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ランナーの話:「道産子丸」前編

彼女に最初に逢ったのは、2011年3月20日(日)、場所はニューヨーク・セントラルパーク72丁目の入り口前。その日、彼女は、東北大震災のチャリティーコミュニティ「 Run for Japan」の代表として、ベンチの上に仁王立ちで、人々に語りかけていた。

ご存知の通り(いや、知らない人もいるかも)、私の実家は宮城県石巻市。2011年3月11日、東北大震災の地震と津波被害で、実家は被災。被災者家族でランナーの私は、「Run for Japan」という響きに吸い寄せられるように、その会に参加した。

いや、私だけじゃなく、多くのランナーが、そして、ランナーじゃない人たちも同じ気持ちだったのでしょう。ニューヨーク在住の多くの日本人がその会に集まっていた。

「東北の為、日本の為に自分達は何が出来るだろう?」という思いは、その場にいた全員の共通のものだったはずだ。そして、その思いを実現化したいと行動を起こしたのが、道産子丸、その人でした。

彼女は、道産子丸というニックネームの通り、北海道出身。素朴な笑顔が印象的。そして、黒いスパッツからも明らかに分かる筋肉質の脚は、”私、相当、走り込んでます。”と自己主張していた。その場にいたランナーの多くは、間違いなく、彼女の脚に目を奪われていただろう。

だが、本人、「そう見えますよね〜。でも、この脚、見掛け倒しなんです。」と恐縮するぐらい、実は、それほど、走っていなかった。仕事柄、常に運動はしていたが、シリアスにランニングをしていたわけではなかったようだ。当時は。

そう、当時は。つまり、道産子丸は、そのRun for Japanを立ち上げたのをきっかけに、どんどん、走ることにのめり込むことになるのである。

(続く)


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