTMF100マイルレース後、富士子さんの中で、UTMFという大会への不信感が少し芽生えたようだ。 それと同時に、自分の実力を試したい。早く、ウルトラトレイル100マイルを走れる実力

ランナーの話:「富士子さん」中編

富士子さんのトレイル挑戦は、最初から順調だったわけではない。 黒リスも今なら分かるが、ある程度の年齢になると、トレイルはキツい。なぜなら、目がお年を取り、足元が見え難くなり、段差が分かりづらくなり、感覚神経から運動神経への伝達が鈍く、転びやすくなる。反射神経が鈍くなるのだ。ゆっくりトレッキングなら問題ないが、トレイルレースとなると、ある程度のスピードで進まないと関門に引っかかって、そこでアウト(棄権)である。 だが、富士子さんはボストンマラソン出場資格を持つレベルのランナ

ランナーの話:「富士子さん」前編

「黒リスさんのバージルクレスト50マイルの話を聞いたのが、きっかけですよ。」 NYのラン友の富士子さんは、ウルトラトレイルランナーだ。もう、何本も過酷な100マイルレースにチャレンジし、完走している。あの有名なウエスタンステイツ100マイルもその一つ。 だけど、2011年当時は、まだ、普通にロードを走るのが大好きな、アメリカ人の旦那様と10代前半の息子さんを育てる専業主婦の女性だった。 それが、ひょんなきっかけで、ウルトラトレイルレースと言う、山や森林など、大自然の中を

ランナーの話:「OKちゃん」中編

変わった理由は簡単だ。膝を故障したのだ。 もちろん、ランナーに故障はつきものと言えばそうだけど、その度合いにもよる。上手に付き合いながら、走り続けられるケースもあれば、もしかしたら、一生走ることが無理になるケースもある。頭の良いOKちゃんだから、当然、自分が今、どんな状態なのか、客観視できていただろう。だから、少しの間、いつものルーティーンから外れることにしたようだ。 走ることに依存しているランナー程、故障時はストレスが溜まる。 自分が休んでいる間、どんどん体力、走力が

ランナーの話:「OKちゃん」後編

ベルリンマラソンは、6大ワールドメジャーマラソンとして有名だ。だが、このベルリンマラソンに、ローラーブレードレース部門があるって、知ってました? もちろん、私、黒リスは知らなかった。 OKちゃんが出るまでは。 そう、OKちゃんは、なんとこのインラインスケート(ローラーブレード)ベルリンマラソンに挑戦することに決め、黙々と練習を重ね、本当にレースに出た。そして、見事、完走した。 実は、OKちゃんがこのレースに出るという話を聞いた時、相方とこっそり、Youtubeで、レー

ランナーの話:「OKちゃん」前編

マラソンは年2回、ボストンとニューヨークで勝負します。 私がOKちゃんの存在を知った2009年当時、OKちゃんはジョグノートの自分の紹介欄に、こんな感じの言葉を書いていた。 そう、OKちゃんは、私からすると、正統派シリアスランナー。練習も、勝負レースに向けて、理に適ったメニューがあり、それを着実にこなす。何年もニューヨークのレーシングチームに所属し、練習会もサボらず、そして、レースでも、淡々と結果を出す。もちろん、サブスリーランナー。それも走り始めて、最短でサブスリーを取

ランナーの話「疾風女史」後編

それは、2013年のNYCマラソン。疾風女史にとっては、2010年のサブスリーを取って以来のマラソンだったかと思う。 ニューヨークのエリートランナーが集まるランニングチーム所属の彼女は、ローカルエリート枠として、先頭のコラールスタートだ。一方、私は一般枠だが、それでも、結構、先頭のコラールスタートであった。スタート時間は、同じ午前9時40分。ただ、疾風女史は下の橋からスタート、私は上の橋からのスタートで、全く、お互い、出走していることさえ知らなかった。 その頃の私は、マラ